2021年、『海辺の彼女たち』という映画が公開された。「技能実習生として来日したベトナム人女性の話」という宣伝を見て、「これは観なければ」と劇場に足を運んだ。
6年ほど前、私はベトナム・ホーチミンで、渡日を控えた技能実習生に日本語を教える仕事をしていた。出稼ぎをしなければいけない彼・彼女たちの事情、受け入れる日本企業側の言い分、間を取り持つ仲介業者の言い分。いろんな人のいろんな声に囲まれて、「この仕事は誰かを幸せにするのか」をぐるぐる考え続け、帰国して日本語教師の職を離れた今もその答えは出ていない。ただ小さな後ろめたさが、いつも頭の隅にある。
そんな個人的なことを入口に、『海辺の彼女たち』の藤元明緒監督にお話を伺った。技能実習生の話に限らず、戦争のニュースも社会のいやなニュースも日常的に入ってきて、誰の悲劇とも無関係でいられない。そんな中で感じる後ろめたさと、藤元さんはどのように向き合っているのだろうか。
※本記事には『海辺の彼女たち』の内容に関する記述が含まれます。
藤元明緒
1988年生、大阪府出身。ビジュアルアーツ専門学校大阪で映像制作を学ぶ。日本に住むあるミャンマー人家族の物語を描いた長編初監督作『僕の帰る場所』(18/日本=ミャンマー) が、第30回東京国際映画祭「アジアの未来」部門2冠など受賞を重ね、33の国際映画祭で上映される。長編二本目となる『海辺の彼女たち』(20/日本=ベトナム)は、国際的な登竜門として知られる第68回サンセバスチャン国際映画祭の新人監督部門に選出されたほか、第3回大島渚賞を受賞。第31回日本映画批評家大賞 新人監督賞受賞。
脚本に沿わず、その場で動いた感情を撮る
2つの国に引き裂かれた在日ミャンマー人家族を描いたデビュー作『僕の帰る場所』と、技能実習生として来日したベトナム人女性たちが登場する『海辺の彼女たち』。藤元さんの撮る作品は主に日本と海外の間にある問題を扱っていますが、映画の道を志した最初の頃からそのような作品を撮りたいと考えていたのでしょうか。
もともと海外旅行もほとんどしたことがないし、海外志向はなくて。偶然、企画会社の「ミャンマーをテーマにした映画を撮る人を募集」っていうのを見て、おもしろそうだったので応募しただけなんです。ミャンマーがどこにあるのかも知らなかったのに。
その企画からできたのが『僕の帰る場所』なんですね。
実際にミャンマーへ行ってそこで暮らす人に出会ったり、日本に住むミャンマーの友達ができて飲み会に誘ってもらったり、ミャンマーの方との付き合いが増えていった。だんだん関係性ができて、僕にとって大事な場所になった。『僕の帰る場所』はそういう関係性の中でできた映画です。
その後ミャンマー国籍の妻と出会って結婚して、日本で働く上での大変さや差別を受けた経験を日常的に聞くようになりました。妻の影響で、日本で働く外国人のことを日々考えるようになり、その結果『海辺の彼女たち』のような映画が生まれた。そんな感じなので、まさか自分が海外をテーマに映画を撮るようになるとはまったく思っていなかったんですよね。
撮影の仕方も出演者の自然な演技も、まるでドキュメンタリーを観ているようです。そういった作風は、最初から想定していたのでしょうか。
想定していたというより、結果的にそうなった、というのが正しいです。実は手持ちカメラでドキュメンタリータッチの映画ってあんまり好きじゃないんですよ。「映画は絵画のようにバチっと美しいフレームで」と思ってたんですけど……。
そうなんですね! 意図した撮り方なのかと思っていました。
プロの俳優ではない方をキャスティングすることが多いので、その人の生の感情が出てくるよう、撮影現場での環境づくりをとにかく細かくやるんです。脚本はありますがそれに沿うのではなく、口伝のような形でディスカッションをして、その場で動いた感情を撮っていく。なので何が起こるかはカメラを回すまでわからず、結果的にカメラを動かさざるを得なくなるという。
複雑な世界を生きていく、彼女たち個人の物語にしたかった
『海辺の彼女たち』は、日本の問題として報道されることも多い技能実習制度や不法就労を取り上げた作品ですが、この映画はどのように生まれたのでしょうか。
