ワラジュエリーって、見たことありますか?その名の通り、ワラで作られたジュエリーのことです。
ぎゅっと丁寧に編み込まれた美しいワラに、パールをあしらったり。ワラで葉っぱのような形をつくり、それをつなぎ合わせてネックレスにしたり。ワラって、頻繁に目にする機会がないので、こんなに強く、美しいものだとは思いもしませんでした。
今回取材をさせて頂いた藤井桃子さんは、ワラジュエリーを制作されている作家さんです。彼女は京都市内からバスに揺られて数十分、さらに山を登って行ったところにある、決して便利ではない土地・花背に拠点を置いて、「花背WARA」というブランドのジュエリーを制作されています。
彼女はなぜワラを選んだのか?なぜ花背なのか?彼女が垣間見せるワラと生きて行く覚悟と共に、ワラジュエリーのことをもっと知りたくて。今回お話を聞かせていただきました。
花背のいま
ブランド名にも含まれている“花背”は藤井さんが生まれ育った場所ですが、どのような土地なのでしょうか?
場所は分かりますか?
京都の北の方とだけしか……。
花背は京都の鞍馬を過ぎた先にある場所です。京都バスが1日に4本しか通らないような場所で。私らの年代って高校か大学くらいのタイミングで街に出て行く人が多いような土地です。今花背に残っている同年代はほとんどいないんです。
藤井さんのこと少し調べたのですが、関西圏を中心とした各地で精力的に活動されてイメージがあって。今もお住まいは花背ですか?
はい、今も住んでいます。空気も美味しいし、とても落ち着く環境なんです。基本は花背に拠点を置く気でいます。今後東京に出展するにしても、です。生まれ育った花背にはずっといたいなと思っているんです。街まで親に車で送り迎えをしてもらっているような状態です。
なるほど。ご家族のバックアップがあって成り立っているのですね。
そうですね。あとは私のワラ細工の師匠である祖父のいとこになる地元のおばあさんにもとてもお世話になっています。その方が稲作をやられていて。私がワラ細工を習い始めてから、そのおばあさんから稲をいただいています。去年から稲作りの勉強も兼ねて、稲作のお手伝いも始めました。
材料を自分で作るところからこだわろうと?
んー、まあ必要かなと思ったんですよね。ワラのことをずっとやっていこうと決めたからには、材料のことも知る必要もあるし、自分で育てられるようになったらいいかなと思っていて。水の管理とかも、朝早くからそのおばあさんが田んぼを見に行ってやっていたりするので結構大変なんですよね。私もずっと付いていたいくらいなんですけど、制作のこととかもあるので、そこまで手が回っていない状態です。
ちなみにおばあさんは80歳くらいで。とても元気なんですけど、お年寄りなので何があるか分からないというのも正直なところです。息子さんも手伝いにきているのですが、毎日となると大変だし、どうなるんだろう……とは思っています。心配ですね。
現状はおばあさんには後継者はいない状態、なのでしょうか。
息子さんがどうするかにもよります。息子さんは結婚されて今は街に住んでいるので。でも田植えや稲刈りのときには手伝うためにお孫さんもみなさん帰ってくるんですよ。
「ワラに可能性を感じた」 - 彼女がワラと歩みはじめた理由
藤井さんはワラ細工の勉強を始められてどれくらい経ちますか?
大学に入学してから習い始めたので、もう5年経ちます。私の通っていた大学は入学してから専攻を決めるので、その頃は、芸術に関することをいろいろやりたい時期でもありました。花背では、ワラ細工をされるお年寄りは15年前までは多くいらっしゃいましたが、ここ数年で急激にいなくなってしまって。色々な種類を作れる人がいません。
花背でワラ細工をしているのは、今教えてもらっているおばあさんだけなのでしょうか。
お世話になっているのは、今教わっているおばあさんともうひとりおばあさんがいます。出来る人は全部で5人くらいですかね……。しめ縄とかは地域で年末に集まってみんなで作るんで、それくらいなら出来る人は多いと思います。なので、花背で教えて頂けない様なワラ細工は、他の地域でワラ細工をなさっている方の所まで勉強しています。
初め展示会にお邪魔したときに、一見してワラで作られているとは分からなかったんです。ワラ細工でアクセサリーを作ろうと思ったきっかけって何かあったのでしょうか?
元々母の勧めでワラ細工を始めました。周りでやる人がいない状況がもったいないなあと思っていたのもあります。大学では版画を専攻していて、木版をやっていました。そのときから私は技術的なものが好きなんだと思うようにはなりましたね。
技術的なものとは?
