お互いをエンパシーするためのマスターピース – Moment Joon『Passport & Garcon』

お互いをエンパシーするためのマスターピース – Moment Joon『Passport & Garcon』

お互いをエンパシーするためのマスターピース – Moment Joon『Passport & Garcon』

特集『Choose Convenience Yourself』の企画「#ハンドルを握り直して」では、「批評」をテーマに主体的に物事を選ぶ姿勢を探っていく。アーティストは作品に何を込めているのか? そして、ライターはそれをどう受け取るのか? 批評とは「あなたは世の中をどのような視点で見ているか」のあらわれだ。今回は、Moment Joonの『Passport & Garcon』から移民と私たちの「エンパシー」について考えてみたい。


時々、思い出すことがある。

 

中学1年生の頃だ。僕の学校にフィリピン人の女の子が転入してきた。どこか大人びて、いつも可愛らしくほほ笑む彼女に、僕は恋をしていた。先生の話だったり、昨日見たテレビのことだったり、彼女と話した他愛もないおしゃべりがすごく楽しかったことを今でも覚えている。でも、その子とは2年生の頃には一言もしゃべらない状態になってしまっていた。

僕が発した“ある言葉”をきっかけに……。

 

「なんでそんなに日本語上手いの?」

 

その瞬間、彼女は急に涙を流して、その場から立ち去ったのだ。別に罵詈雑言を浴びせたわけではないし、ただの質問くらいにしかその言葉を受け止めていなかったから、僕には理解ができなかった。

 

その質問がなぜ彼女を傷つけたのか……。彼女はフィリピン人だが、物心ついた時には日本にいた。だから日本語が話せて当然である。なのに僕は「日本語が上手」と彼女に言った。他のクラスメイトと分け隔てなくたわいもない会話をしていた彼女のことを、自分たちとは違う「外国人」だと無意識に見ていたのだ。そのことに気がついたのはその経験からずいぶん後の話であり、今でも心の中にしこりが残るエピソードだ。

 

よく親から「相手の気持ちを考えて行動しなさい」と言われていたが、僕はその言葉があまり好きではなかった。なぜなら自分とは違う生活、価値観、知識を持っている人間が何を考えているか、理解できるはずがないと思っていたからだ。だけど、先の一件以降、僕は「相手の気持ちを考えて行動する」ということを実践しようと思った。いや正確にいえば「相手のことを考える努力をしよう」と思うことで、ちょっとはあの時の彼女への罪滅ぼしになるのかな、なんて考えた。つい最近、自分がしてきたこの行動が「エンパシー」だということを知った。

エンパシーを考えるための Moment Joon という物語

僕が「エンパシー」という言葉を知ったのは、イギリスに住むブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだことがきっかけである。日本人の筆者とアイルランド人のパートナーとの間に生まれた息子が、人種も貧富もごちゃまぜの「元・底辺中学校」で体験するエピソードをつづった同書のなかには、人種、貧困、ジェンダー、正義、それらの要素が一義的ではなく複雑に入り組んだ状況により差別を受ける人たちが登場する。

 

バックボーンを知らず目の前で起きた出来事だけで物事を判断をしてしまい差別につながっている状態を防ぐために、ブレイディは「エンパシー」という言葉を紹介している。Empathyとは「共感」や「自己移入」と訳される言葉だが、ブレイディの息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と解釈する。中学時代の僕を例にとれば「彼女が涙を流した理由を考えること」になるかもしれない。

 

エンパシーを考えるうえで、Moment Joonの『Passport & Garcon』は、劇薬といえるくらいの力を持つ作品だ。

 

韓国出身で大阪在住のラッパー Moment Joon は2019年に『Immigration EP』をリリースし、同年に文芸誌『文藝』にて自伝的ロングエッセイ『三代』を発表。ラッパーだけでなく文筆家としても活動する彼が、2020年3月に出した1stアルバムが『Passport & Garcon』である。

 

