【景色をめぐる日々の雑想】山小屋から想う持続可能性と景色についての考察

【景色をめぐる日々の雑想】山小屋から想う持続可能性と景色についての考察

【景色をめぐる日々の雑想】山小屋から想う持続可能性と景色についての考察

「景色の価値」とは何だろう。

 

僕にとって、生まれ育った新宿通りと黒部源流という、全く性質の異なるふたつの場所の描き出すコントラストは、それ自体が一つの日常だった。無機質な都市のノイズと、その中に湧き上がる多様な人々の姿、逆を見やれば、雲ノ平の豊穣な生命の営みと、季節の移ろい。今思えば、そのコントラストそのものが、大きな問いのようなものだった。

 

自然から都市は生まれ、都市の混沌は自然を飲み込みつつ、自然を渇望する。人間の中の二つの景色が矛盾を抱えたまま絡み合い、目の前に横たわる。資本主義やグローバル経済、都市世界の限界が叫ばれ、コロナ禍や気候危機に揺らぐ世界で「持続可能性」への問いが日増しに大きな疑問符になっていく。テクノロジーと情報リテラシーが社会を救うというのは本当だろうか?僕たちは、どのような世界を共有して生きていこうとしているのだろう?山小屋の窓から、景色をめぐる物語と持続可能性について思いを巡らせた。


文・写真:伊藤二朗

雲ノ平山荘経営者

1981年、東京生まれ。

幼少より黒部源流で夏をすごす。

2002 年に父・伊藤正一が経営する雲ノ平山荘の支配人になる。

2010年、日本の在来工法を用いた現在の雲ノ平山荘の建設を主導し完成させた。

近年は国立公園を取り巻く社会課題などについて様々な情報発信をしている。雑誌『PEAKS』で「山と僕たちを巡る話」を連載中

雲ノ平の秋

9月も半ばを過ぎると雲ノ平もいよいよ秋の気配が深まってくる。

 

今年は7月、8月とかつてないほどに雨天日が多く、夏が消し飛んでしまったかのような季節感だったせいか、景色の移ろいもどことなく早回しのように感じられる。いつもなら9月20日過ぎから始まるナナカマドの紅葉も、一週間ほど早く色づき始め、視界の端々を柔らかな色彩で彩っている。

 

この季節の景色は概して明るく、独特な静けさに包まれるものだ。

気温が冷え込んで大気中の水蒸気が少なくなると、空は高く澄み渡り、日差しは淡い煌めきを帯び、透明感を増して行く。草原は一面に黄金色に染まってハイ松帯の緑とくっきりとしたコントラストを描き出し、周囲を取り囲む山々は、ぐっと立体感を増して迫って見えるようになる。

 

そして、生き物たちが眠りにつくと、夏の間はその生き物たちのざわめきに紛れて見え辛くなっていた世界の別の側面が、忽然と立ち現れてくるように感じる。

 

草花の呼吸や飛び交う羽虫たちの動的な気配が消え、物質の静的な存在が顕になる。草原はガランとした広がりを感じさせ、枯れ野から突き出す岩のシルエットや、池塘の水の青さなどの純粋な光や色彩、物の造形が際立って存在感を強めるような気がする。

 

生命の活動が空間を満たしている季節は、ある種の生命感が景色の主体として見る者の意識に強く働きかけるが、それらが去った時、僕たちはその場所の剥き出しの空間性そのものに対峙することになるのだ。晴れて風のない日などに外にいると、あまりの静寂感に、目覚めているのは人間の意識だけであり、世界が眠った後の夢の中を漂っているような思いにもかられる。

 

このさりげなくも大きな変化を毎年目の当たりにするたびに、景色というものがあくまでも「相対的なもの」であることに気づかされる。それはあたかも、引越しで一切の家財道具を運び出して、生活感や日々の会話が消えた部屋が、今更「こんなに広く静かな場所だったのか」と発見するような感覚に通じることなのかもしれない。

 

僕自身、かつてよく旅をしていた頃に、夜中に人が誰もいなくなった街々を歩き回るのが好きだったことを思い出す。人という生命感、感情、行き交う車や機械の作動音、どこからともなく聞こえてくる音楽の気配が消え、「街」という純粋な造形であり、造形の背後にある過去に生きた人々の痕跡や歴史の物語が忽然と聳え立ってくる感覚が好きだった。それは、現実の人間社会の重さに耐えかねていた若き日の僕にとっては、観念的な「物語としての人間」への逃避でもあったのかもしれない。

 

いずれにせよ、景色というのは普遍的な実態ではなく、生命の気配や物質的な空間、季節や記憶、観察者の思念の相互作用によって生み出されているのだ。

 

再び雲ノ平の草原に目を移せば、秋のしじまの中をホシガラスたちがせわしなく松ぼっくりの収穫に勤しんでいるのが見える。松ぼっくりを咥えては岩の上に運び、殻の中の小さな実を器用に取り出しては頬張っている。その食べ残しの松の実が時に芽吹き、岩に根を貼ることを繰り返すことによって、10万年前の火山活動直後には溶岩の塊でしかなかった雲ノ平の大部分が少しずつハイマツの海へと変化したことを考えると、また感慨深いものである。