きっかけは、日本で妊娠した外国人労働者の方の話を立て続けに聞いたことです。日本に残り続けるために中絶を選択するとか、産んだのに誰にも相談できず子供が亡くなってしまったとか。そのときちょうど妻も妊娠していたので、僕と出会っていなかったら妻も同じ状況だったかもしれないと、すごく身近なことに感じたんですよね。だから、外国人労働者である母親と、そのお腹にいる命と向き合う物語というのが最初に出てきたんです。
「技能実習制度の闇」のように社会的なテーマが先にあったわけではなく、あくまでも個人的な感情の動きが発端なんですね。
『僕の帰る場所』もそうでしたが、映画をつくるときは社会的なテーマよりも個人的なできごとを膨らませて広げていく作業が多いですね。「キャッチーで注目度の高い社会問題だから」という理由なら、僕が撮る必然性がないので。指針がなくなるのが怖いので、今は手の届く範囲での物語を作っている状態です。
いわゆる出稼ぎ労働者の働く環境は、低賃金、長時間労働、日本人上司からのパワハラなど、いろんな問題が指摘されています。そういう点によりフォーカスして「この人が悪い」という撮り方もできたと思うのですが、あくまでも「彼女たち」の目線で淡々と進んでいく作品にしたのはなぜですか?
撮影当時から、技能実習生に暴力をふるう日本人の話なども知ってはいました。ただそれは制度ではなく人間性の悪意の問題で、そこを突き詰めても「外国人が日本で働くこと」とはまた別次元の話になってくる。なので、あえて「この人が悪い」という描き方はしませんでした。
実際には何をどこから解決すればいいのかわからないほどに絡み合っている。実習生を受け入れる側が悪意を持っているというよりは、企業側も切羽詰まっていて、みんなが崖っぷちの状態で制度が動いてるんで。日本人が悪いとか妊娠した人が悪いとか、特定の誰かを攻撃することも可能なんですけど、でもそういうことじゃない。究極的には「資本主義が悪いの?」のような話になってくる。その中でどう生きていくかという、彼女たち個人の物語にしたかったんです。
技能実習制度をなくせという声もありますが、制度がなくなったところで彼女たちが実家に仕送りをしなければいけない状況は変わらないですしね。
そう、制度がなくなったところで、似たような別の何かが必ず生まれると思います。これは舞台挨拶でも話すことですが、僕はこの制度自体に反対しているというわけじゃないんです。
わかりやすい悪者はいないし、何が「正しい」のかもわからない。観客に完全に解釈を委ねる映画だなと感じましたが、それも意図したものなのでしょうか。
そもそも解釈は自由なもので、それ以上も以下もありません。無限に解釈ができるからこそ、想像力を使う。想像力を働かせること自体が彼女たちを思う心に繋がっていってほしいなという願いはあります。
あのラストシーンは一生忘れられないと思います。
あのシーンは……とにかく撮影が難しかったですね。しゃべらないシーンだから頼りどころがない。表情も難しい。撮り終わったあとで「これは果たして映画になるのか?」みたいな……。でも、ラストシーンを印象的と言ってくれる方は多いですね。
観客に当事者性を求めるのは、加害性を伴うこと
『海辺の彼女たち』を観た人は、少なからず後ろめたさを感じると思うんです。映画の中に「この人が悪い」という明確な悪人がいないですし、ドキュメンタリータッチもあいまって「自分にも関係があることなんだ」と当事者性が強まるというか……。
限りなくリアリティにこだわった撮り方は、観た人を当事者にしてしまいます。結果的に『海辺の彼女たち』は、観客が登場人物と同化するような撮り方になってしまった。最近、観た人に当事者性を求めるのは加害性の高い行為だなと感じているんです。映画館に来ただけなのに、勝手に巻き込まれて当事者にさせられる。それは怖いことでもあるなと思います。その中で何をどんなふうに何を描くのかは、大きな責任を伴うことです。
現時点で、ご自身の感じる「加害性」との向き合い方の落とし所はありますか?
