【ブンガクの小窓】第五章「ユートピア」

【ブンガクの小窓】第五章「ユートピア」

【ブンガクの小窓】第五章「ユートピア」

なんとなく使っているけれど、よく考えると意味が分からない言葉。今回のテーマは「ユートピア」です。歌詞や漫画で見かけるこの語のうしろに隠された意味を探ります。

どういうときに使うか

独特の響きをもつ言葉、「ユートピア」。目にしたところで、その意味を問うことなく素通りしてきたのではないだろうか。この語は「まだ見ぬユートピア」とか「ユートピア目指して」といった風に、どこかロマンチックで夢見がちな歌詞や文章で用いられる。 では、今回も結論から言ってしまおう。

 

ユートピアとは「桃源郷」のことである

Illust by たかいし

といって、今度は「桃源郷」がわからない人もいるだろうから、一応説明しておくと、「理想の別世界」という意味で「桃花源記」において詩人、陶淵明が用いた言葉である。だが、ユートピアという語は、単に「天国」や「理想の地」というだけではない独自のニュアンスを含んでいる。

トマス・モアのユートピア

ユートピアとは、ギリシャ語のtopos(場所)に否定の意味をもつou(~でない)を付けて、「無い場所」、つまり「実現していない場所」を指す言葉であり、16世紀初頭から用いられた造語である。 いったいなぜこんな造語が必要だったのだろうか。 イギリスの政治家トマス・モアは1516年、その名も『ユートピア』という著作において、この語を造った。この本、実はイギリス社会への批判のために書かれた本である。

 

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)

 

モアは、「ユートピア」という自由で平等な架空の国を考え、いかにイギリス社会がこの理想からかけ離れているかを指摘したのだ。当時のイギリスはバラ戦争と呼ばれる王位継承の内乱が収まったばかりで、絶対王政がだんだんと現在のイギリスの姿を形作っていった時代だから、市民たちは貧しい暮らしに疲弊しきっていた。

 

そこで政治家モアは理想の国に近づくために何をすればいいかを説いたわけだ。彼のように社会の福祉や平等を尊重する思想を「社会主義」という。ちなみに、こうして批判精神の強すぎるモアは、彼を嫌った当時の王、ヘンリー8世によって処刑されてしまうことになる

空想的社会主義のユートピア

時代は飛んで革命後すぐの動乱期、19世紀初頭のフランス。サン=シモン、フーリエといった社会主義思想家が登場する。彼らもまた新しい政府に対して大きな理想を掲げていた。彼らの主張は技術発展に支えられた平等主義にあったが、どちらもやはり現在の国家と根本的に違う国家、ユートピアを想定していた。

Illust by たかいし

ところが、あまりに理想を描くばかりで現実的な政策につながらなければ、結局ユートピアは実現されないままになってしまう。徐々に現実主義を自称する政治家たちによって、ユートピアという語は「単なる理想主義者」というレッテルとして用いられることになってゆく。ユートピアは実現しないからこそユートピアなのであり、現実的な政治は目の前の状況を直視して行われるべきだ、というわけだ。

ユートピアは必要ない?

では、ユートピアはまったく不必要な思想なのだろうか。 確かにユートピア思想について、理想ばかり掲げて現実を見ようとしない態度では、現実の政治にかかわることは到底できないだろうし、つねにひとつの理想を持つことなんて結局は固定的で宗教的な価値観しか与えられないのではないかと批判することができる。

Illust by たかいし

だが、現実の政治を目にしてより良くしていこうとする場合、未来へ向かって一歩踏み出そうとする場合、この一歩目をどこに向ければいいかをその都度現実を超えて考える必要がある。この現実を超えた一歩先の世界はやはり今の状況に対する「ユートピア」だと言えるのではないだろうか。つまり社会をより良くしようと考えるならば、つねにユートピア的な思考が不可欠なのかもしれない。

 

このとき「一寸先は闇」ではなく、「一歩先はユートピア」となるわけだ。

 

今回は「ユートピア」について考えてみました 新しい年、2017年は始まったばかりです。 今年はどんな風に過ごしていこうかと、それぞれの理想を想い描いてみてはいかがでしょう。

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