 

景色はそれそのものが既にこの世にはいない者たちの痕跡であり、記憶であり、現在という地点におけるあらゆる時の邂逅(巡り会い)でもある。生命の時、大地の時、人間の時が巡り会う、刹那の光景に僕たちは向き合っているのだ。

持続可能性とは何か

今、僕たちの生きる世界では「持続可能性」という言葉が声高に叫ばれている。

 

気候変動、資源の枯渇、格差の拡大、人口爆発、コロナ禍などの複合的な危機によって、20世紀を築いてきた人類の緒価値観、資本主義、情報化や都市世界、グローバル経済、民主主義などの矛盾・限界が取りざたされている社会において、その言葉の響きは嫌が応にも切実さを増している。

 

しかし、一方でその社会命題をテクノロジーや科学的な統計などの概念的な指標に基づいて打開していこうという雰囲気には僕自身は少なからぬ疑問を感じる。

 

なぜなら、テクノロジーの本質が人間の生存本能に基づいた「競争」と「更新」であるからに他ならないし、科学的な指標による課題解決が情報リテラシーに密接な考え方であって、個々人が等しく体感し確認できるものでない以上は、個人の知力に依存する事になり、人々に共通の連帯感をもたらす原動力としては脆弱すぎるように思うからだ。(※後述するが、情報化によって人々はむしろ情報空間への依存を深めていくため、総体としてリテラシーは低下していく)

 

近年もてはやされている、日本版「再生可能エネルギー」の実態を見ればそれは理解しやすいかもしれない。

 

例えば、本来は木材生産の副産物として出た木屑を燃料として電力を生み出すはずのバイオマス発電だが、木屑の供給をはるかに超えた発電所を乱造した挙句に燃料が不足し有用な森林まで皆伐するとか、地球の裏側の熱帯雨林を伐採して作った木質ペレットを輸入したり、更には一度も稼働しない施設も多数あるという事実。また、土砂崩れの危険性を無視して保安林を伐採し(または住環境の悪化に直結する)メガソーラーをいたるところに乱造したかと思えば、山岳信仰の聖地や地域観光の拠点とも言える景勝地への巨大風力発電施設の建造計画など……悪い冗談のようなものが平気でまかり通ってしまっている。

これはそもそもが日本社会が明治時代以降、殖産興業・経済発展に傾斜した方向性に基づいて社会を構築してきた結果、生活(自然)環境に対する愛情や倫理感を著しく欠いた思考パターンに染まってしまっていることの現れに他ならない。

 

目標とすべき現実のビジョンが人々に共有されておらず、「再生可能エネルギー」が気候変動対策、脱原発を隠れ蓑にした無節操な産業振興策でしかなくなってしまっているのである。(もっとも国際的には、環境技術が次世代の「経済戦争」の最重要課題として捉えられている感はある。今回はテーマとして掘り下げないものの、競争の勝ち負けも持続可能性の一要素なのは事実として否定できない。そして、その視点においても日本は遥かに遅れをとっている……)

 

「人新世の資本論」(集英社新書)の斎藤幸平氏によれば、現在世界に200万台ある電気自動車が2040年までに2億8千万台になったとして、製造工程まで入れたエネルギー収支におけるCo2削減率が現状のわずか1%であるという。

 

技術の更新はいつ完成し、終わりを迎えるだろうか?最新の自動車はCO2削減率40%で、二年後には削減率50%、五年後には60%……という展開が際限なく繰り広げられるとして、いつ誰がこの消費を終わらせてくれるのか。

 

答えは今の価値観のままでは「誰も終わらせてくれない」のである。

「このままでありたい」と願う社会

僕は持続可能な社会というものは、多くの人々が「このままでありたい」と願う社会ではないかと思っている。そしてそれは実態を伴う「美しさ」や「景色」に基づいた、日常における人々の連帯感や共感を抜きにしては語れないのではないだろうか。

 

先述のように、現実逃避にも似たテクノロジー至上主義的な考え方で、あらゆる製品を環境に配慮した素材で製造し理論的には省エネで「地球に優しい」技術を用いたとしても、時代を超えて人々に愛される存在でなければ街ごと、土地ごと、スタイルごと廃棄され、作れば作るほどに消費を生み出すということになる。スクラップ&ビルドを繰り返し、世代を超えて共有可能な景色や土地に対する愛着が失われれば、人々の生活の現場から負の連鎖が起こってしまうだろう。

 

僕自身、必ずしも旧来通りのエネルギー政策や技術体系に留まるべきだとは考えていない。少なくとも持続可能性はテクノロジーが主役ではなく、どちらかといえば古くから存在する「都市計画」や「Landscape architecture」「自然保護」などの物理的な前提に軸足を置くべきだと思うのだ。しかし、その議論はむしろ「多様性」の乱用とともにうやむやになり、テクノロジーと情報化に席巻されて行くこの世界は、どこに向かうのだろう。

 

