“心が動く”を追い求める旅。カフェ・モンタージュ 高田伸也さんが考える感性のありかとは。

“心が動く”を追い求める旅。カフェ・モンタージュ 高田伸也さんが考える感性のありかとは。

“心が動く”を追い求める旅。カフェ・モンタージュ 高田伸也さんが考える感性のありかとは。

スマートフォンをしまって、一人音楽に耳を澄ませる。最後にそんな時間を過ごしたのはいつだろう。「カフェの形をした劇場」がコンセプトのカフェ・モンタージュは、日常の中で音楽に没頭する時間をもたらす。そんな時間は私たちの暮らしや感性にどんな効能を生み出すのか、オーナー・高田伸也さんにお話を伺った。


カフェ・モンタージュ

2020年11月のある日、私は仕事を早めに切り上げてカフェ・モンタージュに向かった。上野真さんによるL.v.ベートーヴェンの『MEISTERINTERPRETEN』を観るためだ。店内に足を踏み入れると、普段はカフェとして営業している空間が劇場に様変わりしていることに驚いた。半地下の仄暗い空間に30ほどの席が置かれ、お客さんたちが正面のピアノに向かって静かに始まりの時を待っている。私が席についてしばらくすると、会場は満席となった。

 

開演。上野さんがピアノの鍵盤に指を置き、大きな呼吸とともに演奏が始まった。一つひとつの音が空気の振動とともに迫ってきて、ぶわっと鳥肌が立つ。全4曲の中で、少しずつ変化する上野さんの表情が、呼吸が、しぐさが観客を音の渦へと巻き込んでいく。気がつけば五感とともに心の芯が揺さぶられ、涙がこみ上げてきた。

 

終演後、放心状態で席を立った時に、会場の奥で静かに観客を見送る男性の存在に気がついた。オーナーの高田さん、その人だった。

「何に心を動かされたのか」を追い求め、劇場に通い続ける

──

先日の公演で聞く・見るといった身体的な感覚と感性がダイレクトに結びついたような気がします。それと同時に、音楽に関する自分の記憶や知識が蘇ってきて、公演が終った後もしばらく放心してしまいました。

高田伸也(以下:高田)

それは、まさに劇場ならではの体験をしてくださったのだと思います。人は舞台に接しているときに、自分でも処理が追いつかないほど複雑なことを考えるので、圧倒されたような気持ちになるのだと思います。そして感動しつつも、自分が「何に心を動かされたのか」をすぐに把握することができない。

──

なるほど。私は公演を観終わるとすぐに他人と感想を話したり、SNSに投稿したりすることが多いんですが、それもやや強引に言語化しようとしているのかもしれません。

高田

それが良い・悪いというわけではないと思いますが、すぐに公演で感じたことを言語化しようとすると、体験の方が勝って深堀りできないのではないかと思います。そして他の人の言葉に対して反応しすぎると、自分が「何に心を動かされたのか」が分からなくなることもあって、それだともったいないですよね。

ピアノの調律師でもある高田さんは、店内にあるピアノもご自身で調律している
──

自分で感じたことを保つために、すぐ言語化しない方がいいと。

高田

まさに、それが感性なんですね。自分の中でも感性は変化していくもので、捉え続けることも難しい。そこですぐにSNSに感想をアップしたりすると、自分の感性を「人に紹介する」という視点で固定しないといけません。自分の基準ではなく、みんなが「素晴らしい」と思うものでないといけないみたいな。

──

確かに、基準が自分から離れますね。しかしコロナ禍になる以前は、公演が終わった後に演奏者の方とお客さんが交流する時間を設けられていたとのことで、そこではどんなことが話し合われていたのでしょうか。

高田

いろんな情報交換をされていたようですが、その日の公演について話す人はほとんどいませんでしたね。感想が一致することはあまりないし、だからといって人に合わせるより、そのことは自分で大事に持っておくほうがいいのかもしれません。すると、また「劇場に戻りたい」と思うようになる。

──

戻る?

