勉強とは「布石」を置くこと。そして誰かとつながること。勉強家・兼松佳宏インタビュー

勉強とは「布石」を置くこと。そして誰かとつながること。勉強家・兼松佳宏インタビュー

勉強とは「布石」を置くこと。そして誰かとつながること。勉強家・兼松佳宏インタビュー

大人になってからの方が勉強の重要性を感じるのに、学校を卒業した今どうすれば勉強できるのかわからない……そんな悩みはないでしょうか。

 

ネットがあればいつでも誰とでもつながれて、調べたいことは指先ひとつで検索できる。とくにコロナ以降、あらゆる教育施設が急速にオンライン化されました。でも本当に「学校」というリアルの場所がなくても、勉強ってできるものなのでしょうか。そもそも今の時代において、勉強って何なのでしょう?


そんな問いをもって今回お話をうかがったのは、「勉強家」という肩書きで活動されている兼松佳宏さんです。Webマガジン『greenz.jp』の編集長を経て、2016年にはフリーランスの「勉強家」として独立し、京都精華大学特任講師に就任。「beの肩書き」や「スタディホール」などソーシャルデザイン教育のためのプログラム開発をするかたわら、みんなで勉強するための手法を研究してきました。

 

現在は、朝5時半にみんなで集まり、勉強を通して自分の情熱に水をあげる習慣を共に作る、『スタディ・リトリートのリズム』を本格的に開始。春から移住した先の長野でも、新しい勉強の手法を模索し続けています。

 

兼松さんが「勉強家」という肩書きを自らにつけたのは、30歳のころ。専門性を深められない、何かのプロフェッショナルになりきれない。そんなことに悩んでいたとき、友人に言われた言葉をきっかけに、「専門家」ではないもうひとつの道を見つけたのだそうです。

 

「勉強家」という肩書きをつけてから10年。今の兼松さんが思う「勉強」についてうかがいました。

兼松佳宏

1979年生まれ。2006年、ウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わり、10年から15年まで編集長。16年より京都精華大学特任教員として、ソーシャルデザイン教育のためのプログラム開発を手がけた後、21年より「グリーンズの学校」編集長。著書に『beの肩書き』『ソーシャルデザイン』、連載に「空海とソーシャルデザイン」、秋田県にかほ市出身、長野県北佐久郡在住。

「勉強家」と名乗って10年、独学者の限界に気づいた

──

兼松さんは現在40歳になられたとのこと。ご自身の肩書きを「勉強家」とされたのが30歳のときだったとうかがいましたが、それから10年経ったんですね。

兼松佳宏(以下、兼松)

そうですね。2020年の初めにこれまでの総決算としてマガザンキョウトさんで『勉強家展』という展示を行ったんですが、それで自分の中で一区切りついたこともあって、最近あまり勉強していないんですよね……。もう飽きたかなぁ「勉強家」……、みたいな(笑)。

──

えっ!そうなんですか?

兼松

「勉強家」って言えるのは30代までかなって感じがあるんですよ。はたから見て、40歳過ぎて「勉強家」って言ってるやつ許せねえな、とか思っちゃって(笑)。

──

(笑)。ちなみに、今は具体的にはどんな活動をされているんでしょうか。

兼松

2016年から、京都精華大学の特任講師としてソーシャルデザイン教育のためのプログラム開発をしてきたんですけど、今年の3月末でその任期が終わったんです。

 

それで今後は、以前編集長を務めていたWebマガジン「greenz.jp」のスクール部門「グリーンズの学校」の編集長、2019年に開講した地域を旅するオンライン大学「さとのば大学」の副学長(仮)、ウェルビーイングな習慣をつくるプラットフォーム「Nesto」での「スタディ・リトリートのリズム」のホスト……と、まずはこの3つに集中して活動をしていく予定です。

──

「勉強家」はもういいかなとおっしゃっていましたが、今後の活動もどれも教育……「勉強」に関することなんですね。

兼松

そうなんです。ある意味、「勉強家」を本丸にして教育の現場に呼び戻されている。これまでの経験が土台になって次に行けるのかなと。

 

もともと「勉強家」という肩書きをつけたのは、ある友達が僕のことを「『勉強家』だよね」って言ってくれたのがきっかけだったんです。20代のころはデザイナーをやっていたり、Webマガジンの編集長をやっていたりしたんですけど、「自分って何の専門家にもなれなくて中途半端だな」っていうコンプレックスが常にあったんですよ。でも30歳になったときに、友達にそう言われてすとんと腑に落ちて。

 

それで、36歳で京都精華大学に来るタイミングで、「勉強家」という肩書きでフリーランスになりました。そうすることで、自分がアマチュアであることに引け目を感じないようにしたかったんだと思います。ずっと「専門性を身につけるために大学院に行くべきか」って悩んでたし、その答え合わせがしたかったんだろうな。でも今思えば、あのとき院に行っとけばよかったかな、とも思うんですよね。

──

へえー、それはなぜでしょう?