この問題について、以前個人的に書いた文章で触れたことがあるので、少し長いが引用したいと思う。

これはとりもなおさず社会のデザインの問題なのではないだろうか。

 

共有価値としてのデザインの枠組みが失われ、全てが「個人の好みの問題」として放任するとどうなるのか。

 

例えば、家並みが和風、北欧風、モダニズムやミニマリズムなどの様々な建築が建ち並び、一つひとつは思い入れがあって作られたものでも、景観に統一感はなく仮設のモデルルーム展示場のようになっているとする。その裏山は「再生可能エネルギー」であるメガソーラー畑に覆われ、家電量販店は省エネの標語を掲げた新製品が無意味に溢れかえり、近所のスーパーは企業の統廃合でコロコロと看板を変える。買い物はドローンが家の窓辺まで運んでくれるし、あらゆる手続きはウェブでできるなど、住民の選択肢が増え、生活様式が多様化するほどに現実に人が集う機会はなくなり、集団的な文化の共有意識が脆弱になれば、生活形態の流動化はいよいよ加速していく。これは既に日本でありがちな光景だが、例えばこういう環境を次の世代が「このままでありたい」と思うだろうか。

 

20世紀前半、ドイツのデザイン学校「バウハウス」の創立者ヴァルター・グロピウスは、歴史性や風土性に規定され統一感を保ってきた生活空間が、機械化や情報化、グローバル経済によって、個人の恣意性や商業のコマーシャリズムによって無限に流動的になり、混沌として行く状況に対し「多様の中の統一」の重要性を訴えた(「建築はどうあるべきか」ヴァルター・グロピウス;ちくま学芸文庫)。

 

守るべき共有価値や景色の統一性を失い、テクノロジーの暴走や巨大資本の拡大に歯止めをかける存在(集団的意思)がなくなった世界では、自由(多様性)という名の下に返って人々は孤立化し、無力化する。そうなると、巨大資本が市場原理に基づいて、世界を好きなように作り変えていくのに身を委ねるしかなくなる。重要なのは、自由そのものではなく、個人の可能性や人生の質が毀損されないことであって、そのためには最低限の社会デザインを共有する必要がある。秩序を失えば、多様性も失い、自由も保てない、全てはバランスの問題なのだ、という考え方である。そして、それらのことは表面的な知識では実現しない、内発的な深い感覚(美意識)の共有が不可欠であると……。

 

この考え方は僕には非常に納得できるものだ。

 

そもそも、自然の営みが美しいのも、弱肉強食ではありつつも、無限の拡大ではなく、常に多様性の中の均衡に向かっているからだ。

「統一の中の多様性」すなわち一つの景色に対して人々が内発的に共感し、個々がそれぞれに異なる多様な思いで愛情を示すことのできる状況こそが「持続可能性」なのである。

景色の在り処

美しい渓谷を取り囲む丘陵地帯で貴重な鉱石が採掘されるとして、それを一企業が開発し短期間に巨万の経済的な利益を獲得するのと、住民にとって思い入れのある美しい景観をそのまま残し、経済的な豊かさはなくても地域社会が自立して存続するのと、果たしてどちらが「経済的」なのか。

 

これは、僕たちの世界において富とは一体なんなのかという問いであるが、歴史は凡そ明確な答えを出している。

 

生活の景色(美)が失われた土地には、人がいなくなり、都市による地方の収奪は加速する。

 

地方の生活文化や自然環境を無視した工業化が進むほどに、土地に対する根本的な愛情やプライドが失われ、結果的に共同体の消失や過疎化が進行し、都市への人口過密化、田舎の生活インフラの崩壊などによる都市と田舎双方の生活環境の悪化、少子高齢化の加速(老人や子供の生活環境が真っ先に損なわれる)などを同時に引き起こす。

 

田舎の崩壊、過疎化と都市の混乱、過密化。この構図は19世紀のドイツなどでも巨大な社会問題として顕在化し、郷土保護運動のきっかけにもなった構図であり(ドイツ強度保護連盟の設立から1920年代までの強度保護運動の変遷:赤坂信;造園雑誌55)、現在の日本では最早慢性化してしまった状況である。

 

巨大資本による地方社会の破壊は、結局都市の利益にもならない。

 

日本各地の「再生可能エネルギー」開発も国土強靭化もリニア開発も、不景気な地方に産業を興すといえば聞こえは良いが、地方ならではの文化の喪失や生活環境の悪化によって間違いなく地方経済の自律性は失われ、巨大資本への受け身な労働力供給が生活の基調をなすことになる。田舎の良さもなくなり、都会ほど稼げない労働者として人生を送るならば都会に行こう、という判断を次世代の子供たちが下すとして、それを食い止める術が果たしてあるだろうか。

 

持続可能性は、記憶やアイデンティティーの連続性と不可分の関係があり、本質的に景色の中に内包されるのだ。

情報化の行方

だが、現実には一つの景色や価値観を共有するということが、現代社会ではさらに困難になりつつある。この点において、インターネットの普及とスマートフォン(以下、スマホ)の台頭によって決定づけられた情報化が及ぼす(さらには情報化と資本原理の化学反応による)影響を僕はおよそ肯定的には受けとめていない。

