LIVE HOUSE Pangea

LIVE HOUSE Pangea

LIVE HOUSE Pangea

大阪・心斎橋はアメリカ村。流行発信基地として名高い場所だが、多くのライブハウスがあることから、音楽の街としても知られる。そんなアメ村のライブハウスにおいて、若きバンドマンたちの根城ともいうべき箱が〈LIVE HOUSE Pangea〉だ。RAZORS EDGE のドラムも務める、店長の吉條壽記が2011年3月に設立し、現在では愛はズボーン、ナードマグネット、(夜と)SAMPO、Easycome、ベルマインツなど関西のインディーズシーンの一翼を担うバンドたちを積極的にブッキングしている。最先端のインディーズバンド取り扱うCDセレクトショップHOLIDAY! RECORDSとの親交も深い。

 

かつてはメロコア系のバンドも多く出演していたPangeaではあるが、変化を続け今の形になった。なぜ変化を続けられるのか。その理由は吉條さんの人柄にあるような気がする。彼は自分の考えに固執をしない。最初は孤高のライブハウス、〈十三ファンダンゴ〉にあこがれていたが、紆余曲折あり心斎橋に建設。その際、吉條さんは孤高への憧れを捨てて、地の利を活かして各ライブハウスと協力することを選んだ。またライブハウスのブッキングや演出について自らの個性よりも演者の個性を出し、自分にないものをどんどん受け入れていき、居心地の良い空間を作りたいと語ってくれた。

 

と、リード文を書きながらあることに気がつく。〈LIVE HOUSE Pangea〉は変化したのではなく、価値観が拡張したゆえ変わったように見えているだけなのだ。2021年7月10日にはHOLIDAY! RECORDS との共催で行うイベント『COME TOGETHER MARATHON 2021』も開催され、ますます活気づく Pangea 。本インタビューはそんな拡張し続けるライブハウスを運営する男の信念をとらえたテキストである。

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〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋2-10-34 心斎橋ウエスト363ビル1F

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ファンダンゴみたいなライブハウスを作りたかった

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吉條さんはRAZORS EDGEのドラマーとしても活動されていますが、なぜライブハウスをやろうと考えたのですか?

吉條壽記(以下、吉條)

もともとバンドと並行して、ライブハウスでバイトをしていました。そのなかでいつかは自分でもライブハウスをやりたいという思いが20代前半の頃からあって、ツアーで色んなライブハウスを回った時に、お店の導線を確認したり、どういう空間作りを行っているかをよく見ていました。ただ当初はバンドに力を注ぎたくて、想像上の楽しみとして、頭の中に理想のライブハウスを思い描いていただけでしたね。

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どのあたりから現実味をもって、ライブハウスをやろうと考えましたか。

吉條

30歳を過ぎてからです。年齢や生活のことを考えた時に、アルバイトとしてではなく自分でライブハウスを建てようと考えました。それ以前にも実際に箱を作ることを考えて、物件を探したりしていましたが、具体的に動き出した時に、当時レイザーズのPAで今は Pangea の音響をやっている四反田 祐さん※がすごく親身になって話を聴いてくれて。そもそも僕はファンダンゴを作りたかったんです。

四反田 祐:RAZORS EDGE、toe、WANIMA、BOREDOMS などの音響を務めた人物

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ファンダンゴというと十三にあったライブハウス(現在は堺で営業)ですね。

吉條

僕も企画を組んだり、とてもお世話になった箱で。90年代だと bloodthirsty butchers や eastern youth が東名阪ツアーを行う時は下北沢SHELTER、名古屋HUCK FINN、ファンダンゴみたいな流れがあって、多くのバンドマンから「大阪のライブハウスといえばここ」みたいなものがあった気がします。そういうバンドマンから愛される箱を作りたかったんです。また十三という歓楽街で孤高の存在的に自分のスタイルを貫く部分や、お客さんがファンダンゴがあるから十三に行くみたいな流れになっていたところに憧れを感じていました。

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そういうイメージの箱をなぜ心斎橋でやろうとされたのでしょうか?

