企画「山小屋、そして弱い私は」に寄せて

企画「山小屋、そして弱い私は」に寄せて

企画「山小屋、そして弱い私は」に寄せて

自分は弱いなあと思う。早起きするはずが適当に理由をつけて二度寝。夕飯前なのに買い食いはしょっちゅうだし、ランニングも三日坊主。身の回りの問題ですらこんな感じなのに、巷をにぎわす数多の社会問題ならなおさらだ。

 

もともと山の中で育った。春には裏山の急斜面で山菜を収穫し、秋には稲穂の揺れる姿に見入った。飼い犬は野生の猪に殺された。遊び場である川では何度も溺れた。そんな原体験がひきづって、いろんな経験をもたらしてくれる山に今でも惹きつけられる。

 

だから山に対して、「一方向」のレジャー消費や資源利用の観点でなく、「双方向」に関与し合えるような関係性を作れるとハッピーだよなあと思っていたのが、この企画の原点にある。

 

そんな折に、雲ノ平山荘という山小屋に出会った。その営みの周縁から、山はもちろん、自然との「持ちつ持たれつ」な関わりあい方を見つけることができるんじゃないかと思ったのだ。その営みの周縁を、4つの視点でまとめたのが今回の企画だ。

 

物語は山荘主人の伊藤二朗さんの言葉から始まる。1本目の語りは山荘の「当事者」から見る視点。2本目は雲ノ平山荘という「場」を見る視点。3本目は登山道という「インフラ」を見る視点。4本目はより広く自然環境という「公共」を見る視点と、同心円状に広がっていくイメージだ。

 

弱い自分には、マッチョな態度で「すべき」と声をあげる行為が苦手だ。だからこそ、今回の企画を通して、読んだ人が私も「したい」と思えることを何よりも重視した。シンプルに「雲ノ平に行ってみたい!」でもいい。その気持ちを誘発したいのだ。

 

論理的な言葉でなく、感性的な言葉で。すぐに消費される言葉でなく、長く時間をかけて咀嚼できる言葉で。彫刻家であり、民俗学者の土方久功の言い方を引用するなら「交感」のような言葉だ。

ああ人間は何故 たったひとつの言葉をしか発展させなかったのだろうか 私には何かもう一つの言葉が必要のように思う 私たちが花や鳥たちに向かいあっている時に それほどではなくても 人間お互い同士にしても 現在実用されてる言葉とはちがった いわば非実用な… 今では黙っていることが 一番わかり合えるような いわば心の奥を語り合う場合に 適確に用いられるような もう一つの言葉がほしいと思う

「交感」は「理解」とは異なる、他者との共存のあり方のひとつだ。

 

自然との関わりあい方の再考を迫られる岐路で、この小さな企画が、私たちがどう立ち振る舞うかを考えるきっかけになると最高だ。

 

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堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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