人が自由になるための学問・リベラルアーツは「『私』を取り戻す学問」なのかもしれない

人が自由になるための学問・リベラルアーツは「『私』を取り戻す学問」なのかもしれない

人が自由になるための学問・リベラルアーツは「『私』を取り戻す学問」なのかもしれない

「リベラルアーツ」を経営の軸に置く、ブランドマーケティング企業・FICC。

 

その代表取締役である森啓子さんは、社員ひとりひとりの興味や想いを起点に、社会の中に問いを立て、探求しながら学びにつなげ、新たな価値を生み出していくプロセスが大事だと話します。


実は、森さんに単独インタビューをさせていただくのは、これが2回目。

 

初めてインタビューをしたのはちょうど1年前ですが、お話が終わったあと、気持ちがとても軽くなったのを覚えています。その頃私は、自分が書き手としてどう成長していくべきなのか思い悩んでいました。でも森さんのお話を聞いてから、「この『価値』を生み出すまでのプロセスを繰り返すことで、新しいものが書き続けられるかもしれない」と新たな光を見出した気になったのでした。

 

でもその後、ひとつの疑問が沸き起こります。そもそも「興味を持つ」って、そこからさらに「問いを立てる」って、どうすればできるようになるんだろう?

 

「書く」ということは、興味を持ち、問いを立て、探求することの繰り返しです。どうすればそれができるのか、この先もずっと続けていけるのか……いつか森さんに聞いてみたいと考えていました。

 

日本の教育では「問題を出される」ことはあっても、自ら「問いを立てる」機会はなかなかありません。さらに社会に出れば、仕事に追い立てられるせわしない日々が待っています。そんな中で、「興味を持つ」「問いを立てる」ということを行い続けるには、どんなマインドセットが必要なのでしょうか。

 

学生、社会人、そして経営者として、常にリベラルアーツとともに歩み続けられている森さん。今回はそんな彼女に「どうしたら学び続けられ、その学びを社会で活かし続けられるか」というテーマでお話をうかがいました。

森啓子

神戸女学院中学部・高等学部を経て、米マウント・ホリヨーク大学 BA(文学士)、米マサチューセッツ芸術大学大学院 MFA(美術学修士)課程修了。米国デザイン・広告会社で勤務後、2005年、株式会社エフアイシーシー入社。グローバルブランドのデジタルマーケティング戦略、プロモーション施策、ブランディング施策を多数担当。2019年、代表取締役に就任。

「自分はどう世界を見ているか」こそが豊かな資源

──

ご無沙汰しております。またお話をうかがえる機会がいただけて嬉しいです。

森啓子(以下、森)

こちらこそ、またお話できて嬉しいです。今回はとても興味深いテーマをありがとうございます。

──

まずは改めて、森さんにとっての「リベラルアーツ」とは何か、今考えていらっしゃることも含め、教えていただけますか?

はい。リベラルアーツの起源は、古代ギリシャ・ローマ時代に起こった、人として自由になるための学問「自由七科」だと言われています。当時奴隷とされていた方たちが市民として解放されるときに、人が学ぶべき学問として始まりました。なので、単にいろんな分野を学ぶということではなく、それを通じて自由に生きていくというのが、リベラルアーツの本質なんですね。

 

12世紀に初めてヨーロッパで大学が誕生したときにもその学びが重要視され、17世紀にはピューリタンたちによってアメリカへと広まっていきます。私は当時からリベラルアーツの本質を守っている、一番古い歴史を持つアメリカの女子大に通っていたんです。

 

じゃあ自分にとって「リベラルアーツって何なのか」というと「世界を見つめること」、そして「自分を見つめること」だと考えています。世界をマクロなところから理解するというよりも、あらゆる既成概念や固定観念から思考を自由にして、「自分の視点から世界をどう見るか、どう問いを立てていくか」を重要視しているんですね。その上で、新しい問いや価値を未来に作っていくということです。

 

また、リベラルアーツはキリスト教の歴史とともに紡がれてきたものなので、根底のところに「互いの存在に感謝し合う」という価値観があります。ひとりひとりの存在意義を貴重なものとし、互いの視点を掛け合わせることで学んでいく。それがリベラルアーツだと考えています。

