おおらかな時間の流れを紡ぐ歌と演奏 – adrianne lenker 『songs and instrumentals』

おおらかな時間の流れを紡ぐ歌と演奏 – adrianne lenker 『songs and instrumentals』

おおらかな時間の流れを紡ぐ歌と演奏 – adrianne lenker 『songs and instrumentals』

特集『Choose Convenience Yourself』の企画「#ハンドルを握り直して」では、「批評」をテーマに主体的に物事を選ぶ姿勢を探っていく。アーティストは作品に何を込めているのか? そして、ライターはそれをどう受け取るのか? 批評とは「あなたは世の中をどのような視点で見ているか」のあらわれだ。本レビューでは、都会の便利さとは隔絶された環境にあえて身を置くことで自らの表現を掴もうとする、adrianne lenker の姿勢を読み解いていこう。


時間に追われる日々の中、ふと思い立って映画館に行ってみる。数時間後に帰路に着くとき、何か時間の感覚が広がったような、心のゆとりを得た自分に気がつく。これは読書でも散歩でもなんでもいいが、そんな一見非効率に思えることがむしろ今の自分には大切なことだった、なんて経験は誰にでもあるだろう。時間は誰にでも平等に流れるが、それぞれの受け取り方によって速くも遅くも感じるというのは有名な話だ。 adrianne lenker (エイドリアン・レンカー)の合計77分にも及ぶ連作『songs and instrumentals』は、そんな豊かな時間の流れを僕らにもたらしてくれる作品だ。取り戻させてくれるといったほうが正確かもしれない。

 

彼女も時間に追われる一人だったのだろう。パンデミックが世界中に広がった2020年、自身のバンド Big Thief(ビッグ・シーフ)のワールド・ツアーが中断を余儀なくされ、活動や表現を見直すことを迫られた彼女は、マサチューセッツの森のキャビンに隠遁することとなる。そして「アコースティック・ギターの中にいるかのよう」と語るその音鳴りに導かれ、制作に向かうエイドリアン。都会の便利さから切り離された慣れない森での暮らし。ともすれば遠回りにも思える、その生活と思索の跡が本作には生々しく刻まれている。

俗世から隔絶され、基本的にはエイドリアンの歌とアコースティック・ギターのみというごくシンプルな録音スタイルで制作された本作。元々の簡素な作風もあって、一聴して特徴や曲ごとの変化は感じ取りにくいかもしれないが、よく耳を澄ませてみると、エイドリアンの歌声とギターは実に豊かな表情を見せている。『songs』では、潤沢なリズム解釈で伸びやかに歌う“two reverse”、指の駆動が爽やかに曲をドライヴさせる中でも胸を締め付けるような歌声が響く“anything”や“half return”、繊細に爪弾く“come”や“not a lot, just forever”は、悲しみの色を宿しているように感じられる。演奏に没頭したり、手探りで頭に浮かぶ旋律を追いかけたり、楽しさ、哀しさ、焦りなど、さまざまな感情が声だけではなくギターからも浮かび上がってくるようだ。

 

そして、さりげなくも大きな存在感を示しているのが、彼女が生活をともにした環境音。たとえばハイ・レゾリューションの音源は人間の可聴域外の音も取り入れることで響きが豊かになるというが、彼女を取り巻く森の環境はそれに似たイメージの役割を果たしている。雨音や木々のざわめき、鳥の声、ウッドストーブで燃える薪の音、意識しないとほとんど聞こえないが確かにそこにあるこれらの音が、ノイズではなくサウンドスケープとして彼女の表現と絡み合う。その様は自らのディレクションを母なる自然の流れに委ね、自身の存在を環境の中に溶け込ませているかのようでもある。

そのことがより顕著なのが、1日の始まりと終わりに取り組んでいたギターの即興演奏をコラージュしたという『instrumentals』だ。フレーズを探すようにおぼつかないこともあれば、ゆったりと響きを確かめたり、ほとんどなにも鳴っていないような時間が流れたと思えば、興が乗ってきて指づかいも生き生きとしはじめ、思わず吹き出したりもする。言葉はなくとも、いや解釈を限定するようなメッセージがないからこそ、彼女の思索の足跡がありのままに感じられるではないか。森の生活をまるごとキャプチャーしたようなこの作品は、アンビエント=環境音楽の射程を拡張するように雄弁に僕らに語りかける。

余談めいてはくるが、例えばタイトルから曲名、名前にまでいたる小文字の表記から、( taylor swift(テイラー・スウィフト)の『folklore』『evermore』などと同様に)bell hooks(ベル・フックス)から連なるフェミニズムの文脈にエイドリアンも連なっていると感じ取ることもできるかもしれない。そのような視点で表現を読み解くとまた別の解釈も生まれるだろう。あるいは歌詞の“I was scared, indigo, but I wanted to”(anything)やタイトルの“music for indigo”に、元恋人のミュージシャン indigo sparke(インディゴ・スパーク)の影を感じ取ることもできるかもしれない。

 

しかしだからといって、本作は「フェミニズム的作品」や「元恋人への想い」といった一つの側面に、作品の印象をまるごと乗っ取られることは決してない。それらのイシューやストーリーはさりげなく下地に織り込まれながら作品に広がりを与えつつ、彼女の表現はあくまで純粋に、自己の内省や音楽表現の探究へと向かっている。だからこの作品はかくも美しく、聴いている僕らに豊かな時間の流れを感じさせてくれるのだろう。

 

たとえば細胞が生まれ変わるように、日々はごくわずかな変化の無限に近い連なりの集積として存在している。そのことに少しでも立ち返られたのなら、今あなたの目の前にある時計は再び生き生きと針を刻みはじめるだろう。エイドリアン・レンカーが森のキャビンで培った透き通る純度の音楽表現は、日々に追い立てられて忘れかけていたそんな感覚を僕らに取り戻させてくれるのだ。

songs and instrumentals

 

アーティスト名:adrianne lenker
フォーマット:CD / LP / デジタル
発売日:2020年10月23日
レーベル:4AD

 

収録曲

songs

1. two reverse
2. ingydar
3. anything
4. forwards beckon rebound
5. heavy focus
6. half return
7. come
8. zombie girl
9. not a lot, just forever
10. dragon eyes
11. my angel

 

instrumentals

1. music for indigo
2. mostly chimes

adrianne lenker

Photo by Genesis Báez

 

インディー・ロック・バンド Big Thief のメンバーとして知られるアメリカのシンガー・ソングライター。ソロとしてのキャリアは長く、『Stages of the Sun』(2006年)、『Hours Were the Birds』(2014年)、 後にバンドメンバーとなる Buck Meek (バック・ミーク)との共作で『a-sides』『b-sides』(2014年)をリリース。2015年に Big Thief を結成し2枚のアルバムをリリース後、ソロとして『abysskiss』(2018年)をリリース。2019年には Big Thief として『U.F.O.F.』『Two Hands』の2枚のアルバムを〈4AD〉からリリースし、『U.F.O.F.』はグラミー賞のベスト・オルタナティブ・ミュージック・アルバム、“Not”(『Two Hands』収録)はベスト・ロック・ソングとベスト・ロック・パフォーマンスにノミネート。2020年、バンドに引き続き〈4AD〉からソロ・アルバム『songs and instrumentals』をリリースした。

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EDITOR

マーガレット 安井
マーガレット 安井

大阪在住のしがない音楽好き。普段は介護施設で働きながら、鬱々とした毎日を過ごす。好きなジャンルはシティポップと女性シンガー・ソングライターと女性アイドル。

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