兼松

いろいろ調べた結果、独学者の可能性と同時に、その限界にも気づいたんですよね。「スタディ」を「コ・スタディ」にしたところで、誰と「コ」なのかで大きく効果が変わってくるなと。いろんなジャンルの独学者が「コ」になったところで、視野は広くなるけど深くはならない。「なにそれ、おもしろいね!」とは言ってもらえるんだけど……。

 

でもたとえば料理教室で良い先生についていると、その日めちゃくちゃ美味い料理が作れたりするじゃないですか。つまり最高のパフォーマスができたってことなんだけど、先生がいなくなったら元に戻ってしまう。だけど、自分の最高のパフォーマンスを知ることができたから、今度はそこを目指して修行していけるんですよ。で、それを再現できるようになるまで、だいたい数年はかかるらしいんですね、ある研究によると。

 

ということは、やっぱり先生のチョイスがめちゃ大事なんですね。「あなたはこういうことができるよね」、あるいは「ここまではできたよね」って言ってくれる人。でもそれは、師匠みたいな人との出会いとか、弟子入りする仕組みとかがないと難しいんじゃないのかな、って最近思っているんです。

大人になってからの勉強は「編集」である

──

まさに今日聞きたかったのは、そこなんです。大人になってからの勉強って、どうしたらいいんですか?という。

兼松

はい、はい。

──

師匠的存在と出会えたら、その後、継続的に教わることになり、体系立てて知識や技術を身につけていくことができますよね。でも学生ならまだしも、社会に出るとそういう存在に出会う機会や場所がなくて、どうしても独学になりがちです。「この本を読んだらいいのかな」と本を読んだり、トークイベントに参加してみたりするのだけど、それは「体系」ではなく「点」でしかないような気がしてしまって……。

兼松

なるほど。思うんですけど、大人になってからの勉強のひとつは、自分なりの意味づけなんじゃないでしょうか。点と点をつないで、星座にしてみる、みたいな。

 

それはむしろ「研究」というよりも「編集」に近いのかもしれない。研究は先人たちの礎があってその上に乗らせていただく感じだけど、編集は旬だったり、いまみんなが関心のあることに乗っかって、ブレスト的に「この特集どうよ!」って新しい切り口や見立てを提示するっていうか。はじまり方が違うんですね。

 

だからやっぱり、研究者になりたいのなら大学院に行ってしかるべき土台を作るべきだったなと思っています。今はもう割り切りましたね。自分は研究者じゃなくやっぱり編集者なんだなって。であればこそ研究のサポートは自分にはできないので、僕ができることとして、点と点を意味づけして「編集」していく……そうした大人の勉強をサポートする仕組みを作っていきたいと思っています。

──

それはたとえば、どういったイメージでしょうか。

兼松

今やってみたいことのひとつが、「自分が学びたいことに授業名を付ける」っていうワークなんです。たとえば僕は言葉遊びに興味があるので、「言葉遊び概論」っていう授業を勝手に組み立てるとしましょう。授業が1クオーターで8コマだとしたら、最初をオリエンテーションにして、最後を最終発表とする。その間はどんな授業をしようか……って、カリキュラムを作っていくんですね。

 

ここで大事なのは、自分はこの授業において教える人であり学ぶ人でもある、ということ。自分に課す課題を自分で考えて、自分なりの理論を体系立てていくんです。ある研究者は学術的な知識を大文字の理論(Theory)、日常経験から形成した持論を小文字の理論(theory)と呼んでいて、その結合が重要だと指摘しているんですが、編集的な”小文字の理論”をそれぞれがつくっていって、結果的に履歴書に書けるくらいになったらいいなぁと思ってます。

──

履歴書に?

