【ブンガクの小窓】第十四章「ラディカル」

【ブンガクの小窓】第十四章「ラディカル」

【ブンガクの小窓】第十四章「ラディカル」

どういうときに使うか

音楽に関する形容詞はたくさんある。メロウ、ドープ、スムース、スインギン、ダンサブル。これらはメロディやリズムに関するもの。詩的、共感できる、ロマンチック、ロジカル、ポリティカル。これらは歌詞に関するものだろう。

 

音楽好きが音楽を聴いていると、どうしても何か言いたくなってしまう。先日だって友人ととあるバンドの曲を聴いているとき、お互いにさまざまに言葉を探した。そんな中、彼は「ラディカルだなぁと思う」と言った。政治的な歌詞のロックバンドだったから、本来ならば「政治的(ポリティカル)」と言うべき場面だったのかもしれない。しかしおそらく、その演奏にはこの言葉以上の何かが入っていたのだ。

 

今回扱う「ブンガク語」はこの「ラディカル」という形容詞である。もちろん、使われる場面は音楽にとどまらない。「~な発言」、「~な思想」、「~な問い」などどちらかと言えば政治や思想について用いられることが多い。一体、どういう言葉なのだろうか。

根っこにもどる

「ラディカル」、もともとはラテン語の「radix(根)」に由来している。根っこという名詞が、形容詞になることで「根本の」、という意味になる。同じ語から由来しているのが、たとえば「根」菜のラディッシュ。大根類に属し、日本名はハツカダイコンであるあの小さな野菜もまた、ラテン語の「根っこ」から来ているのだ。

 

というわけで、先に挙げた例にあてはめると、「根本的な発言」、「根本的な思想」、「根本的な問い」となる。だがこの語が「イズム」となる、すなわち「ラディカリズム」となると、とたんに取り扱い注意な言葉と化してしまう。

 

この語はマスコミなどによって、「急進主義」と訳されることがある。「急進」には違った訳語があるので少しややこしいのだが、これは「根本的な」という意味に「結論を急ぐ」とか「穏健でない」とかなどというニュアンスを加えている。いくつかの主張が対立したときに、そもそもどう考えるべきかと根本に立ち返って問い直そうとする態度が、今ある考え方や議論の相手方を全否定して過激な主張を展開することにもつながりうる、というわけだ。

立ち止まって考えること

しかし、ラディカルに考えることは常に「危ない」思想なのだろうか。たとえば、中東情勢や選挙において、「急進主義」と形容されると非常に危険で、敵がたくさんいるような思想のように聞こえる。そうした面もあるだろうが、根っこに戻るという意味から考えれば、単に日常生活で「初心を忘れない」ことだってある意味ではラディカルのはずである。

 

してみれば、この語は単に批判されるべき思想について言うわけではない。何かの判断に迫られたときに、そこでいろいろな価値判断を一旦停止して、最も大事なことに戻って考えるという思想を指しているということになる。落ち着いて何が一番大事か考えよう、と立ち止まって考えることと、「急進」主義とは全く正反対の事柄のはずなのに、ラディカルという一語で表現されるのだ。こうした事態がこの語の分かりにくさを生んでいるのだろう。

争いが激化するときには、双方の主張が先鋭化している。そうなってしまえば、力で相手をねじ伏せるのでなければ、激化した価値対立が解決することはない。もとい、相手をねじ伏せたとしても、それは本来の意味での価値対立の解決ではない。それは、さまざまな価値のバランスの上で、お互いの大事なものを譲り合う妥協点を探ることによってしか成立しないはずだ。

 

昨今の日本では、以前にもまして選挙戦でさまざまな思惑や価値が競合してひしめきあっているが、相手の主張が過激に思えたときには、単に相手を間違っていると即断する――急進主義だとレッテルを貼ることで聞く耳を持たない――のではなく、少し立ち止まって考えてほしい。一体相手と何が対立していて、何が一番大事なことなのかを。私たちは今こそ、ポジティブな意味で「ラディカル」であるべきなのではないだろうか。

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ケガニ
ケガニ

神戸の片隅で育った根暗な文学青年が、大学を期に京都に出奔。
アルコールと音楽と出会ったせいで、人生が波乱の展開を見せている。

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EDITOR

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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