──

ありがとうございます。前回インタビューをしたときにもそのお話をうかがって、私の中でリベラルアーツのイメージが変わったんです。私はこれまで、リベラルアーツを教養のことだと思っていました。自分の外側にあるいろんな知識を網羅的に身につけることがリベラルアーツなのだと。でも森さんは、自分の内側……ひとりひとりが「自分がどう世界を見るか」が起点にあるとおっしゃっていますね。

はい。そもそも学問って、ここからが数学でここからが美術ですよ、というふうに区分がなされているものではないんですよね。それらがゆるやかにつながっているのが世界であり、その世界をどう見るかは個人によって異なります。それを比較し合うのではなく、互いにどう見るかという「視点」に出会うことが、世界を広げていくことだと思うんです。

 

もし人が無人島に住んでいたら、ロジックは必要ない、という話を聞いたことがあります。ロジックは、共同体の中で共通認識を持つために必要なものなのだと。そう考えると、そもそも何を伝えるのかという部分が必要で、私はそれが「自分はどう世界を見ているか」だと思うんです。なので、そもそも「自分はどう世界を見ているか」というオーガニックな視点こそが豊かな資源なんですね。そこから対話が生まれ、価値が生まれるのだと信じているんです。

高校時代、オーストラリアに留学していた森さん
──

なるほど。そのお話を聞いて、自分が受けてきた日本の教育を振り返ると、「自分はどう世界を見ているか」というオーガニックなところと、「共同体の中で生きる」ためのロジカルな部分が、分断されていたような気がします。たとえば保育園では好きなように遊んでいたのに、小学校に入ると席に座ってロジックを詰め込まれる……そのロジックこそが「勉強」だと考えていました。

私自身も日本で教育を受けていましたし、もちろんそこには良い側面もあります。ただ、日本ではどちらかと言うと「暗記をすること」が学ぶ定義になっていますよね。それは学ぶ人のためというより、一定基準の中で人が評価されるという、社会の仕組みのためにそうなっているように感じます。

 

一方で私がやりたいのは、ロジックで「どのように伝えるか」の前に、オーガニックに「なぜそう思うのか」のところから問いかける、ということなんですね。

──

そもそも、森さんはいつリベラルアーツや学びに興味を持たれたんでしょうか?

高校時代に、オーストラリアへ1年留学をしたのがきっかけでした。そこで数学の授業を受けたとき、衝撃を受けたんですよ。

 

日本では、数学のファーストステップとして方程式の暗記をしますよね。暗記ができないとそこで終了。でもオーストラリアでは、グラフィックカリキュレーターという電卓に方程式を全部覚えこませて、授業や試験に持ち込むことができたんです。つまり、方程式を覚えるのが目的なのではなく、それを使ってどのように目の前の問いに向かっていくの?ということ。そんな教育を目の当たりにしたとき、180度考え方が変わりました。暗記が苦手だった私が、数学という学問と出会い直せた瞬間でしたね。

 

もうひとつは、海洋学という授業でのことです。オーストラリアは海に囲まれた土地なので、クラスで毎日ビーチに行くのですが、そこで「浜辺の傾斜を測って、自由に論文を書きなさい」という問いが出されたんですね。私は、毎日の風向きのデータと掛け合わせるということをしたのですが、他の子はたとえばそのエリアに住む人たちの生活や活動に着目したり、地域の歴史から紐解いていったり、それぞれのやり方で問いに向き合っていました。つまり「答えがない」「人の数だけ答えがある」という教育です。

 

そのとき、自分のアイデアが広がっていくような余白を感じ、世界が広がるワクワク感を覚えたんです。学びの世界って本来こうなんだろうなと。それが学びに興味を持つようになったきっかけですね。

「マーケティング」と「ひとりひとりの想い」を掛け合わせる

──

そこで得た学びを、FICCの経営に活かしていらっしゃると。

はい。FICCはブランドマーケティングを行う会社なのですが、私はこの会社を、リベラルアーツによって価値を創造していく会社にしたいと考えています。ブランドマーケティングというロジカルな世界と、ひとりひとりの想いというオーガニックな世界を、どのように融合すれば、存在意義により価値を創造することができる新しい企業のあり方を実現できるか。そのときに軸になるのが、今言ったリベラルアーツの考え方なんですね。