吉條

本当のことを言えば、あんまりアメ村ではやりたくなかったんです。他にもライブハウスは多いし、怖そうなイメージもあるし(笑)。だから当初は梅田でやりたいと思っていました。交通の便もいいし、当時はなかなか小さなライブハウスがなかった。でも当たりをつけていたビルのオーナーから許可が下りなかったり、他に場所がなかなか見つからなかったり……。そこでエリアを広めて探した結果ここが見つかったんです。

 

広さ、導線、裏からの出入り、天井の高さなど空間としてここがベストだなと考えて、やろうと思った次第です。でも地下に〈アメリカ村CLAPPER〉があって「ライブハウスの上にライブハウス作ってもいいのかな」という思いもあったので、四反田さんと一緒に CLAPPER の当時の店長さんに挨拶しに行ったのですが、四反田さんがすでに顔見知りで。「上下に箱ができることを活かしていこう」みたいな感じで意気投合出来ました。だからファンダンゴのような孤高の存在になるのは諦めて、アメ村の特性を活かして周りと協力する方向に、舵を切ったんです。

ブッキングするバンドは変わったが信念は変わってはいない

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以前ナタリーのインタビューで「仕事を始めるときに、自分の価値観にないものでもどんどん受け入れていこう」と語っていましたが、そう考えた理由とはなんでしょう?

吉條

好きなバンドばっかりが出てもらうのは理想なのかもしれないですが、それでは日も埋まらないし、面白味もない。それで自分だけでなくて色んなスタッフや演者の「良し」「悪し」を受け入れようと思ったんです。色んな人の価値観を取り入れて一緒に作り、その人ごと好きになっていく感覚を、ライブハウスをやるうえでは持ちたいと考えました。

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オープン当初、具体的にどんな人たちの価値観をPangeaに取り入れましたか?

吉條

まず立ち上げた時に元々ファンダンゴで働いていた方と 8otto の TORA さん(Ba)がスタッフに入っていただいて、ファンダンゴや 8otto の周りのバンドを呼んでくれました。僕は名前くらいしか知らなかったカッパマイナスやゆれるが出演してくれた時に、逆に向こうは自分のことを知ってくれていたので、話しやすかったことを覚えています。また、THE NINTH APOLLO の渡辺旭くんもよくイベントをやってくれて、メロコアバンドとしては〈新神楽〉というライブハウスに出た、その次のステップとして Pangea へ出演する流れみたいなものを作ってくれた。

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その後、2014年ごろにはレーベル『TOUGH&GUY RECORDS』を立ち上げて、愛はズボーンを取り扱いましたよね。ライブハウスのオーナーがレーベルを作るのは珍しいなとも思います。

吉條

そもそもライブハウスをやりながらレーベルをやると「結局好きなのそこ?」と他のバンドから不公平に思われたらよくないなと最初の頃は思っていました。だけど事務をやっている社員が「最近このバンド好きなんです」とCD-Rを聴かせてくれたのが愛はズボーンとの出会いでした。僕が持っていた「新しい価値観を受け入れていきたい」という気持ちと、オルタナやガレージをミクスチャーしたようなサウンドの感触が、ちょうどはまった感じで「何じゃこりゃ」と得も言われぬ感情が湧き上がってきたんです。それで実際ライブ観たいなと思って、Pangea に呼んだら、めっちゃくちゃ良かったので、一緒に手を組んでやりたいなと感じました。

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愛はズボーンのためにレーベルを作って、売り出す。それはとても大変なことだと考えますが、彼らのためにそこまでしようと思った理由はいったい何ですか?