本作はドラマ仕立てで構成されたコンセプチュアルな作品だ。「移民」ラッパーとして日本で成功し、大金を稼ぐことを願う Moment Joon が、さまざまな偏見、差別を受けて傷つきながらも、彼を信じるファンやレーベルオーナーに支えられ、ラッパーとして彼らのためにも成長していくというあらすじだ。ここで語られる偏見や差別は、フィクションではなく彼が実際に体験したことや、社会で問題提議されていることばかりである。

 

このアルバムの話をする前に彼がいう「移民」についての話をしよう。昨今、ようやく移民を受け入れるかどうかの議論がなされているが、日本には移民制度がない現状下で、Moment Joonは自らを「移民」だと名乗っている。

私が言う「移民」は「違う地域・文化圏から来て今ここに住んでいる人」を意味します。違う文化の間で苦しんだり、どっちの文化も自分のものにしたり、それらを融合して新しいものが作れたり、全てが移民です。例えば田舎生まれ育ちの人が上京した場合も、その文化の違いによって深くて濃い経験をするならば、その人は自分を移民と呼んで良いでしょう。

「ない」と言われても僕はここに「居る」〈 MOMENT JOON 日本移民日記〉

 

つまり彼のなかでは法律上の移民制度は関係なく、「文化の違いによって深くて濃い経験」をしたものならば、外国人も日本人も関係なく移民であるのだ。そう考えれば、本作のスタートを飾る“KIX / Limo”におけるKIX(関西国際空港)での入国審査官とのやり取りの齟齬もよくわかる。

審査官「次の方どうぞ」

Moment Joon「よろしくお願いします」

審査官「半年前に出国しましたよね。どうしたんですか」

Moment Joon「あの、ビザの更新の不許可で、一旦出国しました」

審査官「それは出国じゃなくて、帰国ですね」

Moment Joon「そうですね」

(Moment Joon ”KIX / Limo”)

入国審査官の「この青年はビザの更新の不許可だから出国ではなくて、帰国」という表現が正しいのだが、Moment Joon は「自分は日本へ移民した」と考えているため「出国」するという表現を使っているのだ。

 

その後も自分のことをわかってもらえない悲しみはつづき、“Home / CHON” では、偏見を受ける自分と外国人労働者に対しての差別を描いている。

外人って日本から奪ってるだけ?

弁当屋で働いてんじゃないの?

コンビニで俺らを見たんじゃないの?

使った後は捨てる

あの技能実習生たちは今どこ?ヘドがでる

でもそりゃ話さない ワイドショーは

学校のイジメこそ日本の調和

そのせいで何人の子どもが涙を流した

それがニッポンだって?あ!!分かりました

それが美徳ならおりゃチョンで良い

差別されてもお前の10倍はFree

(Moment Joon “Home / CHON”)

しかしそんな彼を信頼する人もいて、レーベルオーナーである浅芝祐ことシバさんがもうすぐ子どもが生まれる状況にも関わらず、彼のためにアルバムを作る費用を捻出してくれたのだ。「俺のせいでシバさんの人生がダメになるかも知れない」と極度のプレッシャーを感じた 彼は、なぜ自分はラップをするのかを “Hunting Season” の中で自問自答する。

怖すぎる シバさんの信頼

俺のせいで彼の人生がダメになるかも知れない

アルバムの制作費、もうすぐ生まれる赤ちゃん

なのにお前なんかを信じさせて、お前バカちゃう?

そんな重い気分のまま向かう土曜日のステージ

狭すぎる楽屋 ここはまるでケージ

舞台に上がった後も 俺はサーカスの動物

I don’t need no spotlight Send me back to my 洞窟

日本語で話したって いや、どうせ通じない

俺が日本になる? いや、そんなの信じない

素直になればなるほどそれ自体がギミック

とっくの前に信じなくなった 自分のリリック

そんな俺の曲を君は歌っている

(Moment Joon “Hunting Season”)

そして、その自問自答した問いの答えを見つけるトラックが “Garcon In The Mirror” である。

10年後、日本はどうなってるだろうか

彼らも言われたそう「日本語上手」

言われちゃったそう「お前らは少数」

いや、違うと言ってあげたい

君らが日本になると言ってあげたい

そのために俺は大人になる

(Moment Joon  “Garcon In The Mirror”)