解釈を任せる以上、映画の加害性を真剣に考えたら究極的には「撮れない」はずなんです。かなり矛盾していますが、「どうしても撮りたい」が勝っちゃうんですよね。加害性を自覚した上で、コミュニケーションに発展していけばいいのかなとは思います。暴力で終わるのではなく、いい方向に向かうためのコミュニケーションにはなり得る。
映画館で上映後の舞台挨拶を何度も行っているのは、「いい方向に向かうためのコミュニケーションに繋げたい」という気持ちからでしょうか。
それはあります。まあ、舞台挨拶で監督が出ちゃうのはちょっとずるいんですけどね。強すぎる絶対意見になってしまうので。
ああ、「監督はこう言ってるぞ」みたいな。
でも、しゃべりたがりなんですよね(笑)あと僕自身も気持ち的には観客なんですよ。作り手ですが、同時に自分が作ってない感覚もある。演じ方をけっこう任せているのもあって、映画と自分の間に距離があるんです。だから「このシーンってどういう意味だったのかな?」って自分でもわからないときがあるし、観た方の感想から「こういう解釈があったのか」と気づくこともあります。
舞台挨拶ではどういったコミュニケーションが生まれましたか?
映画の受け止め方はその人次第なので、いろんなご質問や感想をいただきました。ベトナムの方と一緒に観に来た日本人の方に、「あなた、ベトナムにすごく悪いイメージを与えてますよ。どう思いますか」ってものすごい剣幕で言われたこともあります。かたやベトナム人で技能実習制度についてまったく知らなかった方が「本当にこんなことが起きてるの? おかしいでしょ」と言って、横にいた方が「知らないの? 大変なんだよ」ってベトナム人同士で会話してたり。
いろんな立場の方が映画館に足を運んでくれて、貴重な時間でした。外国人とどう暮らすか、現場ですごく繊細に考えている人がたくさんいることもよくわかりました。
なにか「コミュニケーションを経ていい方向に向かった」と手応えを感じたできごとはありましたか?
「悪いニュースばかりでいやになって、外国人労働者を支援する仕事を諦めたけれど、この映画を観てもう一度チャレンジしたいと思いました」という声は本当に嬉しかったです。
『海辺の彼女たち』の感想は、映画を観た感想というより「彼女たちをどう見たか」の感想が多かったんです。観た人が映画を通して、普段は絶対に出会わないであろう彼女たちと擬似的な出会いの体験をしてくれた。それだけでも本当に作ってよかったと思えました。映画って怖い武器にもなる反面、力がいい作用として働いたときの喜びはやっぱり忘れられないです。
生半可な気持ちで「救い」は描けない
今ってマスメディアやSNSで情報がどんどん入ってきて、いわば「毎日勝手に何かの当事者にさせられる」状態だと思うんです。技能実習生の話もそうですし、戦争の話や社会の悲しいニュースを毎日見聞きしていると、「何が起きているのか知ってはいるけど何もできない」という後ろめたさや無力感が積み重なっていく気がします。藤元さんご自身は、その気持ちとどう向き合っていますか?
抽象的な話になりますが、自分の手が届く範囲、両手を広げたときの世界の距離感をちゃんと把握しておくっていうのは大事なのかなと思っています。半径5メートル以内の世界とどう関係性を持って生きていくのかに立ち戻る。手が届く範囲を大事にするために、世界の情勢とか、良いも悪いもいろんな情報を入れてるんだと思います。
マザー・テレサの言う「世界平和のために、家に帰って家族を大切にしてください」に近いものを感じます。
「家族を大切にする」は真理だなと思いますね。普通の日常を、普通に過ごす。そのことの尊さを正直に楽しむ。そこに尽きます。ただ、想像は続けます。息切れしない範囲で想像を続けながら日常をやっていくのが大事なのかなあと思っています。そして僕の場合、その「半径5メートル」が映画になる。
最初のほうでも「手の届く範囲での物語を作っている」というお話がありましたが、自分にしか撮れない映画をつくることが、ご自身の後ろめたさとの向き合い方の落とし所になっていると。
そういえば、映画の感想として「どうして(『海辺の彼女たち』を)もっとハッピーエンドにしてくれないんですか?」は本当によく言われるんです。これって後ろめたさにつながる話だと思っていて。
その質問にはどう答えるんですか?