版画も技術がないと刷れないんですよね。木版って日本の伝統工芸で、例えば浮世絵は有名ですよね。日本で昔から続いている技法などを使ったものに惹かれていたんだと思います。高校のときも京都の町並みとかも好きで、町家や祇園の石畳の風景画を描いたりしていました。そういったことからもワラ細工を始めたのも自然な繋がりだったと思っています。その時から“昔のもの”と“現代のもの”を取り入れたものや、和洋折衷のものを作る傾向にはありましたね。
昔から軸は変わらずにあるのですね。
ワラも昔からあるものですけど、今のテイストを取り入れて洋風にしてみることで現代にマッチする、そう思えたんです。
それはどんな時に思ったのでしょう?
ただの思いつきなんです(笑)一番始めに習ったのが鍋敷きでした。それを見た時におしゃれだと思って……すごく造形がきれいだなと。実はそれまでワラ細工はもさい物だと思っていて、家にはわら草履や蓑など飾ってはありましたがそこまでワラ細工と向き合ったことがなかったので……。
なんというか、私もワラ細工というキーワードだけ聞いたら普段使いにはほど遠い古さがあると思い込んでいて。
始めたときは自分の創作活動に編み方とかを習得すれば他のものに応用できるかな、ってくらいの軽い気持ちだったんです。勉強になるかなと。それが初めて鍋敷きを作った瞬間にそれまで抱いていた偏見が全部吹き飛んだんです。めっちゃ今に通じる形だなと。何かもっと、別の何か……オブジェとか……いや、身につけたらいいやん!ってなって(笑)ジュエリーには自然に結びつきました。
花背のワラ細工を継承して守っていきたいという気持ちがあるのでしょうか?
花背のワラ細工を継承することはもちろんなんですけど、他の地域の形とかも勉強していきたいと考えていて。今は時間がないんですけど、本当は東北とかにも行って勉強をしたいと考えています。技術習得をすることで、それがアートにも繋がると考えていてどんどんワラの世界が広がっていく気がします。
私の作るワラ細工は民芸に留まらず、ジュエリーとしてファッションにも取り入れられるし、アート作品にもなります。そんなワラ自体に可能性を感じていているんですよね。
自分の創作活動が伝統を守ることに繋がれば - 藤井さんの考える今後の展望
今、新たに道を切り開いて行くような人ってそうそういないと私は思うんですよ。誰もやってないことをする、って相当勇気のいることではないでしょうか?
勇気とかいうより、まず、私は花背という自然や周りの環境や協力者に恵まれました。大学の時は将来版画でやっていこうかとも考えていたのですが、悩んでしまって。それならこっちの方が可能性があるし、誰もやっていないことをやるのが一番だと思ったんです。しかしこのように、一歩踏み出せたのも私の背中を押して下さる方があってこそのことです。いつも誰かが見守って下さる温かいものを感じています。
勝手なイメージなんですけど、藤井さんは自分は自分、という印象を受けていて。自分の創作活動を人と比較することはなくマイペースにやられているのだと思っていました。
まあ、両方ですね。
他には例のないワラジュエリーを作られていて、似たようなことをやっている人すらいないわけではないですか。なのでそうなったときにどんなことを目指してこの活動をされているのかがとても気になっていて。
どちらかというと、アートジュエリーというか……もっとレベルの高いところでやっていきたいと思っています。代官山とか恵比寿とかに出したいくらいなんですよね。コンテンポラリージュエリーのイベントは東京の方が多いので、そう言ったところにも出展していきたいと考えています。
京都にコンテンポラリージュエリーの土壌みたいなものはあるのでしょうか?
1軒だけ東京に本店のあるお店があって。そこで取り扱われている作家さんの経歴がすごくて……!やっぱり海外とか勉強してからとか、ジュエリーの賞を取った人とかの作品を取り扱っていて、「うわっ、入れない!」ってなっています。色々なところで展示販売し、いつも思うのですが、身につけて頂くまでが難しいです。アピールする難しさをとても感じています。見せ方が難しいというか。
商業施設などの催事での出展では、ワンランク上の商品に見えますよね。そういったブランディングなのかとも思っていました。しかしもちろん多くの人に身につけてもらいたい、という気持ちが強いんですね。
もちろんです。ワラジュエリーの良さを多くの方にお伝えしたいです。
やっててよかったと思えた瞬間ってありますか?