 

私たちは量産された商品を販売している会社ではないし、人口が減っている現代は、量よりも質が求められる時代です。そんな中で、FICCの資源は何かというと、社員ひとりひとりの知識なんです。知識は劣化しないし、無限に広がっていくもの。それを、マーケティングというロジカルな世界と掛け合わせて、いかに新しい価値に変えていけるか。そう考えたときに、ひとりひとりのバックグラウンドや想いを起点に「問い」を立てることが必要になってきます。

 

だから社員のみんなには、心が動くテーマに出会ったら思考の旅に出てほしいと言っているんです。たとえば「エシカル消費」「クリエイティブ」など、普段当たり前に使っている言葉も、自分の興味から出発して「そもそもそれって何だっけ?」と深堀りしていく。ピュアな興味から答えのない「問い」に向き合い、探求する中で、自分のユニークな「視点」に出会ってほしい。それが新しい価値の創造への足がかりになると考えています。

──

なるほど。ここでも「自分が世界をどう見つめるか」が起点となるのですね。

そうです。私たちはこの一連の流れを「パーパスと学際的リベラルアーツによるイノベーション」と呼んで、会社のコアとしています。片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんの言葉に「スパークジョイ(近藤さん流の「ときめき」の英訳)」というのがありますが、まさにスパークジョイを起点に探求していこうと呼びかけているんです。やっぱり、ワクワクしたものでないと向き合えないですからね。

 

枠を押し付けられるのではなく、世界を自ら広げる……実は、みんなそういうことを求めているんですよね。すると自己肯定感も動機も生まれ、主体性をもって取り組むようになる。最近では多くの社員が、誰かからの指示ではなく自分の想いを起点にして、新たな価値を生み出そうとしているのを感じます。

答えのない「問い」に向き合う習慣のつけ方

──

今回うかがいたかったのは、まさにその部分なんです。森さんがおっしゃったことを実際にやろうとすると、かなり難しいのではないかと思っていて……。社員のみなさんは、最初からうまくいったのでしょうか。

おっしゃる通りで、慣れていないと難しいです。「スパークジョイを起点に、答えのない『問い』に向き合う」ってどうやるの?って感じですよね。

 

それでもFICCでは、「答えを渡さない」ということを徹底しています。それは、自分自身が海外で経験した、答えのない問いに向き合うことで、自分自身が豊かになった感覚を信じているから。その感覚は海外留学しないと得られないものなのかと言ったら、決してそうではありません。答えのない問いに向き合い未来を創造するって、どういう環境でもできるはず。そのことを、組織のトップである私自身がブレないで信じることが大事だと考えました。

 

「最小ルール、最大余白」という言葉を大切にしているのですが、余白があるからこそ自分の解釈が介入でき、ストーリーになり、それを享受していける。その積み重ねが、自己肯定感に繋がり、自らの想いをもって価値を創造し続けることができる人になる。まずはその余白を、私がキープし続けることが大事なのだと。

 

とは言え、最初はみんなやっぱり苦労する。でも、絶対できるんですよ。これって習慣化だと思うんですね。

──

習慣化?

はい。以前、習慣化のメカニズムをリサーチしたことがあったのですが、たとえば「野菜を食べよう」とか「早起きしよう」という行動や生活リズムの変化って、数週間から1ヶ月でできるそうなんです。だけど、思考の変化には半年近い期間がかかるらしいんですね。

 

だから「答えのない問いに向き合いましょう」って言ったって、すぐできるようなことじゃない。まずは半年以上かけて、ずっと続けること。その中で成功体験を得たり、自己肯定感が高まったり、腹落ちする価値を感じたり、実体験を通じて納得しながら、習慣になっていくものだと思っています。

──

その思考の習慣をつけるには、具体的にはどんなことをしたらいいでしょう?

