珈琲に興味がある人は「スペシャルティコーヒー」という言葉を一度は聞いたことがあるはずだ。最近巷の珈琲店ではスペシャルティコーヒーという言葉をよく目にするし、私自身この言葉を過去のコラムに出したことは何度かある。京都ではWEEKENDERS COFFEE(第1回参照)がずいぶん昔からスペシャルティコーヒーに取り組んでおられたし、ごく最近の京都で言うならば、元田中の珈琲焙煎所 旅の音など、良質のスペシャルティコーヒーを専門的に販売するお店が増えてきた。
スペシャルティコーヒーというのは、ごく簡単な言葉で言うならば「“高品質”と判断された生豆」のことだ。その詳細については、日本スペシャルティコーヒー協会のウェブサイトを参照いただきたい。またスペシャルティコーヒーは、その性質上、浅煎り~中煎りで焙煎されることが多い。その経緯は第4回でも述べた通りである。
確かにスペシャルティコーヒーは珈琲の味そのものを大きく向上させた。だが、実は「スペシャルティコーヒー」という言葉、そしてスペシャルティコーヒーそのものに対する誤解が世間に蔓延しており、私はそのことをとても心配している。
まず、お店で珈琲を飲む人が抱く誤解として、お店で「スペシャルティコーヒー」とあると、それが即ち「そのお店の中で一番美味しい珈琲」ないしは「いつも飲んでいる珈琲よりも特別美味しい珈琲」と思っていないだろうか。そして、店で珈琲豆を買う人が抱く誤解として、「スペシャルティコーヒーを買って淹れると、それだけでいつも淹れている珈琲よりも格段に美味しくなる」と思っていないだろうか。
スペシャルティコーヒーはあくまで原材料そのものだ。つまり、その材料をいかに調理するかが肝心なのである。珈琲における調理とは、焙煎と抽出であることは言わずもがなだ。材料が良いから即ちそれを使った料理が美味しいとは限らないのと同様に、スペシャルティコーヒーを使った珈琲が、すなわち美味しい珈琲となるなんてことはありえない。むしろその言葉に甘んじて、スペシャルティコーヒーに対する理解もなく焼いた結果、ないしは抽出した結果、美味しくない珈琲になってしまっているお店が残念ながら少なからずあるのが現状だ。
また、スペシャルティコーヒーを浅煎り~中煎りに焙煎したものを「スペシャルティコーヒー」と一括りにされて販売されていることがあまりに多い。そのため、これほどまでスペシャルティコーヒーブームが来ている昨今、消費者の間に「浅煎り~中煎りこそが美味しい」「(浅煎り~中煎りの)スペシャルティコーヒー>深煎り豆」という誤解の構図の印象を与えられる可能性が生まれてしまう。「スペシャルティコーヒーを深煎りにしたもの」だって「スペシャルティコーヒー」だし、「スペシャルティ」より多少ランクが下がった生豆でも、適切に深く焙煎し、深煎りだからこそ出る個性を最大限まで引き出すことによって、下手にスペシャルティを焼いたものよりも圧倒的に美味しくなる。むしろそれが深く焼く焙煎技術の醍醐味でもあるのだ。
話は逸れるが、京都で深煎り豆の販売で私が強くお勧めしたいのは、四条河原町を少し下がったところにあるカフェ・ドゥ・ガウディだ。コロンビアベースの深煎り『ブレンド・ガウディ2』は、カラメルのような甘いコクと芳醇さ、甘苦く、でもバランスが良いのはコロンビアの存在が大きいのだろう。ストレートの珈琲豆も随時何種類か置いているので、深煎り豆が好きな方、最近のさっぱり志向の珈琲に物足りなさを感じている方は是非訪れてほしい。ガウディの深煎り豆は、ぺーパードリップだと通常よりも多め(1杯あたり17g程度)、少し粗目に挽き、低温のお湯でじっくりゆっくり時間をかけて濃い目に抽出するのがお勧めだ。なお、ガウディは豆売りのみで喫茶はやっていない。ガウディの豆を喫茶店で最大限に楽しむには、私の師匠でもある烏丸御池のさんさか(第1回参照)で極上のネルドリップをいただくのが一番であろう。