兼松

そう、履歴書って、基本的には「こんなことをやってきましたよ」って過去のことを書くじゃないですか。でも、”学びの履歴書”はポテンシャルなんですよね。自分はいま「言葉遊び概論」を学んでいて、「こんなことをやっていきたいんですよ」という。

 

もともと勉強家として言いたかったのはそこなんです。今までやってきたことではなく、やろうとしていることで人とつながれたら、未来でもっといい人間関係ができると思う。

──

なるほど、自分の「勉強」に意味づけしながら未来を作っていく……確かにそれは編集的ですね。そのサポートをしていきたい、と。

兼松

そうですね。学びそのものを編集していきたい。カリキュラムづくりってまさに「編集」じゃないですか。どんな先生を呼んで、どんな話をしてもらって、出口ではどんなふうに行動が変わるのか。結構Webマガジンを作るのと、同じ職能なんだなって気づかされることが多くて。だから僕は今、編集者として学校づくりをしていきたいと思っています。

リアルな「校舎」の代わりになるものとは?

──

学校づくりと言えば、副学長(仮)を務められているさとのば大学はオンライン大学なんですね。

兼松

地域を旅するように暮らしながら、オンラインでも授業が受けられるハイブリッド型ですね。ちょうど、4月から4年制としてスタートしたところです。ただ、今オンライン大学ってすごく増えているんですけど、問題は校舎がないってことなんですよね。誰とも会わないっていうのは結構でかくて、友達ができなかったり、孤独を感じたりしてしまう。実は京都精華大学でも、コロナでオンライン授業になったとき、多くの学生が精神的にまいってしまって、単位を落としてしまったんですよ。

──

わあ、そうなんですね。でも「校舎がない」状況って、まさに今の時代とも符合していますよね。コロナで1か所に集まれないから、リモートになるっていう……。

兼松

そうそう。それでさとのば大学学長の信岡くんのいう「学習するコミュニティ」が大事になってくる。彼は学びには1.0、2.0、3.0とあって、それのバランスが必要って言うんですよ。

 

1.0は、受動的に講義を受ける段階。2.0は、先生がファシリテーターとなって問いを用意し、生徒同士で対話をする段階。3.0は、何をやるかさえも自分たちで決めていく段階。先生もコミュニティの一員として、一緒に学んでいくような状態ですね。

──

はい、はい。

兼松

こう見ると、学び3.0が理想のように思えるじゃないですか。でもおもしろいのが、いきなり3.0をやってもなかなかうまくいかない。信頼関係ができるのはむしろ、学び1.0と2.0の段階なんです。

 

必修科目は先生からの願いだと思っていますが、学生にしてみると強制感がある。でも、強制的であればこそ、基本的な習慣や関係性ができあがったら、やっと3.0にいける。それで、3.0をやってみると今何が必要なのかわかってきて、再び1.0を求めるっていう。

──

へえー、ぐるぐる循環してるんですね。

兼松

そう、学びのサイクルができているんです。だからやっぱりその土台となる1.0って大事だなぁと。共同でインプットする空間。それが大人の学びにも大事なんだろうなって。

──

なるほど。でもやっぱりオンラインだと、関係性は構築しにくいものなんでしょうか? 校舎という、「共同でインプットする空間」の代替となるものってあるのかなって思うのですが……。

兼松

greenz,jpでさとのば大学の記事があがっているんですけど、その中に「関係性が校舎になる」という言葉があるんです。もし場所を共有できていなくても、そこに属しているという意識があれば、そこにホールドされうるのかもしれない、と思うんですよね。

 

たとえば今年、さとのば大学の卒業証書を作ったんですけどね。そこに何て書こうかなって考えて、はじめに作ったのがこれなんです。「あなたはさとのば生です。行ってらっしゃい!」。卒業生も在校生もみんな、今後ずっと「さとのば生」って呼ぼうと思って。

──

「いってらっしゃい」ってことは「おかえり」もあるんですね。

兼松

そうそう。そして最新版には、「あなたは何を手に入れたのか」を先生ひとりひとりから寄せ書きっぽく書いているんです。世の中には「対話力」とか「コミュニケーション能力」とか、いろんな「○○力」って言葉があるけれど、誰かに決められた言葉ってなんだかしっくりこない。だから「文字の力を借りて自分の言葉にコクを出す力」とか、「コンテキストをDIYして他者と成長する力」とか、その学生と僕らのあいだにしかわからない言葉がいいなって。

 

それって、実際にその人と向き合っていないと出てこない言葉なんですよね。そして、その人にとっては一生ものの、戻ってこれるような言葉にしたいな、と。これこそ、関係性が校舎みたいな証ですね。