高田

「なぜ自分はこんなに好きなのか」を追い求めていくんですね。心が動かされることの積み重ねで、特にクラシック音楽では、なぜ昔の音楽が今も聞き続けられているのかを考えるポイントがたくさんあって、それがロマンでもあります。逆に自分にとって「何が良かったのか」を考えずに終わると、それはただの消費になってしまう。

──

数を重ねる中で、自分の興味や好きを知っていくということでしょうか。

高田

そう、そうやってずっと追いかけていると過去に読んだ本とか今やっている活動とか、自分の何かとつながるんですよね。舞台の感動が何かとつながった時にここが劇場であるという意義も生まれるし、カフェ・モンタ―ジュもそのような場所になりたいと思っています。

──

つながっていく中で、いつかは公演で感じたことを人に伝えたくなる時もありますよね。

高田

自分が「良い」と思うものは、やっぱり人に伝えたくなりますよね。アンドレイ・タルコフスキーを知っていますか?

──

すみません、分からないです。

高田

『惑星ソラリス』や『ノスタルジア』など、難解で抽象的な作品を作る映画監督です。その人が「何かを見せたい時に、それをそのままの形でテーブルに置いてはいけない」ということを書いています。例えばリンゴがおいしいことを伝えるために、映画ではそのイメージを捉えて言葉では説明し難いものに置き換えるわけです。もっとわかりやすいのは小説ですね。物語の中の登場人物やその背景に置き換わることではじめて伝わる情感もあって、それを読んで感化された人がさらに想像を広げたり、さらには次の物語を作ったりしていくところにすごく憧れます。

 

音楽もそうで、作曲家の伝えたいことが抽象化されているんですよ。音の美しさを受け止めて、そこに作曲家の伝えたいことがどのように写し取られているのかを想像するところに嬉しさがあるんですよね。そして、それをまた誰かに受け渡したいと思うことの連続で。だから公演では演奏している人も、それを聞いてる人も役割や時間が違えど、「伝えたい」という気持ちにおいてはあまり差がなく、その意味では、たとえ体験を言葉にしなくても、お客さんも表現者なんだと思っています。

──

「伝えたい」という思いが連鎖していくのですね。ちなみに、高田さんは音楽の素晴らしさを伝える上でどんなことを心がけていますか?

高田

音楽を文学や哲学などに置き換えることができるかということを考えて、ずっと勉強していますね。

──

音楽を抽象化して、別の何かに置き換えて伝えていると。

高田

そう、例えば公演をそのまま「すごかった」と伝えても、その場にいなかった人にはなかなか伝わりません。映画みたいに「見に行ってください」と言えたらいいのですが、終わってしまった公演での体験を人に伝えることはなかなか難しくて。音楽の用語を並べて解説をするのもいいですが、それより、「夏目漱石でいうと『門』です」と言った方が伝わるかもしれないと思っています。

──

確かに、高田さんの書かれた公演の宣伝記事では、音楽以外の小説や映画の話題が多く登場していますよね。

高田

僕の役割は何かを紹介することですが、その中で誰かの好きなものに行き当たることが大事で……つまり、僕は批評がしたいんです。批評とは、何かを良い・悪いと言うことではなく、物事の普遍的な意味を「あなたの知っているものでいうとこれです」と言い当てるようなことだと思っています。だから、リンゴをリンゴとして紹介することで何かを伝えそびれることが嫌で、絶対に失敗したくないんです。ちょっと、告白みたいなものなのかもしれません。

ジャーナリズム性を持った劇場を京都の街中に作る

カフェ・モンタージュの店内
──

高田さんがカフェ・モンタージュを始めた経緯を教えていただけますか。

高田

もともと音楽の勉強をしていたんですけど、演奏家になろうということはあまり考えずにヨーロッパに渡って、劇場に通い詰めていました。劇場でクラシック音楽の公演や演劇を見た回数でいうと、500回近くになりますね。

──

500回も!?