 

僕が垣間見た旅先の景色を一つ取っても、情報化によって多様性や自律性、公平性が守られているとは言い難いものだ。例えば、ルーマニアの北部にあるマラムレシュ地方は多彩な民俗芸能の文化で世界的に知られている地域だったが、近年は若者が土地を離れて過疎化が進み、民族舞踊もテレビカメラ向けの出し物としての存在になりつつあった。ポルトガルのリスボンでは下町の生活感が観光的に人気を博しているアルファマ地区の不動産を、先進国のデベロッパーが買い漁っている状況があり、ミャンマーでも市場開放による都市化に伴う外資の拡大が猛威を振るい、奴隷労働に近い環境で現地人が働いている姿を垣間見たものだ。日本でも(既に150年続く事態ではあるが)各地の地方文化や建築様式、自然景観が一顧だにされることもなく着実に消滅しつつあることは周知の事実だろう。

 

固有の文化を捨てて進む先はグローバルという名の荒野だ。

 

情報空間が公平性や多様性の庇護者であるかのような錯覚は、おそらく情報のアーカイブ化によって「多様な情報や記録にアクセスできる」ことが個人の利益につながるというイメージを過大に評価しているからなのだろうが、実際に起こっていることは画一化と格差拡大である。

 

僕の理解では文化の多様性というものは、どちらかというと地政学的な制約や時間感覚及び「選択肢のなさ」が人間の想像力や工夫を刺激することによって成熟するものだと思う。自然環境に根ざした素材、風土に育まれる人々の色彩感覚や造形的志向、民族的なルーツや宗教性などが融合し、長い時間をかけて煮詰まることで文化は独自の形態になる。

例えば、日本は森林国で多湿多雨、温暖な気候という条件で木造建築の構造や機能性が進化し、床で暮らす生活様式や食生活によって器の形や服装が発達した。またシルクロードや海洋交易を通じて世界各地からもたらされた文物が、島国故に多国間の大きな戦乱にさらされずに受け継がれ、アレンジされたものが文化の核になっているし、季節の変化が多彩で美しいために自然に遊ぶ独自な文化的風習が発展してきたように、様々な要素が、或る制約の中で時間をかけて調和していくのである。そして、こうした風土の多様性が文化の多様性に直結するメカニズム自体が情報網や交通網のもたらす際限のないボーダレス化、高速化によって消滅するのは必然である。

 

そういう意味では、1970年代にロンドンやNYで花開いたパンクロックですら地方の社会構造の中で抑圧された若者たちのストレスや共感や「行き場のなさ」が、芸術表現としての爆発した「地方文化」ともいえるだろう。

 

どの文化も少なからず国際的な交流の上に成り立ってきたではないかという反論もありそうだが、インターネットの情報空間の特徴は、物理的な人間の接触を介さないため、実態としての共同体や人々の共感、共有意識を育まずに資本原理が個人に直接アクセスできてしまうことで、精神の密室性を高め、システム依存を加速させることや、他の文化を自己のアイデンティティーに落とし込むための時間的なゆとりや、経験的な理解が伴わないことなどが決定的な違いなのではないかと思う。

 

かくして人々は密室にこもりながら、幻想としての、より華やかな世界、より強い権力に憧れ、「選択肢の多さ」故に早晩、自ら土地や文化を捨てていく。そして大多数は都市や大資本の労働者であり先進国の下層階級に組み込まれる。

 

情報でつながるほどに、それまで細かく分立していた文化や権力のピラミッド(ヒエラルキー)は巨大な一つのピラミッドに吸収・統合され、統合されればされるほど権力の上層(先進国、都市、資本家)と下層(途上国、地方、労働者)の落差は広がり、相対的に下層の比重が大きくなって行く。

 

下層に追いやられた人々や地域はいつしか「逆転不能」なグローバル経済のカラクリに気づき、都市や資本の原理、知的エリートたちのリベラリズム、都市のダイナミズムを育む多民族の融合をも否定し、排外主義や民族主義、保護主義、テロリズムなどに閉じこもっていく。片や先進国、都市のエリート層は悪気がないのになぜ攻撃されるのかわからずに、排外主義を「人道的」に非難する。

 

そして、これは何者かの悪意によって生み出されている流れではなく(悪意が介在する場合もあるだろうが)、情報テクノロジーの合理性と人間精神のギャップによって機械的に進行していく現象なのである。

 

社会構造をテクノロジーが決定づける構図が強大化するほど権力と知識階級、資本、科学技術は密接なつながりを深め、教育の格差がそのまま経済格差にも繋がりやすくなる。

 

それでは、どのようにしてこうした情報化のメカニズムを制御できるのだろうか。

 

これも困難を極める道のりである。僕たちが日々あらゆる用事をスマホに依存しつつある事実こそが、ことの深刻さを端的に表している。

 

