ゼロから何かをつくり出すことには相当なエネルギーが必要なもので、心が深く沈み込んだ時にそれでも創造性を発揮するのは並大抵のことではない。しかし、例えば里帰りをするように、これまでの自分を形成してきた大切なものと改めて向き合うことは、クリエイティビティを取り戻すきっかけになるのかもしれない。両親の住む実家とロンドンの自宅で制作された Marika Hackman(マリカ・ハックマン)のカバー・アルバム『Covers』には、そんな他者を通した自己再生の営みが描かれている。
インディ・フォークを起点として、オルタナティヴ・ロックやポップ・ミュージックと音楽性の幅を広げるかたわら、断続的にカバー作品にも取り組んできたマリカだが、本作を聴いてまず驚かされるのは、その統一感だろう。エレクトロポップ、フォーク、インディー・ロック、R&Bと多岐にわたる10の楽曲が、まるでオリジナル作品と見紛うほどの統一感を持って彼女に馴染んでいるのだ。選曲のコンセプトとして彼女が「しばらくの間夢中になっていた楽曲」と語っていたのも頷ける。マリカは原曲と対話するように「この音はどういう意図で鳴っているか?」「それならマリカ・ハックマンはどうするか?」といった洞察と解釈を、一曲一曲丹念に積み上げていく。
例えば、活動初期の姿に立ち返ったようなダウナーでメランコリックなサウンドが、作品全体の憂いのムードを決定づける “You Never Wash Up After Yourself(Radiohead Cover)”。スムーズなアルペジオから置き換えられたもったりとしたシンセとあまりに象徴的なハエの羽音が、感性が死に絶えていくような歌詞のニュアンスを際立たせている。あるいは爽やかなバンドサウンドに潜む陰りをキャプチャーしたような “Phantom Limb(The Shins Cover)” や、ウェットなサウンドで暖かみを付加した “Playground Love(Air Cover)” など、明暗のコントラストを作品全体のムードに合わせて丁寧にコントロールしていることがわかる。
中盤にかけて存在感を示すのは、前作『Any Human Friend』(2019年)から続いてミックスを手がける David Wrench(デイヴィッド・レンチ)の手腕。彼が手がけた The xx(ジ・エックスエックス)さながらのミニマルなビートと、空間に溶け出すようなシンセやギターによるサウンドデザイン。 “Pink Light(MUNA Cover)” ではエレクトロポップの鮮烈な色彩は抑制されているものの、息遣いを多分に感じるマリカのヴォーカルによって、より親密な空気が流れている。マリカが原曲に新たに追加したブリッジで“But I can’t help thinking”をリピートする様子も、考えに考えながらカバーに取り組む彼女の姿が垣間見えるようで、なんだか示唆的にも感じられるではないか。
そしてさりげなくもマリカの解釈が光るのが、アコースティック・ギター主体の2曲。 “Between the Bars(Elliott Smith Cover)” を爪弾くマリカのタッチは、まさにその人 Elliott Smith(エリオット・スミス)のよう。聴き比べないとストローク主体の原曲との違いに気づかないほどに彼女と解け合いつつ、重みのあるドラムマシンや抜き差しされるシンセによりマリカ独特の響きに昇華している。一方で原曲のピアノやストリングスをオミットし、ギター1本で弾き語る“Temporary Loan(Edith Frost Cover)” は、むしろこちらの方がエリオットのニュアンスを強く感じるようにも思える。
ここで作品全体に目線を移してみると、エリオットの気配と同様に、Radiohead(レディオヘッド)の影響を感じさせるサウンドエフェクトやリズムはむしろ “You Never Wash Up After Yourself” 以外に登場する。そして、デイヴィッド・レンチが手がけたFrank Ocean(フランク・オーシャン)のような空間の捉え方がうっすらと作品をおおっていることにも思い当たる。単一のアプローチで画一的に「マリカ色」に染めるのではなく、それぞれの楽曲制作で培ったエッセンスを作品全体に緩やかに馴染ませているからこそ、多様な楽曲が淀みなく流れているように感じられるのだろう。
終盤の “In Undertow(Alvvays Cover)” でも晴れやかな原曲とは対称的に、作品全体を通底する憂いのトーンを帯びつつ、シューゲイズ色をオクターブ奏法のギタースライドで見事に解釈。 “All Night(Beyoncé Cover)” でも、Beyoncé(ビヨンセ)のように迫力と緩急を強調するのではなく、一言一言柔らかに紡いでいくマリカの歌声。レゲエ風味をむしろポストロックのようなリズム解釈に乗せ、最後まで単純になぞるでも1つのアプローチで大雑把に統一するでもなく、「自分ならどうするか?」に徹しながら本作は終わりを迎える。
原曲と向き合い深く洞察し、解釈し、本作の制作を通して自信をつけたと語るマリカだが、その自信が最も端的にあらわれているのが、 “All Night” のアウトロでビヨンセが歌う象徴的なフレーズ“How I missed you, my love”を、彼女が歌わないことだろう。それはあくまでビヨンセの物語を締め括る言葉で、マリカにはマリカの物語がある。この最後の取捨選択に、そんな彼女の意思を感じないだろうか。『Covers』という再生のストーリーを終えたマリカは、また自らの物語を歩んでいくのだ。
Covers
アーティスト名:Marika Hackman
フォーマット:CD / LP / デジタル
発売日:2020年11月13日
レーベル:Transgressive Records / Sub Pop
収録曲
1. You Never Wash Up After Yourself(Radiohead Cover)
2. Phantom Limb(The Shins Cover)
3. Playground Love(Air Cover)
4. Realiti(Grimes Cover)
5. Jupiter 4(Sharon Van Etten Cover)
6. Pink Light(MUNA Cover)
7. Between the Bars(Elliott Smith Cover)
8. Temporary Loan(Edith Frost Cover)
9. In Undertow(Alvvays Cover)
10. All Night(Beyoncé Cover)
Marika Hackman
Photo by Luka Booth
ロンドンを拠点に活動するシンガー・ソングライター。2012年、はじめての音源となる『Free Covers』をデジタル限定で発表し、その後も3枚のEPとミニ・アルバムを〈Dirty Hit〉からリリース。そしてインディー・フォークを基調とした『We Slept at Last』(2015年)でアルバムデビュー。〈Sub Pop〉に移籍後リリースした『I’m Not Your Man』(2017年)では The Big Moon(ビッグ・ムーン)と手を組みインディー・ロックに舵を切り、『Any Human Friend』(2019年)では The xx や Frank Ocean を手がけた David Wrench をミックスに起用し、ポップ・ミュージックへの広がりを見せた。2020年、カバー・アルバムの『Covers』をリリース。