その時によって違うんですけど、ちょっとイライラしてたりすると「まず彼女たちは『ハッピーかどうか』っていう次元で生きてない。目の前のことに対処してるだけなのにそれを明るい暗いと評価するのはどうなんでしょうか」みたいな……。
「ハッピーなものを観たい」は「自分には何も解決できないけど、物語の世界ではヒーローが現れてほしいし救いがほしい」に近いと思うんです。その気持ちはすごくわかります。でも僕はまだそこを作り出せる領域には立てていない。「すごいハッピーエンドを作りたいな」と思うときもありますけど、現実世界がどうしても息苦しいので、そっちの影響を受けちゃいますね。
「ハッピーエンドを作り出せる領域には立てていない」とは?
今、生半可な気持ちで「救い」って描けないと思うんです。めちゃくちゃ難しい。何かを獲得するとか成功するとか、脚本上はできるんですけど、それは空虚な正義というか、空っぽな救いになりかねない。現実にそんな救いは起きないんで。先に「ハッピーエンドを作ろう」って思ったら失敗すると思うんですよ。「そんなの映画だけですよ」と思わせちゃうと、それは観客から遠いものになってしまう。
半径5メートルにしっかり向き合って作っているからこそ、わかりやすいハッピーエンドにはできないということですね。
「ハッピーエンドかバッドエンドか」じゃなくて、ラストカットのあとでその人の人生がどう続いていくのかを考えられる映画にしたいんです。2時間ほど映画を観て「楽しかった!」と満足して寝る頃には内容を忘れるという見方もそれはそれで好きですが、観た後も映画の世界がずっと続いていくようなものを作りたい。
「あの人の明日はどうなるのか。映画のラストシーンでは不幸だったけど、もしかしたら明日は笑ってるかもしれない、明日は幸せな瞬間があるかもしれない、そうだったらいいな」みたいな。上映時間で区切りをつけるんじゃなく、その先も続いていくような。
観客である私たちの人生が映画を観たあとも続くように、映画の登場人物たちの人生も続いていくんですね。
現実の世界でふと「あの子たちはこういう思いだったのかな」と考えてもらえる、リフレインしてその人の記憶にずっと残り続けるという意味では、『海辺の彼女たち』は観た人の心に深度深く届く作品になったんじゃないかという手応えがあります。せっかく作るのなら、そういう映画が撮りたいですよね。
「ラストカットのあとの人生に思いを馳せる」というのは、映画だけじゃなくニュースやSNSで切り取られた情報に触れるときにも大事な考え方なのかなと思いました。
人生は「成功」とか「不幸」とか決めつけられるものではなく、きらきらした瞬間もあれば悲しい瞬間もあって、それぞれが雑多に詰まってる。そのことを忘れずにいたいと思いますね。
撮影/村上大輔
新作&イベントのご案内
2022年4月16日(土)~22日(金)、ポレポレ東中野をはじめ全国18館の劇場で開催されるイベント「映画を観て、ミャンマーを知る Vol.2」で、藤元明緒監督の新作短編『白骨街道 ACT1』、デビュー作『僕の帰る場所』が同時上映されます。
『白骨街道』はミャンマーである高齢の女性に出会った経験をきっかけに生まれた映画です。第二次世界大戦時にミャンマーで残留日本兵による侵略があったことを、僕は彼女に聞いて初めて知りました。その女性は、日本人から酷い目に合わされたにもかかわらず、僕たちの旅の前途に祈りを捧げてくれたんです。その心境ってどんなものなんだろう? という疑問から、この映画作りが始まった気がします。今作を『ACT1』とし、シリーズで続いていく構想を持っています。(藤元監督)
『白骨街道 ACT1』
ミャンマー北西部のチン州。少数民族ゾミ族の一団が、日本兵の遺骨を発掘するため、かつて第二次世界大戦の戦場だった場所に向かう。鍬を振るう若者たちの手によって地表から立ちのぼるのは、かつての争いの記憶。彼らの仕事を通じて見つめる私たちの“戦後”。
構成・監督・編集:藤元明緒
撮影:岸建太朗、録音:弥栄裕樹、プロデューサー:渡邉一孝、キタガワユウキ
日本、ミャンマー/2020年/16 分/日本語・英語字幕
© E.x.N K.K.