スウェーデンの精神科医であるアンデシュ・ハンセン氏が自らの著作「スマホ脳」(新潮新書)で警告していたように、人々は気づかないうちにスマホにあらゆる生活インフラや仕事のツールを乗っ取られた挙句、寧ろ自律性を急速に失い、情報を外部に依存するほどに記憶力や判断力が低下し、低下するほどに無条件で情報空間への依存を深めている。さらにショッピングや情報検索をビッグデータ(脳科学)に基づくアルゴリズムの介入で巧みに操作され、かつ欲望中枢を刺激されることによって、ある種の情報中毒にさえ陥っているという。SNSを積極的に利用する人ほど自己肯定感が低下することなどの検証データも象徴的な問題提起であり、一連の考察は確かに「人間精神の情報技術に対する無力さ」を浮き彫りにするものだったと思う。

 

人々がスマホに膨大な時間を費やす中、記憶や感覚を共有することはいよいよ困難になり、実態としての街、景色、社会への関与・依存度は低下し(現実の街は衰退し)、相対的に存在感を高めた情報空間が現実であり実態であるという錯覚が一人歩きをする。

 

現実や他者への経験的な洞察力や共感が失われて行く中で、人々は実生活で失われた共同体を情報空間でのコミュニケーションで補おうとして仮想の共同体が発達する。だが、生身の共感が無い分、観念的な言論に依存した関係性に陥りやすく、イデオロギーの先鋭化をまねきやすい。格差拡大で被害者意識が強い貧困層が数的に多数派を占めれば、その意識に働きかけることで扇情的なポピュリズムは成立しやすくなる。

 

情報の自然淘汰でわかりやすく派手な言説に集約化、分極化も起こり、現実への距離感を麻痺させながら、他者を批評・批判する機会が無限に増えて行く。ちょっとした誤解や情報源の違いが、いつの間に巨大な争いに発展し、その争いは相手が仮想空間である以上、出口のないものとなる。

 

情報リテラシーが叫ばれるも、2000年代中盤からの10年間で世界のインターネット情報量が20倍以上にもなったと言われる情報空間でのリテラシーは事実上不可能に近く(ディープフェイクや陰謀論の流行も影響し)、自己と世界の明確な関係性、距離感が急激に不明瞭になる中で、人々は真偽不明な「お気に入りの物語」に逃避するしかない……。

僕自身、インターネットや都市の利便性を享受してきたことは間違いないし、それを全面的に否定できる立場ではないが、グローバルな情報空間は共生社会の糸口でもなければ、基本的に多様性、持続可能性に寄与するものではないと感じる。

 

気候変動やコロナ禍によってグローバル経済や都市化の限界が突きつけられ、自律分散型の社会構造への転換が主張され始める一方で、分散を促す手段や前提が情報技術に依存するとなれば、それ自体がある種の矛盾を示している。SDGsの主要テーマである「格差の是正」が相対的に途上国や大多数の貧困者の産業化にも寄与することを思えば、環境問題との本質的な矛盾に突き当たる可能性は高い(本来は先進国の生活水準を大きく下げた上で平等を語るべきなのだろう)。

 

環境問題は、人間同士の実態的な経験の共有が遠のく中、炭素量やエネルギー効率などの科学的概念論で、人々を連帯させられるだろうか。大体どの統計が信頼の置けるもので、その「リテラシー」は可能なのだろうか。人類が「競争」と「拡大」を最優先に志向してきた歴史を思えば、僕たちはかつてないほどの強い意志を持って現実の矛盾にこそ立ち向かわねければならないのだろう。

 

僕たちはスローダウン、スケールダウンを実現し、不確かな妄想ではない、本質的な世界の「共有」に向かうことができるのか。いかにテクノロジーや情報が社会構造に影響を与える時代であるとはいえ、人間はあくまでも物質的な存在であって、あらゆる社会活動は自然の資源に依存し、何らかの構造物として結実する以上は、本質は「何を作り(作らず)」「どのような景色」の中で生きるのかということに集約されるのではないかと僕は考えている。

「景色」と「自然」

そして地球上で暮らす限り「景色」は「自然」を抜きにしては語れないものだ。

 

僕が経営する山小屋(雲ノ平山荘)の現場である北アルプスにおいても、景色と自然をめぐる問題は切実なテーマであり続けている。

 

科学的な理論以前の問題としても都市化、情報化、資本主義やコロナ禍によって混沌を深める現代社会において、「自然」は数少ない共有可能な価値観であり、普遍的に立ち返ることのできる原風景である。国立公園などの自然保護制度も、社会が日常的にその原風景に立ち返るために生み出されたものだ。

 

しかし、日本では歴史的に社会学としての自然(景観)保護思想が大衆に根付かなかったことで、国立公園が思想的な背景を持たず、消費的な観光政策に傾斜したものになっている。公的な予算や人材が極端に不足し、実態として積極的に自然を保護するシステムがないため、これまでは山小屋などの民間事業者が成り行き的に維持管理してきたが、時代の変化とともに山小屋の経営基盤も揺らぎ始めたこと(※コロナ後の山小屋)で問題は暗礁にのりあげようとしている。

 

