批評誌『痙攣』が伝える「ないものを探す」という批評の在り方

批評誌『痙攣』が伝える「ないものを探す」という批評の在り方

批評誌『痙攣』が伝える「ないものを探す」という批評の在り方

特集『Choose Convenience Yourself』の企画『#ハンドルを握り直して』では、他者からのお勧めを鵜呑みにすることなく、主体性を持って物事を見つめる重要性を考える。創作を別の観点から掘り下げ、新しい可能性を提示する「批評」。2020年に発売された批評誌『痙攣』における批評の在り方は「ないものを探す」視線にあらわれる。今あるものに満足せず、そこにないものを探しだす姿勢。それこそ批評あるべき姿だと、『痙攣』は私たちに語りかける。


音楽批評のZINEとして作られた『痙攣』。創刊号が2020年5月に発売されるや否や、Twitterで話題となり、THE NOVEMBERSの小林祐介や佐々木敦、柴那典、荏開津広らが話題にあげ、最終的に700部を売り上げた。編集長の李氏さんはこれまで出版物を制作した経験はなく、Twitterで音楽に対して考えたことをつぶやくことが多かったそうだ。ある日、音楽雑誌で語られていないこともまだ多いことに気が付き、Twitter上の語りを編集していくことで、自分たちが読みたい雑誌ができるのではないかと感じたことが『痙攣』誕生のきっかけとなった。

 

従来あったものに対して「今までにない新しい視点」を探す姿勢は、創作を別の観点から掘り下げ新しい可能性を提示する「批評」と似ている。「批評は難しい」と捉える人も多いかもしれないが、私たちが日頃から行っていることの延長にあることが少し伝わるかもしれない

音楽だけでなく取り巻く社会も語る必要性がある

「以前からTwitterで自分の考えを呟いてはいましたが、『痙攣』を出すまでは批評を書いたことはありませんでした」

 

10代のころから音楽に触れてきた李氏さん。文章を発信するフィールドはブログよりもTwitterだったと語ります。

 

「どっぷりと音楽カルチャーに触れたころにはすでにTwitterがあって。だからブログよりもTwitterで音楽の情報を受け取ったり、発信したりしていました。ただTwitterは内容が散らばって、まとまりがないなと感じていて。だったら思いきって、自分の考えを批評誌という形で発表したほうがいいと思ったんです」

 

『痙攣』を出すことが批評を行うきっかけだった李氏さん。「考えの断片」として日頃からTwitterで発信していたこともあり、批評を書き上げること自体にそこまで苦労はなかったそうだ。ただ批評を行う際には「音楽だけでなくそれを取り巻く環境についても考えること」を大切にしているという。

 

「音楽以外のモノとの接点の中で、音楽を聴いているという人は多いと思います。例えば『その人の歌に救われた』という言葉は、音楽そのものを聴いてだけの感想ではなく、日々の中で抱いている苦しみが音楽によって救われた、という感覚ですよね。音楽は具体的な経験とか、感情、社会背景と紐づくことも多い。ならばそれも語らないといけないのではと考えます」

 

音楽と社会を一緒に語ろうとする姿勢は、田中宗一郎が編集長を務めた音楽雑誌『snoozer』の影響があると李氏さんは語る。

 

「原体験として『snoozer』(の影響)はあると思います。音楽について語りながら、取り巻く環境や、歴史。そういったものにある程度、回路を作れるような言葉の使い方を学んだ気がします」

 

李氏さんは今では『痙攣』のほか、Web媒体の音楽メディアでも批評を書いている。批評を書くには音楽に対しての知識や社会情勢の認識など、幅広いインプットが必要だ。そこで「音楽を取り巻く文化を感じ取るために必要なことは?」と質問した。

 

「興味のある分野において、専門家とまではいかないですけど、その分野に詳しい人、信頼できる人を身の周りにおくことが必要です。関係性というのは作ろうと思って簡単に作れるわけではないので、まずは身の回りの中でそういった人や専門性をどれだけ発見できるか、それが重要だと思います」

 

さまざまな知識を持つ人と接点を持つ。そして素直にそれに頼ること。そうするとインターネットで検索してもたどり着けない知見や思考に触れられ、自らの感性が磨かれていく。

セグメントを緩やかにし、語りをアーカイブするメディアを目指したかった

李氏さんが思考をまとめるために作った『痙攣』は「既存の音楽メディアの空白地帯を埋める」を目標にしていた。

 

「日本の音楽雑誌は各々に関心の高い領域があり、今セグメント分けされた状態だと感じています。ですがTwitterなどのSNSは、好きなことを好きなように語れる自由さがあり、そのセグメントの溝を埋めることができると思うんです。ただ音楽雑誌がSNSの情報をキャッチアップして、商業的に成り立せるのはかなり難しい。だからインディペンデントメディアである自分たちがTwitterでの音楽語りを雑誌にして、セグメントの溝を少しでも緩やかにしたいと考えました」

 

さらに、忘れ去られたSNS上の語りも『痙攣』をスタートさせるきっかけだったと語る。

 

「個人的な史観ですが、Twitterの音楽好きが特に音楽の話題で盛り上がったのが2015年から2016年辺りで、その盛り上がった内容はTwitterの仕様で埋もれて消えてしまう。ならばTwitterの音楽語りを集めて、アーカイブしたら面白いと思ったんです」