高田

ヨーロッパの劇場は街の中心地にあって、好きなアーティストを聞きに行くというより、その劇場が行う公演を観に行く習慣が根付いています。出演者や演出家のことをよく知らなくても、その劇場の初演だったらまず行くんですよ。

──

劇場は人々が日常的に足を運ぶ場となっているのですね。

高田

舞台そのものが持続性のあるインフォメーションにもなっていて、そこのプログラムを追っていけば自分にとって大事なものに出会える。だから劇場に対する人々の信頼度も高くて、そこで取り上げられることがその地域の文化を代表したり、その社会に対しての宣言にもなって、時に雑誌以上の発信力を持つこともある。だから劇場はジャーナリズム性を持っているし、持つべきだと考えています。

店内に展示されている楽器
──

そんなヨーロッパの劇場を日本にも作ろうと?

高田

帰国した時に劇場が身近にないことに気づいたんです。当時、骨董品のような古い楽器を修理する仕事をしていたんですが、ユニークで天才的な音楽家と知り合うことが増えて、その人たちのコンサートを企画するようになりました。でも、自分でホールを借りてコンサートを開催するのは本当に大変で、1年に1回やるだけで全部使い果たしちゃって。次に、小さい企画を定期的にやろうと思ったんですが、それも本当に大変で……。つまり、どうやっても大変だから、いっそ自分の場所を持ってたくさんやろうと思うようになりました。そうしてカフェ・モンタージュを始めたのが2012年3月ですね。

──

元々、この場所は家具屋だったそうで。

高田

そうです、この空間が僕には劇場にしか見えなかったんです。階段に座れば上からも公演を観られるし、半地下だから防音のこともあまり考えなくていい。しかも外からも近いんですよね。

──

確かに、通りからすぐですね。ここでの公演はすべて高田さんがプロデュースされているそうですが、プログラムはどのように作っていますか?

高田

今こうやってインタビューを受けていますが、公演を作る時には僕が出演する人にインタビューをするんです。「何をしたいですか」と聞き続けて、そこで拾ったことをもとにプログラムを作っていきます。なので、僕から「これを演奏してください」と言うことはあまりなくって。

──

出演者が主体なんですね。

高田

そう、このあいだお聴きいただいた公演は、もう完全に上野さんの世界でしたよね。

──

本当に、彼の生き様を見ているようでした。

高田

そういうものに出会いたくてやっているので、、自分のやりたいことが対象になってはいけないと思います。僕からちょっとアイデアを出すこともありますが、その方からアイデアがたくさん出てきたら、「そのままやってください」と形にすることが一番いいです。その方がいろんな出会いが生まれますし。

──

確かに、出演者の本領が発揮されそうです。では劇場と一緒にカフェを作ろうと思ったのはなぜですか?

高田

普段、クラシック音楽を聞かない人も出入りする場所にしたいと考えた時に、カフェのことを思いつきました。カフェという場所は、目的があろうがなかろうがそこにいることができる場所で、劇場と真逆ですよね。

カフェ・、モンタージュの店内
──

さらに2020年4月から「おひとり様のための音楽喫茶室」を始められましたよね。同じ時期に高田さんが書かれたnoteの記事で、カフェを「考える時間を与えてくれる場所」と表現されていたことが印象的で。そこで、高田さんが改めて感じたカフェの魅力についてお伺いしてもよろしいでしょうか。

高田

やはり、基本的に何もやることがない中で自分だけの時間を持てるということでしょうか。音楽喫茶だとそこで音楽を聞くという目的があると思いますが、カフェの営業時間では僕の好きなレコードを流しているだけで、特にリクエストなどは受け付けていません。麩屋町通三条を下がったところにBar OIL(以下:OIL)というお店があって、そこのオーナー・北村さんとはこのお店を始める前からの知り合いで。

──

OILはどんなお店ですか?

