さて、どうしたものか。僕らは正解しか選べない。
近年ではサブスクリプションやSNSの隆盛もトレンドを左右する大きな要素となった。Spotifyではプレイリストやアルバムを聴き終わった後でも、終わりなき“僕の好み”を正確過ぎて怖いほどにキュレートしてくれるし、Twitterを眺めていても「最高!」「素晴らしい!」と新譜の感想がひっきりなしに飛び込んでくる。その新譜を聴いて僕も「最高!」と思いツイートをする。なるほど、何も悪くない。多分これが正解だ。
しかし、この「最高!」は僕の中から生まれたものなのか? 誰かからそう思わされているのではないか? そんな風に自問自答してしまうのは僕だけだろうか? あるいは“あの”Radiohead(レディオヘッド)の新作“だから”好意的に評価したいわけでは絶対にないのに、無意識に彼らの威光に引っ張られてしまう、そんなこともある。考え過ぎと言われればそうかもしれないが、疑心暗鬼の心模様はどうにも晴れない。
そこにヒントを与えてくれるのが批評だ。批評と聞くと、音楽だと『ミュージック・マガジン』や『The Sign Magazine』、あるいは『ROCKIN’ON』といった媒体に掲載されている文章をイメージするかもしれないが、決してそんな限定的なものではないはず。例えばある作品を聴いて「この表現って、もしかしてこういうことなんじゃ?」と思った時の、あのゾクっとする感覚。それが批評のスタートだ。
その直感を批評にするには丁寧に何度も何度も聴いたり、作品にまつわる情報をリサーチしたりすることで直感の根拠を探り、他者が納得できるように示す必要はあるが、あくまではじまりは僕らの主観。作品と相対して、感じたことをありのままに紡ぎ出す。「最高!」の嵐に抗うのはとても勇気と覚悟が必要なことだし逆もまた然りだが、それでも伝えたいあなたにしかない思い。それが批評なのだ。そしてそれは、僕らの疑心暗鬼を晴らしてくれる唯一にして絶対の処方箋だ。
このタイトルはHAIMの第3章でもあるけど、「インディーミュージックの女性性の在り方第3フェイズ」って意味もあるんだろうな。分け隔てなく聴けるようになってきたな〜とか思うようになってきた10sを終えて、今あえて全面に打ち出すのがシビれる。まだ途中だぞって。https://t.co/Wg6L0Qvz77
— あへ (@Nature42) June 26, 2020
手前味噌だが筆者がゾクっとした一例。これでは批評とは呼べないだろうが、はじまりはこういった無根拠だがあなたを捉えて離さない直感からなのだ。
さらにもう少し話を広げると、全ての表現活動は批評的な行動だ、と僕は思っている。かなり大袈裟には聞こえるだろうが、例えばアーティストが世界や自分の身の回りで起こっていることと向き合い、自らと重ね合わせ、その結晶としてできたものが音楽作品なのだとしたら、これほど批評的な姿勢もないだろう。批評とは決して正解探しなどではなく「あなたは世の中をどのような視点で見ているか」のあらわれであり、そう考えると作品を媒介とした他者への自己紹介のようなものともいえるのかもしれない。
さて、前置きが長くなったが、企画「#ハンドルを握り直して」では、あまりに多くの情報が散乱する世の中でも自らのハンドルを失わないための姿勢として、「批評」を考えることとしたい。試行錯誤を繰り返しながらまさに批評に挑まんとする『痙攣』編集長の李氏へのインタビューを軸に据え、4枚の音楽作品を通してアーティストたちの批評的姿勢をアンテナライター2人がまた批評することで、この時代を主体的に生きるヒントを探ろうと思う。この企画があなたにとってなんらかの気づきとなり、自らのハンドルを握り直す一助となれば幸いだ。
「#ハンドルを握り直して」目次
他者の立場を想像し、お互いをエンパシーするためのマスターピース - Moment Joon『Passport & Garcon』
おおらかな時間の流れを紡ぐ歌と演奏 – adrianne lenker 『songs and instrumentals』