──

真剣に向き合うからこそ培われる「関係性」が、そのまま「校舎」の機能を果たしている……という。

兼松

そうです。実際、オンラインでしか会っていないのにめちゃくちゃ仲良くなった学生同士もいるんですよ。リアルでは会ったことがなくても、意気投合して泣き合ったりして、お互いに学び合っている。これすごいな!って思って。

──

すごいですね。どうしたらそんなふうに関係性が構築されるんでしょうか。

兼松

オンラインだからこそ、チャットがめちゃくちゃ盛り上がったり、その人の意外な魅力が発露することってありません?「このzoom、深いな!」とか「このタイミングでこの人からこんな言葉出てくる!?すげえ!」みたいな。あと、Googleドキュメントに文章を書き込んでいるときって、途中経過を共有できるじゃないですか。それをシェアし合うことで、影響を受け合えたり。そういうのって普通の授業だと見えないし、起こらないことなんですよね。

──

物理的な存在がないから、概念や、それを表す言葉の力が強くなっているのかもしれないですね。それで共鳴したり共感したりっていう確率が、高まっているのかもしれない……。

兼松

ああ、オンラインだと目と耳だけに感覚が絞られているから、他の感覚を補うために言葉の力が磨かれているのか……なるほど!

──

それで、関係性の構築も狭く深くなっているのかもしれません。

兼松

そうかもしれないですね。オンラインでどこまでできるの?って言われていたけれど、僕は、オンラインだからこそ不思議な関係性が構築できる気配を感じているんです。それがまたリアルな関係性をさらにアップデートしていくのでしょうね。だから今後「オンラインでは無理」って、二度と言わないぞって思っています。

布石があるから、誰かとつながれる

──

「勉強」と向かい合われてから10年、兼松さんが今改めて「勉強」を定義するとしたら何でしょう?

兼松

うーん……そこはブレないですね。ずっと言ってきたんですけど、「勉強とは、自ら強いて努めること」だと思っています。

 

繰り返しになりますが、履歴書は過去のこと、勉強は未来のことなんです。ということは、まだ何者でもないっていうことだから、自ら強いて努めようとするくらいの気概がないと易きに流れてしまう。もちろんひとりで頑張る必要もないし、休むときには休んだほうがいいんだけど、壁にぶち当たっているのがわかっていて、それを本気で諦めたくないのであれば、成長できる証だから「つとめよ」、と言いたい。

 

人生って基本、トランジションじゃないですか。ゆったりと数年かけて移り変わっていく。たとえば『greenz.jp』を読んでくれたりWebで情報を得ようとしている人って、変わりたいと思っている人だと思うんですよね。そのトランジションの意味を見出すために、手当たり次第本を読んでみるもよし、授業を考えてみるのもよし。

──

意味を見出すために、ですか。

兼松

勉強って布石を置くことだと思うんですよ。僕は人生をかけてそれを確かめたいんです。「あの過去はこれとつながっていたんだ」という人生の再編集にワクワクするんです。

 

たとえば僕は「空海」や「ジョルジュ・ペレック」や「相撲」が好きで勉強してきたけれど、これは今後どうつながっていくんだろう?何に導かれているんだろう?って。

 

死ぬときにどういうふうになっていたら幸せなんでしょうね?「ああ、いい人生だったな」って思って死ぬときって、どんな走馬灯を見るんだろう……。

──

……自分がこれまでに置いてきた「布石」でしょうか。それがつながって描かれる星座を?

兼松

ああー、そうですね、つながることって幸せなことだと思うんですよね。もしかしたら「布石」って、自分ひとりのためのものなんじゃなくて、誰かと共有するためのものなのかもしれないな。

──

ああ、なるほど。布石があるから、誰かとつながれる。

兼松

そうそう、自分の中に石があると、誰かと出会ったときに「あ、実はね」って取り出すことができるんですよ。

──

確かに、個人的に興味をもって調べていたことが自分の中に蓄積されて、それがパッと他者とつながったときって、自分にしかできない仕事が生まれますね。社会の中に自分なりの星座が描けると、すごく楽しい。

兼松

うんうん。

──

今、オンライン化・リモート化で言葉が強くなっているのであれば、自分の中の「布石」と向き合い言語化して、誰かと共有できていくとおもしろくなるのかもしれないですね。

兼松

そういうことに気づけました。布石は誰かとつながるためのものなんだなと。

──

私こそ大きな発見をいただきました。ありがとうございました。

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EDITOR

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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