身近なことからでいいかな、と思いますね。目に飛び込んでくるキーワードをスルーせずに、ちょっと意識して深堀って考えてみるとか。

 

例えば今回のインタビューのテーマである「学ぶ」「勉強する」という言葉ですが、お話をいただいたとき、「この言葉に自分がどう感じるだろう」というところから始めたんです。すると、これらの言葉に対して、私自身少し違和感があるな、ということに気がついたんですよね。「学び」という名詞だとすっと入ってくるのに、動詞になるととたんに強制力を感じるというか、経験とギャップがあるなと感じたんです。つまり私にとって「学び」は純粋に探求していくもので、自分を強制するようなものではないんですよ。

 

と、こんなふうに、「この言葉に出会ったとき自分がどう感じるのだろう」「そもそもこれはどういう意味だろう」とピュアな部分から入ることで、「ああ、自分はこんなふうに思っているんだな、なぜならば……」と自分をより知ることができる。その積み重ねで世界が広がり、どんどん問いが増えていくのだと思っています。

世界に対するピュアな興味を持ち続ける方法

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森さんは、自分の感覚に敏感でいらっしゃいますね。ひっかかりやワクワクといった感覚を大事にしていらっしゃるんだなと感じます。でも、私自身は仕事をしているとき、どうしても自分の心の声を無視してしまうんですよね。クライアントの課題や求められていることを最優先にして、「今はいろいろ考えている場合じゃない」と自分の感覚をスルーしてしまうというか……。

おっしゃるように、クライアントの情報や求められていることをもとにロジカルに考えるのも大事なんですが、私がまず大切にしているのは、「自分が相手に対して純粋にどう感じるか」ということなんです。自分はこのブランドのどういうところに共感しているだろう、向き合うクライアントの方に対してどんな気持ちを持っているだろう……そういう自分の純粋なリアクションに耳を傾け、「素敵だな」「共感するな」と思っていることを隠さず伝える。

 

こちらが自己開示すると、向こうも思っていることを伝えてくれるんですよね。そのように互いの視点や気づきをギブし合う対話の中に、世界を広げる種があるんです。自分がピュアにどう感じるか……仕事に追われると、それを見つめるのが難しくなるけれど、歳をとってからもずっとやっていきたいですね。

──

とても大切なことだなと感じます。ただ、年々自分の心の動きが鈍っているようにも感じていて……。森さんは、どうしたらピュアな興味を持ち続けられると思われますか?

世界に興味を持つことが、「自分というフィルターを通して世界を見ていくこと」だとすれば、それってイコール「自分に興味を持ち続けること」なんじゃないでしょうか。つまり、自分の人生に意味を創造していくことではないかと思うんです。

 

たとえば過去を思い返したときに、「ああ、あれってこういうことだったのかな」と意味が見出されると、それが未来につながっていく。今だけを捉えるんじゃなくて、過去と未来がどうつながっているのか、タイムラインを往復しながら繰り返し考えることで、意味が紡がれていきます。そこには正解・不正解はありません。それは、自分だけのストーリーなんですね。

──

自分で、自分の人生に意味づけしていくんですね。

そうです。さらに、自分の人生を振り返るだけじゃなくて、自分が生まれる前まで振り返ってみたり、自分がいなくなったあとまで想いを馳せてみる。過去からもらったものを、どう未来にパスしていくか……個人レベルだけではなく、人類の時間軸で見てみるんです。

 

そういうふうに時間軸をどんどん大きく俯瞰していくと、自分の人生の意味がより大きな世界の中で意味づけられていき、ずっと世界や自分に興味を持ち続けられるようになると思います。

──

なるほど……そういう考え方でいると、たとえば空に浮かぶ雲ひとつ見ても、そこに意味を見出せそうですよね。意味を紡いでいこうという意思さえ持っていれば、目の前のあらゆることがメタファーになりうるというか。

おっしゃる通りだと思います。メタファーを見出すとはつまり、「意味を紡ぐ力」ですよね。一見なんの関係もなさそうなことでも、そこに意味を見出し、抽象化し、自分と掛け合わせる。すると何が生まれるだろう、と考える。

 

以前トークイベントでご一緒したMITメディアラボの石井裕教授と、美学について対話したときに、「未完成であることに惹かれる。それぞれが生きてきた人生の記憶や感動によって、その余白を埋めて初めて完成する」とおっしゃっていましたが、このランダムな世界で出会う何かと何かの空白の間をどう埋めていくか。存在しないところに意味をどう与えるかというのが、その方の美学なのだと思います。