吉條

単純に彼らに大きな可能性を感じたからです。一緒に何かを作れば作るほど自分に無いものを吸収できると思いました。瞬間瞬間で大変なことや、忙しくなったりはしますが、その分楽しいことも増えていくので。

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愛はズボーンと組み始めたくらいから、ブッキングのラインナップが変わったような気がします。例えばTENDOUJI、ドミコ、teto、ナードマグネット、ハンブレッダーズとか。

吉條

そうですね。でも時代が変わっただけで、僕が当初目指していた「ファンダンゴを作りたい」という部分は今も一緒なのかなと思います。出演するどのバンドも、かつてファンダンゴに出てた Hi-STANDARD とか bloodthirsty butchers のように、ごちゃまぜだけどルーツ感があるし、自分たちの好きな音楽の匂いを感じさせてくれる。以前、tetoの小池(貞利)くんが「 RAZORS EDGE めっちゃ好きなんですよ」と言ってくれて。当時、ファンダンゴに出ていた僕らがやっていた音楽を聴いていた人たちが、巡りめぐって今 Pangea に出てもらいたいというバンドとして僕たちがブッキングしている状況は自分的にはしっくりとくるし、うれしいですね。

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今までPangeaで色んなライブがあったと思いますが、吉條さんの中で一番印象に残っているライブは何ですか?

吉條

2020年3月14日のEDGE OF SPIRITのライブです。コロナ禍の初期でどんどん世の中がカオスになっていた時期で、とにかく明日のイベントが行われるかどうかもわからない状況でした。世の中ではライブをすること自体が不謹慎で、ライブハウスも嫌悪されるような中、強い意志で行われたそのパフォーマンスには感動しました。ライブハウスとバンドとお客さん、その3者の関係性と音楽・ライブというものに依存する人たちを全肯定して背中を押してくれる素晴らしいライブだったと思います。

 

あと最近では2021年4月24日のピーズのライブも印象的でした。その日はPangea10周年のアニバーサリー企画で、自分は“グライダー”を聴きたいと思っていたのですが、リクエストするのはおこがましくて。でもダブルアンコールで最後にやってくれたんです。気持ちが伝わった気がして嬉しかった。ちょうど次の日から緊急事態宣言が始まり、しばらく営業ができなくなる時だったのでエンディングテーマのようでしたが(笑)。やはり厳しい状況の中でどうにかやってきたこの一年のライブが印象に残る感じですかね。

Pangea は「自分がいつまでも愛を注げる場所」でありたい

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2021年7月10日に HOLIDAY! RECORDS との共催で『COME TOGETHER MARATHON 2021』というサーキットイベントを開催しますが、それ以前にも共催イベントや、ディストロとしての出店など、HOLIDAY! RECORDS と親交が深いですよね。

吉條

植野(秀章)くんは元々ポップパンクやオルタナティブロックのバンドをやっていて、自分の音楽とも近い気が最初からしていました。あとディストロとして、インディーズに特化してライブハウスでCDを売ったりするのは、なんとなく自分が歩んできた道と似ているなと思っています。確かにライブハウスの中でうちが一番出店してもらっているかもしれないですね。そもそも『come together』というイベントは、何度か Pangea で開催していて。最初は僕から「ライブを見たことないバンドたちとの出会いの場がほしい」と植野くんに相談し、始まったんです。

──

ではブッキングは全てHOLIDAY! RECORDSが担当していると。

吉條

いやブッキングは半々で行っています。イベントによって比率がどっちかに偏る時はありますが意見交換しながらそれぞれが提案したバンドに声をかけています。ただ提案するバンドについて、植野くんは「このバンドどうですか?」とジャッジを求めてくることもあるのですが、そこは「植野くんがいいと思うんやったら全然大丈夫やで」と言っています。僕は「人が良い」といっているバンドを観てみたいし、植野くんは僕が好きになるよりもっと早くそのバンドのことを好きになっている。そういう人だからこそ、一緒にやっていきたいんです。

 

ただ今回の『COME TOGETHER MARATHON 2021』に関しては、出会いの場が欲しいということではなく「自分がやりたいから」というのが大きいですね。去年は COVID-19 の影響で、ほとんどブッキングが組めなかった。でもHOLIDAY! RECORDSとかを見てると、どんどん新しいバンドやアーティストが音源を出しています。「このままでは世代が分断されるのでは」という危機感があったし、バンドマンたちが横のつながりがないまま外に出ていくのは避けたかったので、大きな祭りをやりたかったんです。

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ライブハウスでできる人間関係を取り戻したいということでしょうか?