また、民間にも行政にも自然環境や景観学のエキスパートがいないため、本来「守るべき景色」を明確に物語るべき場所であるはずが、景観の管理水準に関する定義がほとんど存在せず、時折行われる公共事業では、かえって景観を破壊してしまったりする有様だ。

 

この状況をどう立て直し、山小屋が「自然と人間社会の創造的な関係性を築く場所」として進化していけるのか、日々考えている。

 

だがここでは日本の国立公園問題を掘り下げるのは別の機会に譲るとして、自然保護についての日本やヨーロッパにおける歴史的な認識の違いや、そこから見えてくる各文化圏毎の「持続可能性」への理解や距離感の違いなどについて考えてみたい。

 

はたして自然保護や景観保護とは何だろうか。

 

歴史を紐解けば、19世紀にヨーロッパで芽生えた自然保護運動は、産業革命によって発生した強大な開発圧に対して、景色や生活文化を守ろうとした市民の人権運動から展開した。

 

景観は歴史的、文化的アイデンティティーの基盤として重要な要素であり、唯一無二の共有価値である、という多くの人々の意思があった。後にそれは広義の「自然保護運動」とか「景観・郷土保護運動」という括りで語られるようになるが、その中には実に様々な視点がある。

 

芸術家や建築家は工業化されていく世界に対して生命の神秘性や自然の美、文化様式の尊重を訴え、科学者たちは生物多様性の保全を主張し、社会思想家は人間の生活環境としての持続可能性や人権問題、あるいは資源問題を掲げ、農村の小作人から都市の労働者になった人々は労働の余暇に領主に占有されている美しい自然を楽しみたいと声をあげた。

 

「自然」という漠然とした単一の視点があったわけではなく、寧ろそれぞれの立場における異なる目的や思いが、民主的な権利意識の中で多様に表現され、ある種の対立をはらみながらも「自然環境や生活の美を必要とする」人々の意思として社会的な潮流になっていったのだ。それがやがて有力な財閥や政治家を動かすことで、文化や自然環境に学びを得る機会を将来にわたって失わないようにするための様々な制度に結びついた。

 

イギリスでは自然や文化を守る合理的な制度がない状況で、市民たちが自ら守るべき土地を購入するトラスト運動が起こり、その活動が国民的な支持を集めた頃に、「ナショナルトラスト法(トラスト運動で取得された土地を法律で保護する法律)」が成立し、アメリカでは自然保護運動の浸透に伴い、開発によって危機に瀕した原生自然を保全する政策として世界で初めての国立公園が成立したのである。

 

国民的な議論が法制度に結びつき、法制度以前に市民側に自然保護団体などができることによって、自然保護は市民が主体であり監視役であり、行政と市民の適度な緊張感を持った協働関係で形作るというあり方が定着した(かくして自然保護は現場から始まる以外の成り立ちはあり得ない。目の前の自然の美しさをどう守るかという物理的な欲求は生活者の目線であって、ビルの中の役人が観念的に扱う性質のものではない)

 

こうして、市民が声を上げて「生活を守る」価値基盤があるため、現在の気候危機に対する各種世論も基本的には芸術や科学、社会思想、市民運動の構図の中で語られ、何か全く新しい理論が台頭するというよりは、グレタ・トゥンベリ氏に象徴されるように「なぜ大人たちは約束を守らないのか」という論調が根底にあるわけである。

一方で、欧米の各地で自然保護運動が起こりつつあった頃、日本では「市民」は主役ではなく、殖産興業・富国強兵に沸き立つ中で寧ろ自然破壊が加速する時代を迎えていた。その時代の価値観の中で成立した国立公園も、外貨獲得などの観光経済を主眼においた政策になったのも必然的な流れであって、その価値観の脆弱な国立公園ですら実現しなければ、上高地もダムに沈む運命を免れなかったとも言われている(国立公園成立史の研究:村串仁三郎;法政大学出版局)。近代化や工業化が台頭する時代において「自然」の価値を改めて社会に位置付けることができなかったのだ。

 

そして、これは優劣の問題ではなく、ヨーロッパと日本のそれぞれに固有の歴史が生み出す自然や社会に対する認識の違いである。乱暴な見方かもしれないが、僕は両者の間には以下のような文化的な相違があると考えている。

 

ヨーロッパ

●土地の開発・資源利用に対して大陸の脆弱な自然環境(土壌)故に回復力が弱く、また中世までキリスト教の世界観で自然(野生)を悪魔的なものとして捉えていたことから「自然を人間が管理する」という意識が芽生えやすかった(「自然」の客体化、外部化)。

 

●社会は、圧倒的な暴虐政治や多民族、多宗教が激しくせめぎ合う戦争を経験し続けたことで、個々人が能力を高く持って積極的に社会に関わって権力の均衡を保つことが定着した(民主主義、言論の自由、能力主義)。

 

●文化的なアイデンティティーや生活様式、宗教性などを人々が共有し団結することで共同体としての勢力を維持することなどが現実問題として社会にとって不可欠な生存条件になって行った(景観や文化様式への共感、保守主義、比較文化人類学の発達)。

 