──

それこそが、「私自身の視点」なのかもしれませんね。自分の人生だけじゃなく、より大きな時間軸でそういった視点を持つことができれば、なんというかもっと大きな……。

もっと大きな世界になっていく感じがしますよね。想像していただきたいのですが、自分の中に世界が広がるのと同様に、人の数だけ同じように世界が広がっているんです。その人の世界に出会うことで、さらに大きな世界が生まれる。それができると、対話は宝物になります。

 

だからこそ、自分の想いを相手に伝え、相手の想いを貴重なものとして受け止めること。その先に何かがあるのだと信じながら、互いの想いを通じて見る世界を持ち寄り合い、対話を続けていくことが大事なんですね。

「あなたはこの現実をどう理解して、これからどう生きていくの?」

──

冒頭で森さんは、リベラルアーツのことを「自由を取り戻すための学問」とおっしゃいました。当時のリベラルアーツが「奴隷が人間性を取り戻すための学問」なのだとしたら、森さんのおっしゃるリベラルアーツは「『私』を取り戻していく学問」なのかもしれませんね。

あ、まさにそうですね。そうかもしれません。

──

ですが、多くの方がそこでつまずいているように思います。「私」を取り戻すためには、どのような足がかりを作っていけばいいと思われますか?

今「私」を取り戻せないと感じていらっしゃる方は、間違ったことを言ってはいけない、と思っていらっしゃるんじゃないでしょうか。だけど「私」のストーリーはあなただけのものであり、そこに正解・不正解はなく、誰にも否定できないんだよ、ということを伝えたい。そういった、自己否定しなくてもいいような価値観に触れること、人や文章に出会うことが、まずは大事なんじゃないでしょうか。

 

私自身、いつも講演するときには、自分が経験してきたリベラルアーツの人生の話からするんですね。私のストーリーにも正解・不正解はないし、「すべての人の存在が貴重なものだと信じている」ということを、心から伝えるようにしているんです。それが伝わると「自分も話していいんだ」と感じて、相手も自分から話してくれるようになります。

 

また、会社の中で常に「答えのない問いを出している」と言いましたが、それはつまり「人の数だけ答えがあっていいんだよ」というのを体現した行為なんです。「これが正解だから再現してね」って言うのは、「あなたの存在はいりません」って言ってるのと同じ。でも「これについてあなたはどう思いますか?」と質問を投げかけるのは、「あなたの存在は貴重なものですよ」と表現していることと同じなんです。そういう心理的安全性を保つことが、とても大切だなと思います。

──

私は「私」を信じて、「私」の言葉で話してもいいのだという……それこそ、自由になる、ということですね。もしかしたら「私」を信じるということは、世界を信じることでもあるのかなと思いました。そこにちゃんと意味はあるのだ、と。

確かに。私自身、「すべては必然である」ってずっと信じているんですよ。両親がそういう教育方針だったんですけど、たとえば私が社会的に見て評価されない……点数が悪かったとか試験に落ちたとかの状況になったとき、「それは、神様がこっちじゃないよって教えてくれているんだよ」って言ってくれていたんですね。目の前で起きていることすべてに意味があるんだと、教えてくれたんです。

 

それは単に甘やかされていたんじゃなくて、「目の前のファクトをとらえて、あなたはどう意味を紡ぐの?」っていう問いをもらっていたように感じます。「あなたはこの現実をどう理解して、これからどう生きていくの?」と。その問いがずっと自分の中に残っているように思います。

──

たとえば今、世界中の人が直面しているコロナだって、「何の意味があるのかな」と自分なりに考えることで、新しい視点や可能性が得られそうですね。目の前で起こっていることにはすべて意味があると考える。それが、ピュアな興味を持ち続ける大切な燃料になるのだなと感じました。ありがとうございました。

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EDITOR

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、ようやく7歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに〜」でANTENNAをスタート。2021年にPORTLA編集長になる。関係者各位に助けられ、発見と失敗の多い毎日を謳歌中。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを務める。

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岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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