 

『痙攣』を読めばわかるが、長谷川白紙や小袋成彬、GEZAN、Billie Eilish(ビリーアイリッシュ)といった今を彩るアーティストの論考だけでなく、Bring Me The Horizon(ブリング・ミー・ザ・ホライズン)、小沢健二、BUCK-TICKなど一定の評価を得ながらも、今も自らを刷新する音楽を作り続けるアーティスト、メタルバンドの現状など、アーティストや内容がバラエティに富み、同時に商業雑誌では語られない論考ばかりである。

 

また語る内容も小沢健二とBUCK-TICKにTodd Phillips(トッド・フィリップス)監督の『ジョーカー』を接続する論考(『小沢健二、ジョーカー、BUCK-TICK ―生活から生へ―』 / 李氏)や、男女の不平等が当たり前に成り立つ音楽業界への言及(『戴冠 ―Billie Eilishと私―』/ 清家)など、ノスタルジー的に音楽作品の良さを語るのではなく、筆者が「今何を伝えるべきか」を意識して書いている。

 

そんな「音楽雑誌のセグメントの溝を緩やかにする」、「関心領域の広いTwitterの語りをアーカイブする」の2点に着目して作られた『痙攣』だが、なぜWebメディアではなくZINEという紙媒体を選んだのか。

 

「Webでやるとトピックごとにしか記事が読まれない。雑誌ならまとめてパッケージングできるので、全体を読んでくれると思ったんです。あと身内に『LOCUST』の編集長の伏見瞬さんがいて、彼から紙媒体の作り方などを聞けたのも大きかったと思います」

 

本誌ではTHE NOVEMBERSの論考を担当した伏見瞬さん。彼の協力もあり、ようやく完成した『痙攣』創刊号だったが、李氏さんの苦悩は続いた。

一方通行ではなく、双方向で意見が言えることこそ言論として健全である

創刊号で700部を売り上げた『痙攣』だが、あることをきっかけに今では増刷を止めている。

 

「『痙攣』出版後、伏見さんからブログで手厳しいツッコミを頂いて。それを読んで反省点もあり、販売を停止しました。正直、増刷を止めなければもっと売れていたと思います。ですが納得できないものを『勢いがあるから』だけの理由で売るのは違うのかなという気持ちもあって」

 

批評を一方通行で終了するのではなく、読者の意見に耳を傾け、真摯に受け止める。双方向で意見が言える関係性こそ、言論として健全な状況であると李氏さんは語る。また今回『痙攣』で掲載されたある論考を読んで、本誌のメンバー構成を考え直さないといけないと思ったとも語った。

 

「清家さんの原稿にはドキッとしました。『痙攣』は発足当初から男女比が偏っていたので、それを踏まえてあの文章を読むと身につまされました。それもあり次号以降は、清家さんと一緒に編集や記事の発案をしています」

清家さんが創刊号で寄せている、Billie Eilishに関する論考は「戴冠」をキーワードにして男性社会を切り開く姿を描き出した。その文章を読んで、自分たちのメディアにも変化が必要であると感じたという。ZINEが完成し大きな反響を呼んでも、常に謙虚に、自己批評の精神を忘れず更新するメディアである『痙攣』。最後に、今後について聞いた。

 

「文脈として残るレベルのモノを作りたい。だから単発で終わらず、5年から10年を目標に、発刊を続けていこうと考えています」

「ないものを探すこと」そこからすべては始まる

李氏さんの話を聞きながら、私はナタリーの大山卓也の言葉を思い出していた。

 

「ナタリーを作ったのは、もともと既存のメディアに物足りなさを感じていた自分の欲求がきっかけだった。自分が作りたいメディアを作っただけ」
(『ナタリーってこうなっていたのか』大山卓也)

 

ナタリーは「記事を作るにあたって『書き手の思いはどうでもいい』」というスタンスをとっている。それはつまり今までそんなメディアがなかったということであり、大山なりの批評でもあった。今やナタリーは多くの読者を獲得し、Webメディアとしては確固たる地位を築いていった。

 

読みたいものがない、ならば作ればいい。ごく当たり前の思考なのかもしれないが、「ないものを探し、作り出す」という発想こそ、他者の意見を鵜呑みにせずハンドルを握り直し、主体性を持って物事を見つめる、批評そのものである。『痙攣』でいえば「音楽雑誌にはない、Twitterでの音楽語りを雑誌として実装する」というあり方こそ、批評だ。

 

何かをゼロから作り出すことが難しい。ならば自分の中での「ないもの」を探そう。「最近読みたい本や、好きな音楽に出会わない」そう思うのなら、ほかの作品と比べて、自分が読みたい、聴きたいものを考えてみよう。これも主体性を持って物事を見る、批評の第一歩だ。あなたが「自分のほしいものが周りにない」と感じているのなら、その時こそハンドルを握り直す時期なのかもしれない。

 

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峯 大貴
峯 大貴

1991年生まれ 新宿勤務会社員兼大阪人兼高円寺在住。
アンテナに在籍しつつミュージックマガジン、CDジャーナル、Mikikiなどにも寄稿。
過去執筆履歴はnoteにまとめております。
min.kochi@gmail.com

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