「彼ら」とは、ライブで出会ったインドネシア人とのハーフのファンや、ラップ教室で出会った在日の女子高生のことである。自分と同じ苦しみをもつ人々が目の前にいることを知り、子どものように自分勝手に不満をただ言うだけでは何も変わらないと気付いた彼は、自分のために歌うのではなく、自分のこと信じてくれる誰かのために歌うことを決意する。最後の “TENO HIRA”で初めて、自分ではない信頼してくれる誰かのためにその決意をライムする。

だから俺は今の俺と君を絶対死なせない

「数が足りません」って何だ 「道がありません」って何だ

いつもの言い訳の代わりに今の俺はマイクを掴んだ

君も見せてくれよ こぶし

スカイツリーじゃなくて君が居るから日本は美しい

(Moment Joon  “TENO HIRA”)

「移民」側にも問いかける、モノローグからダイアローグへの変化

本作は Moment Joon のナラティブであるが、これは「移民」ではないリスナーだけへの問いかけではなく、「移民」側にも問いかけている作品でもある。

 

“KIX / Limo” から “Hunting Season” まで共通していえるのが、 Moment Joon のモノローグであることだ。そしてその内容はどれも自分を受け入れてくれず、差別を受けて自ら世界をどんどん閉ざしていくという内容だ。だが “Garcon In The Mirror” で、自分と同じく差別に傷つきながらも、自分のことを信じてくれるファンがいることに気がつく。それを体験してはじめて「誰かを守ろうとする自分がいた」ことを Moment Joon は知る。「人を信頼し、その人たちのためにできることを考えなくては」と、今まで自分のことだけしか考えられなかった彼が初めて他者のことを考えるようになったのだ。“Home / CHON”では「俺がニッポンになる」とライムしていたが、それがこの曲の中で「君らが日本になる」と変化したことからもそのことが伝わる。

 

その気持ちの変化は “TENO HIRA” で完結する。この曲はそれまでのモノローグではなくダイアログ、すなわち相手にむけて希望を語りかけているのだ。そこにはそれまでの彼がライムした差別を憎しむ要素はない。ラストの「君が居るから日本は美しい」というライムは、孤独な人間から成長し「他者への思いやり」すなわちエンパシーを持てるようになったからこそいえた言葉ではないだろうか。つまりこの作品は、移民ではない人へは「移民の現状を知り、分け隔てなく接すること」を、移民側には「まわりは敵ばかりではない。信頼できる人もそばにいる、その人を受け入れることで強く寛容になれるはず。」と、どちら側からもエンパシーを持って接する重要性を説いているのだ。

 

お互いがエンパシーを持って対話をするということは相当難しい。現にSNS上で起こる炎上の大半はエンパシーの無さが原因だといってもいいだろう。だがお互いの立場を理解することで、なくせる差別もあるはずだ。だからTwitterで他者に対して批判しようとしているなら、その指を止めて。それで一呼吸おいて、本作を聴いてエンパシーを感じてほしい。あとできることなら、20年前の自分にも本作を聴かせたい。想像力をもって他者へ向き合うことがいかに大切かを教えるために。

 

Passport & Garcon

 

 

アーティスト名:Moment Joon
フォーマット:デジタル
発売日:2020年3月16日
レーベル:GROW UP UNDERGROUND RECORDS

 

収録曲

01. KIX/Limo

02. KACHITORU

03. IGUCHIDOU

04. KIMUCHI DE BINTA

05. Home/CHON

06. Losing My Love feat. Hunger from GAGLE

07. MIZARU KIKAZARU IWAZARU

08. Seoul Doesn’t Know You feat. Justhis

09. DOUKUTSU

10. Hunting Season

11. Garcon In The Mirror

12. TENO HIRA feat. Japan

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EDITOR

橋本 嘉子
橋本 嘉子

映画と本、食べることと誰かと楽しくお酒を飲むことが好き。

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