吉條

はい。自分もバンドマンだからわかるのですが、友達がたくさんできると楽しいし、音楽を続けていけるんですよ。よく無観客配信ライブを観ている人が「ライブがやれてるだけ、まだ幸せだよね」とバンドに声をかけることがあります。それもそうなんですけど、ライブの楽しさって、ライブをやることで生じるいろんなコミュニケーションも含めての話ですから。「ライブをやる?やらない?」という0か100かの問題だけではないのではと思います。

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今までの吉條さんの話を伺うと自らの考えに固執をせず、ちゃんと信頼されている人の意見を聞き、信念をもってライブハウスの運営に取り組んでいることがわかります。

吉條

大事な部分だけあればいいかなと思っていて。Pangea に関して言えば自分が理想としている空間を作れるかどうかが一番大事で。その理想の空間を具体的に言葉に表すことは、難しいですし、月日が経つごとに「もっとこうしたい」という思いも出てきます。だけど、しいて言葉にすれば Pangea は「自分がいつまでも愛を注げる場所」なのかなと。

 

そのためには自分の個性よりも演者の個性を出すことが大事だと常に感じています。ライブハウスの主役はバンドじゃないですか。正直、この箱で自分がやりたいことは月に何本かでいい。だからいろんなバンドに出会って、自分の価値観が広がって「あ、心地が良いな」という感覚が自分のものになっていくんだと思います。それが今の Pangea なのかなと。言葉にするとおこがましいのですが「いいライブハウスができたな」という自負はあって。ただこの箱ではできない欲みたいなものもあるので、それは ANIMA でやれたらと思っています。

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2019年8月にPangeaの近所にオープンした〈LiveHouseANIMA〉を作った理由って何だったのでしょうか?

吉條

もともと ANIMA があった場所は、〈グランカフェ〉※というお店があって。その時代から「この場所、めっちゃいいな」と思っていたんです。天井も高く、バーカウンターも広い。 Pangea にないものを持っている場所だし、キャラの違う箱が作れるイメージがあった。それで場所が空いたタイミングをみて、やろうと思いました。

※グランカフェ:大阪・心斎橋のアメリカ村を代表するクラブハウス。1994年にオープン以降、国内外のトップDJたちが熱いプレイを繰り広げてきたが2016年に閉店。

──

ANIMA は Pangea でいうファンダンゴのように目指した場所はあるのですか?

吉條

いいえ。 ANIMA は Pangea を基準として、どういうスペースにするかを考えたんです。Pangeaはステージの壁とかを観ればわかりますが、箱の主張が強いので、 ANIMA は黒と赤を基調として、バンドそのものがかっこよく見える空間にしようと思いました。それにパンクやハードコアがやれる中規模サイズのライブハウスがないというのもあって、ちゃんとそういうバンドたちが自身の持つ悪さもだせる箱を作りたかったんです。

──

最後に今後の展望とかあればお伺いしたいです。

吉條

今後もっとジャンルレスな世の中になっていく気がしています。今バンドやっている子たちの音楽に対する価値観が、自分らの世代では理解できないくらい広くボーダーレスになると思うので、芯は残しつつ、はっきりジャンルで区切るような箱作りはしたく無いなと思っています。

 

もちろんなんでも混ぜれば良いというものではなく、出演バンドが気持ちよく過ごせる組み合わせを考えることが重要で。今年の8月7日に名村造船所跡地で行う『新世界FESTIVAL2021』は愛はズボーン、アフターアワーズ、浪漫革命などの若いバンドからLOSTAGEや自分たちRAZORS EDGEみたいなベテランも含めて、さまざまな価値観を受け入れていこうと思って、ラインナップを組んでいます。こういうイベントをPangea主催で行い、いろんなジャンルのバンドが大阪のとっかかりにPangeaを選んでもらえたらいいな、という欲張りな状況を夢見ています。

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岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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EDITOR

峯 大貴
峯 大貴

1991年生まれ 新宿勤務会社員兼大阪人兼高円寺在住。
アンテナに在籍しつつミュージックマガジン、CDジャーナル、Mikikiなどにも寄稿。
過去執筆履歴はnoteにまとめております。
min.kochi@gmail.com

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