まず、素材に関心を持って下さる方や、ワラジュエリーを気に入っているというお声を頂いたり、実際に身に着けて下さっている姿を見たときは、とても嬉しいですし、意欲も湧きます。また、ワラ細工を教えて下さっているお年寄りたちが喜んでくれることですかね。ジュエリーを見て「私らこんなことできないのにすごいわ!」とほめてくれるんですよ。私からしたらおばあさんたちは師匠なのに。
それと、作家活動を始めて、色々なアーティストや職人さん、農業や食品関係の方々など、ワラが人との繋がりになっているんです。それもやっててよかったなぁと思いますね。今は竹田のおじいさんに技法を習っているんですけど、それもワラをやっていなかったら得られなかった出会いなので。
各地で技法を学んで、花背のワラ細工という伝統を守っていくぞ!という気概を感じられます。
めっちゃ背負い込んでる感じではないんですけどね。自分の創作活動が伝統を守ることに繋がれば良いかなと思っています。関東にワラ細工の保存会があるみたいで、そこの方々は伝統を立派に守られています。でも私はそれだけではない形でアプローチしたいんです。新しいことに常に挑戦したいと思っているので。
そういった新しいことに挑戦するにしても創作は花背がやりやすいんです。あと花背を離れたら、ワラジュエリーの背景が薄れる気もしていて。
たしかに。街中でやっていても違和感はないけど、普通というか。洗練されるべき場所で洗練された、って印象になりますね。
そうですね。地元花背でやることに意味があります。
花背は過疎化は進んでいるけど『OKU京都ねっと』という子育て世代のグループが冊子を発行するなどして、花背をPRされたりしています。私の活動も花背を知ってもらえるきっかけになればいいなと思います。
今はどんな夢がありますか。
最終的には世界を目指しています。日本の文化は世界でも注目されているので絶対ワラ細工はいけると思うんですよね。主に欧米に。
パリコレを目指す、という記事を拝見しました。すごく素敵だと思います。
例えばですけどね!(笑)
近い目標はありますか?
やっぱり様々な技術をできるだけ早く身に付けることを目指しています。自分の作品を作って多くの人に知ってもらいたいですよね。地道ですけど、一歩ずつ進んで行かないといけないなと思っています。それと、今は関西中心の活動ですが、東京などにも進出していきたいです。
あとはワラ細工を花背の産業に繋げられたらなと思っていて。そのためには協力者を得ることが必要かと思っていて、ひとまずは自分の技術を上げることが最優先です。自分の技術がないと、人にも教えられないので。
これからもっと協力者が増えれば、もっと外に発信していけますね。
そうですね。それと、このようなカタチでお話をさせて頂けることも大変有難いです。
ありがとうございます。これからも活動を応援しております!
最後にこの取材では、『おすすめの京都』を伺っています。人・物・場所・イベントなんでも大丈夫です。教えていただいてもよいでしょうか?
やっぱり花背ですね!京都と言えば祇園や四条エリアがメインですが、秘境の地もいかがでしょうか……的な感じでお願いします!
昔話に出てくるような田舎で、地元京都の方にもオススメしたいです。峠を越えた山里なので気候も全然違うんですよ。夏は涼しく快適で、冬も雪が積もるのでスキーができます。出町柳からバス一本で行け、京都にいながら東北に行ったように感じられる所なのでオススメですよ。夜は星もくっきり見れます。
なんと!スキーもできるとは知りませんでした。私、京都に来て驚いたのは、空が明るくて星が見えなくなったことで。
花背はすごくきれいに見えますよ。桜が咲く時期も、京都の町中より遅れて咲くんです。なのでこの時期、仕事や用事で街へ行き来している人なんかは、花見を長期楽しめるんですよ。同じ京都でも全然環境は違うので是非一度お越し頂きたいですね。
花背今度遊びに行きます!ありがとうございました!
藤井 桃子/ 花背WARA
1991年 京都市 生まれ
2009年 京都市立銅駝美術工芸高等学校 洋画科卒業
2014年 京都市立芸術大学 美術学部美術科 版画専攻卒業
花背(京都市左京区)在住。’10年より地元花背のお年寄りの方にワラ細工を習い始め、’13年「花背WARA」をスタートする。ワラの温かみや美しさを今の生活に取り入れ、ワラの可能性を広げるため、WARAジュエリーなどを制作発表。
’14-’15年阪急百貨店うめだスークにて展示販売。COCON KARASUMA 3F kara-Sショップ、Duce mix
shopにて常設販売他、オンラインショップにて販売中。