日本

○温暖で多湿多雨な気候、素材の豊かさや自然の回復力の強さによって、無意識的に自然に依存して生きる感性が強い(自然の日常性、自然信仰、生活資源としての管理)。

 

○農耕文化の安定による粘り強い労働観、村社会的な縦割り、分業などの集団意識が醸成された。しかしその安定ゆえに「今まで通りやれば良い」という意識が強化され、新しいアイディアが受け入れられ難い社会心理が生まれ、年功序列や前例主義、「我慢すれば生存は保証される」という社会心理をもたらした(昭和の高度成長もその心理を強化した)。

 

○島国という地政学的な環境に守られて国家間、民族間の巨大な戦争や虐殺を経験せず、戦争があってもほとんどが同族間の権力争いだった。封建権力も民衆に対しては極端な先鋭化をせずに(第二次世界大戦を除く)長い歴史を比較的平和に過ごしてきたため、個人の社会参加意識は弱く、言論の多様性などが育まれづらかった(政治的他力本願、「個」の不在、危機感の欠如)。

 

○意識を外敵や政治に向ける必要がなかった分、豊かな自然素材に培われた多彩な物作り文化、自然に遊ぶ茶道や花道などの文化の独特な発達が促されたが、地域や身分による意識の隔たりが大きく、それを社会全体で客観的に評価する視点が醸成されなかった(文化への自覚的な共感の欠乏)。

事実日本の歴史の実態をみれば、江戸時代後期には大規模な産業化(陶芸、鍛治、薪炭、農業)と都市化(江戸100万都市)などにより全国的に森林資源が枯渇し、土砂災害などの公害も大きく顕在化していたわけだが(「森林飽和」太田猛彦著:NHK出版)、それでも3000万人の人口をかろうじて養えたのは自然の回復力の高さ故であった。見ようによっては自然の豊かさを強みにして「持続可能な限界領域での最大限の消費活動」を当時から行なっていたのであって、積極的な自然保護ではなかったのである。

 

豊かな自然の中にいることで自然は特別視されず、自然が生活資源である限りにおいて維持管理されたのであって、開国による国際貿易の活性化によって外国の資源を調達できる環境に移行した時点からは、あっさりと自然は有限な資源でも信仰対象でもなくなってしまった感が強い。そして、多くの農民にとっては自然は生活資源ではあったが、同時に他に選択肢のない労働の場であり、村社会・身分の束縛であり、文化的な美意識の文脈で捉えるべきものではなかった。日々の営みの結果として村落の景色が美しかったとしても、その景色自体が守るべきアイデンティティーにはならなかったのだ。

 

自然保護という発想は、客観的に自然を一度人間社会から切り離し、相対化して見ることができないと機能しないものだ。すなわち、木製品や藁細工を捨てるのと同じ感覚で山中に冷蔵庫を投棄する者は、自分自身が「自然状態」であって、自然界に生分解不能な異物を投棄しているという自覚さえないかもしれず、江戸初期に神田山を切り崩して江戸の沼地を整地したのと同じ感覚で、現在も国中をセメントで埋めているかもしれないのである。

また、総じて平和な歴史だったが故に日本では人権意識が成熟しなかったということが言える。欧米で人権意識や言論の自由が強く作用して「自然を守ろう」という思想が普及して行ったことを思うと、人を守ろうとする前に「自然を守ろう」という話にはなかなかならない。

 

現代の日本社会の人権に関する各種統計【平均就労時間の長さ(男性世界1位)、労働生産性(先進国中最下位)、職場に対するエンゲージメント(忠誠度)や出世意欲(野心)の低さ、自己肯定感の弱さ、男女格差、子供の貧困率、自殺者数、教育予算、文化財予算、自然保護予算】などを見ても、人々が主体的に自然や景観、社会全体の持続可能性にまで想いを馳せる精神的な余裕がない状況が垣間見える。

 

思えば、街の景観や自然環境についての関心が低い一方で、室内空間のおしゃれ雑貨やインテリアデザインなどへの関心が高いことは、権利意識の所在を物語っているのかもしれない。自分の権利を行使できるのは部屋の中までであって、街路や山野などのパブリックスペースにまで及ぶものではないという感覚があるのではないだろうか。

 

コロナ禍に際しても、芸術活動やアウトドア文化などが不要不急の烙印を押されてスケープゴートにされた嫌いがあるが、それは文化や美意識、想像力、コミュニケーションなどの数値化できない要素が人々の団結や積極性、希望をもたらすという意味において、社会の存続や防衛にどれだけ決定的な重要性を持つのか、という認識が欠落していることの表れだったと感じる。

 

かくして、客観的に文化や自然環境を捉え直して思想として社会に定着させることができなかったため、明治の開国以降、欧米の圧倒的な科学技術や都市文明を前にして、自文化を国際的に劣っているものだと位置付けて、なし崩しに放棄する流れが生じた。この国において、民主化は「競争」であり「稼ぐ自由」であり、哲学なき規制緩和、自由経済化に偏り、世代を超えて共有すべき文化的な美意識、生活感を維持できず、長期的な計画性をもてず、社会全体が回転効率ありきの経済原理に舵を切ってしまった。