高田

京都でも知る人とぞ知る、まさに劇場みたいなお店ですね。OILでもコンサートをやらせてもらったことがあって、すごくお世話になっていたんです。僕がカフェ・モンタージュを作るときに、北村さんから「まずは、自分が居心地の良い場所を作ること」と言ってもらったことがあって、その言葉がここのベースになっています。だってずっといるわけで、オーナーである自分が居心地良くないとって。

──

カフェ・モンタージュに来ることは、高田さんの私的空間にお邪魔してるような感じでもあるのですね。

高田

そう、自分の部屋が広くなったような感じです。店内に置いているものも自宅から持ってきたものばかりで、ここのために買ったものは少ないんですよね。

──

今回の特集のテーマが『Choose Convenience Yourself』で、便利なものもそうでないものも「自分にとって心地良いもの」を基準に選んでいきたいと考えていて。まさに高田さんにとって、主体的に心地良いものを選んで作られた空間がカフェ・モンタージュなのですね。

高田

確かに自分の心地良いものを基準に置いていますし、自分で釘を打って床を張ったので、それを言えばカフェ・モンタージュを「僕が作った」と言うことはできます。しかしこの場所の価値はお客さんが高めてくださっていると。お客さんたちを信頼というか、カフェでも公演でもいつもいろんな人が来てくださって、ともかく「頑張ろう」と思うわけで。

──

お客さんがいてはじめてできあがる場所……。

高田

社会でそれぞれに責任を背負って生きている人たちが、同じ場所、舞台を共有しに来てくれる。そう考えると、重圧といえば重圧かもしれません。でも、ここに来てくださっている人たちがみんな良い人で、お客さんがこの場所を作ってくださってるのだと思って信じることで、なんとか乗り越えています。

自分にはちゃんと「本棚がある」を再認識する

カフェ・、モンタージュの店内
──

最近は便利さによって情報が与えられる中で感性が鈍ってしまい、自分にとっての「何が心地良いのか」が見えにくくなっているように思います。そういった状況の人がカフェ・モンタージュの公演を見て五感を刺激したり、カフェで過ごして思考を整理したりすることで、自分の感性を再認識することができると考えていまして。

高田

感性を再認識するというのは、自分にはちゃんと「本棚がある」ことを認識することなのかもしれません。

──

本棚とは?

高田

本棚には過去に影響を受けた言葉や作品が並べられていて、それらが感性を形成しているのではないでしょうか。僕がこうして話している言葉も、北村さんから譲り受けている気がするし、僕自身が覚えていなかったとしてもきっと誰かの影響を受けていて。そして、誰かの本棚にカフェ・モンタージュが加わると嬉しいですね。

──

なるほど。では自分の本棚を見失わないために、どんなことが大切でしょうか。

高田

そういうことでは、お客さんに「こうしたらいいですよ」と言えることがなくって。むしろ、「こういうことをすればいいよ」と言わないことで、すべての人に伝わるようになるのかなって。

──

言わないことで、届くようになる。

高田

人はそれぞれやらなきゃいけないことを抱えながら暮らしていて、本棚の形も整理の仕方も色々で、時には積みあがってぐちゃぐちゃになることもあるかもしれない。人それぞれの感性があって、僕自身としてはやっぱりいろんな本棚の持ち主に来てほしいですし、できるだけたくさんの人の本棚に並べてもらえるような舞台を作っていきたいと思います。

思考の旅が感性を見失わないことにつながる

取材を終えてカフェ・モンタージュを後にする。丸太町通りに上がってバスに乗ろうと思ったが、しばらく歩いて気持ちを落ち着かせることにした。先ほどから自分の中で高田さんの言葉が渦巻いて止まらないのだ。その渦はいろんな記憶を巻き込みながら大きくなっていく。途中、喫茶店に入ってこの渦をノートに書き留めようとしたが、それもやめた。

 

高田さんの言う通り、感じたことをすぐ言葉にまとめようとせずに、何度も反芻しながら捉えていった方が良さそうだ。分からなくなったら、またカフェ・モンタージュに行けば良い。そうして追い求めていく過程が思考の旅であり、感性を見失わないことにつながるのだろう。

 

ふと、自分の中にある本棚を想像してみた。何段くらいあるのか、どんなものが並んでいるのか、どの位置にカフェ・モンタージュが並ぶのか……そんなことを考えながら私はずんずん歩き続けた。

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EDITOR

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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PHOTOGRAPHER

岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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