閑話休題。スペシャルティコーヒーによって、甘さ・酸味・質感・風味・後味など、珈琲の味わい方がかなり細分化された。それらの豆を楽しむためには、それらに適した器具と抽出法が必要であり、それに伴う知識も必要になってくる。実は、浅煎り~中煎りのスペシャルティコーヒーは、抽出すると酸味が非常に立ちやすくてかつ味が出にくく、ちょうどよいバランスで抽出するのはけっこう難しい。
様々な味わい方のスペシャルティコーヒーがある中、「同じ器具」と「同じ淹れ方」ですべての応用が利く、なんてことはありえない。強いて言うならペーパードリップは比較的どんな種類のどんな深さの豆でも対応できる万能な抽出法だが、少なくともお湯の温度や豆の挽き方などは確実に変えて調整しないといけない。自宅でスペシャルティコーヒーを楽しみたい場合は、「いつもの」「1通り」の淹れ方だけでは駄目で、その豆の特性と焙煎の深さに合った淹れ方の工夫をする必要があるのだ。
一部のスペシャルティコーヒー専門店などでは「数ある珈琲抽出法の中で、フレンチプレスが一番良い抽出法」と謳っているところもある。しかし、フレンチプレスは深煎り豆には絶対に向いていない。というのも、深煎り豆は炭の成分が多く混じっているゆえ、挽くと必ず炭の微粉が伴う。炭の微粉の粒子は非常に細かい。それゆえ、穴が比較的大きいフレンチプレスの金属フィルターでは、ゆっくり抽出している間に炭の粒子が簡単にすり抜けてしまい、結果として粉っぽくて苦い珈琲となる。フレンチプレスは炭の微粉が出にくい浅煎り~中煎りのスペシャルティコーヒーには確かに向いているかもしれないが、だからと言ってそれがすべての珈琲豆に当てはまるわけではない。豆の楽しみ方の多様性ゆえ、消費者もある程度抽出法の向き不向きについて知っておかねばならない時代になってしまったのである。
しかし、そもそも消費者がスペシャルティコーヒーに対して誤解をしているのは、場合によっては売り手である珈琲店自体が消費者にスペシャルティコーヒーに対する誤解を与えている(さらに場合によっては店自体が誤解している)こともあると私は考えている。スペシャルティコーヒーはその言葉のわかりやすさとインパクトの強さゆえ、お客さんを呼び込む重要な要素になる。しかし、スペシャルティコーヒーで珈琲を淹れているからには、どういう理由でその豆を挽き、どんな温度、速度、お湯の太さで淹れているのか、珈琲店はその抽出法に確固たるものを持っていないといけない。また、スペシャルティコーヒーを焙煎し販売するからには、ただ豆を提供するだけではなく、豆をどういう理由でその深さに焼いたのか、そしてその豆をどうすれば美味しく淹れられるのか、珈琲店は消費者側にしっかりと伝えていく必要があると思う。「抽出」というゴールに対する意識や知識が曖昧な状態で焙煎して、果たしてスペシャルティコーヒーの持つポテンシャルを存分に引き出しているのかどうかは眉唾物だ。
繰り返すが、スペシャルティコーヒーを使えばそれだけで美味しい珈琲が出来上がるなんていうのは大きな間違いだ。消費者はスペシャルティコーヒーに対して怠けることができなくなってしまった。しかし、幸いなことに京都はスペシャルティコーヒー、そして珈琲そのものについての見識の深い珈琲屋さんたちが確かに存在する。お店の人に遠慮せずにいろいろ聞いてみるのも、京都での珈琲の楽しみ方の一つであろうし、そうやって売り手と買い手が互いに互いを成長させればよいのだと思う。今後、京都とスペシャルティコーヒーが今にも増して見事に調和し、より良い珈琲文化となっていくことを私は願っている。