 

こうした価値観の結果、文化的アイデンティティーの消失と際限ない国土改造、地方の過疎化、都市の過密化が起こり、あらゆるレベルで土地への愛着やプライドが衰退し、なし崩し的な自然破壊が地方の過疎化を加速し……という無限ループが繰り広げられている。人々の我慢強さに依存し、人間が「美」を必要とする精神的な生き物であるという認識が欠如した社会を作ってしまったために、頼みの綱の「我慢」の限界とともに経済も、技術も、繁栄も去ってしまうという現実と向き合っているのだ。

 

同じ気候変動問題や景観論を語るにせよ、このような文化的な前提の違いや現状認識の質の違いを理解しなくては、実態を伴った対策にはなり得ない。生活や自然環境への美意識や倫理観を伴ったテクノロジー論なのか、「再生可能エネルギー」は再生可能なのか、持続させたい現実の世界・景色が共有された「持続可能性」なのか、ということである。

現実と向き合うということ

最後にこれから僕たちはどのような景色を共有できるのか、という話で締めくくりたい。

 

気候危機、格差の拡大やイデオロギー対立の激化などに見舞われる僕たちの社会が問われているのは、テクノロジーや科学的な統計指標をあてどもなく追い求めることではなく、「このままでありたい」と思える現実の景色を、より強く想像することだ。

だがそのためには「共有すること」自体がますます難しくなっている現実を直視しなければならない。

 

人類はこれまでも長い歴史の中で、自らの繁栄を確立するために知識や技術を積み上げ、行使するうちに、いつの間にか資源を使い果たし、自らの生活環境を破壊し、その都度自然との関係性や調和について改めて考える、あるいは他所に救いを求めるということを繰り返してきた。

 

しかし着実に実現される繁栄がより問題のスケールを巨大化させ、人が栄えること自体が最大の問題という状況にすらなりつつある。止まることのない科学の歩み、資本主義に象徴される競争原理のスパイラル、情報化に伴う噛み合わない「正義」同士の争いの激化…我々は、どこになら戻れるのだろうか?

 

僕は、これらの限界を噛み締めながら、今一度目の前の景色と向き合うべきだと考えている。折しもコロナ禍によって、グローバル経済や都市機能が麻痺し、多くの人が「今、自分のいる場所」がどこで、その土地がとういう景色であり、どういう精神状態を呼び起こすもので、そこには誰がいるのか、誰がいたのか、思い出す機会を迎えている。

 

遠い異国に旅に行かないことによって、思いがけずしばらく会ってなかった友人に再会し、歩いたことのなかった近所の路地裏のささやかな美や歴史の記憶を発見し、見知らぬ人々の救済ではなく、すぐそばの人々の悲しみに耳を傾けることもあるかもしれない。

 

また、世界同時進行的に起こっているコロナ禍に対し、市井の人々はどのように連帯し、政治はそれに対してどういう意思表示をしたのか、それぞれの文化圏における社会のあり方、心意気などを比較論として検討しやすくなっているとも言える。

 

ともあれ、どんな便利なテクノロジーが出現しても、ベッドに寝転がったまま食事の宅配を頼めても、モニター越しに世界中の人々とチャットができても、僕たちが生きているのは、目の前の、自分の足で立ち、手で触れることのできる景色の中である。

 

この簡単な事実を見つめ直す時、何が変わるだろう。

 

このままでありたいと思う世界を築くことができるのは(あるいはそのヒントは)、良くも悪くも「今ここにいる」僕たち一人ひとりの頼りない「感覚」に他ならない。その頼りない感覚を、用心深く合わせて行く。

 

人と人が経験や思想を真に共有できた時、概念と現実は調和して行くのだ。

 

足元の自然や目の前の人々に関わるということ。

それが数少ない確認可能なことであり、可能性である(その感触を知った時にこそ、遠くの世界の人々の現実にも想いを馳せることができるはずだ)。

 

雲ノ平の秋は刻々と深まっていく。

葉を落としたななかまどには真っ赤な果実が実り、色彩をなくした冬枯れの景色に華やぎを与えている。ホシガラスが今日も松ぼっくりを加えながら辺りを飛び交い、草原はかすかに枯れ草が風に擦れ合う音が響くばかりだ。

 

近年は温暖化の影響か初冠雪の時期もどんどん遅くなっているが、今年は山荘を閉めるまでに雪景色を見ることができるだろうか。混沌とした人間社会のはるか上空で、静かに季節が巡り、星々が音もなく明滅している。

 

僕は、ここで出会った人たちと景色を楽しみ、守ろうと思っている。これからも自然の美しさは、大きな可能性でありヒントになることだろう。

 

そして、僕たちの存在そのものも、いつしか景色の中の痕跡となり、木々の梢の輝きとなり、小鳥たちのさえずりとなって、気づかぬ間に人々に共有され、世界の記憶になって行く。

 

善きこととは、きっとそういうことなのだと、近頃は思う。

EDITOR

国広 信哉

山、野外録音、辺境音楽、ノンフィクション好き。京都と長野で生きてます。

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