【旅行気分 Vol.2】内面の変化を写し出す優れたロードムービー『ドライブ・マイ・カー』

【旅行気分 Vol.2】内面の変化を写し出す優れたロードムービー『ドライブ・マイ・カー』

【旅行気分 Vol.2】内面の変化を写し出す優れたロードムービー『ドライブ・マイ・カー』

時間と場所を超えるような本や映画に出会えたとき、読んでよかったなと思えます。旅行に行けない今、せめて読書や映画といったカルチャーで旅行気分を味わってみませんか。


今回取り上げる映画『ドライブ・マイ・カー』には、いくつもの旅が登場します。

 

どこかからどこかまでを移動する物理的な旅、自分を見つめて後悔や喪失を乗り越える心の旅、文学や異国の言葉を通じて今ここから離れる想像力による旅。2時間59分という長い時間を通じて描かれるさまざまな旅を通じて、観客が連れていかれるのはどこなのでしょうか。

『ドライブ・マイ・カー』

 

原作は村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文春文庫刊)に収録された「ドライブ・マイ・カー」。

 

舞台俳優の家福(かふく)悠介(西島秀俊)は脚本家の妻の音(おと)と幸福で満ち足りた生活を送っていた。ところがある日、家福は音の浮気を目撃する。何事もなかったように生活していたが、音からは「今晩帰ったら少し話せる?」と。しかしその日に音は突然亡くなってしまった。

 

その2年後、広島の演劇祭に呼ばれた家福は、演劇祭事務局に用意されたドライバーの渡利(わたり)みさきと出会う。残された愛車を妻の代わりのように大事にしている家福は最初みさきの運転をしぶるが……。

村上春樹の小説を読みたくなる脚本

原作は村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文春文庫刊)に収録された「ドライブ・マイ・カー」。パンフレットの濱口竜介監督インタビューによると、同書の「木野」「シェエラザード」からのエピソードも加えた物語となっている。

 

村上春樹の作品の多くはどこかへ行って帰ってくる、あるいは、帰ってこれなくなるようなものが多く、その「どこか」は『羊をめぐる冒険』の北海道、『ダンス・ダンス・ダンス』のハワイのような具体的な場所のこともあれば、異世界や精神世界の象徴のように使われている井戸やホテルの部屋のこともある。

 

しかしいずれにせよ、ストーリー自体が旅を感じさせるものが多い。映画『ドライブ・マイ・カー』自体は家福とみさきの「心の旅」という側面が大きいが、それ以外にも村上作品のいろんな面が感じられる。

 

特に私が『ドライブ・マイ・カー』を見て思い出したのは、『羊をめぐる冒険』と『海辺のカフカ』だ。

三浦透子演じる渡利みさきの出身地・北海道の上十二滝村は『羊をめぐる冒険』に出てくる十二滝村のことを連想させるし、何度も登場する橋を渡って島のレジデンスに向かうシーンは『海辺のカフカ』に登場する高松の海辺の私設図書館・甲村図書館を思い出させ、どこかしら村上春樹の作品らしさが残っている。

 

 

さらに、映画オリジナルのキャラクターである演劇祭事務局の柚原とコン・ユンスは、『ねじまき鳥クロニクル』加納クレタと加納マルタやナツメグとシナモン、『海辺のカフカ』大島さんと佐伯さんや星野とナカタさんのような非現実的だが印象的な二人組の姿とかぶる。

 

 

映画を見ているうちにだんだんそういった村上春樹作品の細部を思い出し、そこから小説を読みたくなり、読書によってまた再び壮大な旅に浸りたくなってくる。

瀬戸内の光と風の音を感じる演出

この映画の大半は広島でロケがされているそうだ。瀬戸内沿岸を旅した人はわかってくれるかもしれないが、瀬戸内は眩しい。海は大きなレフ板のようで、晴れた日など特に海が光って、その反射で町がとても明るく見える。

 

私は長年海のない街に住んでいるせいか、瀬戸内に行くとよけいにそう感じる。この映画のロケが行われたのは11月だそうだが、その瀬戸内の明るさを引き立てるかのように、紅葉が画面に色を添える。

 

 

映画の内容は人のさまざまな傷に触れ、それを明るみに出すようなところがあって、決して明るいものではない。しかし、この瀬戸内の秋の明るい風景が、そのような重さを中和してくれているような部分がある。

また、映画ではところどころで風が吹くシーンが効果的に登場する。瀬戸内の海というのはあまり波は立たないが、その代わりに風がよく吹く。

 

私が印象に残った風が吹くシーンは2箇所ある。一つはみさきが家福に自分が働いている海辺のゴミ処理施設を案内するシーン。

 

ここは谷口吉生が設計した広島市環境局中工場という実在の建物で、広島平和記念公園から伸びる吉島通りの終点にあたる。

 

広島平和記念公園の設計コンセプトにも使われた「平和の軸線」という考え方が取り入れられており、海から原爆ドームまでの間を遮らない通路がある。この通路を歩きながらみさきは自分が広島にやってきたいきさつを家福に話す。

 

通路を出てきた二人は海辺の公園でタバコを吸おうとするが、風が強くてなかなか火がつかない。この風の音やはためく布などが印象に残る。

もう一つが、芸術祭で上演する『ワーニャ伯父さん』の稽古シーン。演じるのは主人公・ワーニャの妹婿セレブリャコフの年若い後妻のエレーナと姪のソーニャが和解する場面。

 

この演劇は多言語演劇といって、さまざまな国の役者たちが自分の国の言葉でセリフを言うのだが、エレーナは北京語、ソーニャは韓国手話で、本来だったら通じないはずだ。

 

しかし稽古では、なめらかな音楽のような北京語と、音のない踊りのような手話の間で、意思疎通が起こっているように見える。家福は二人のやりとりを見て「この瞬間何かが起こっていた」と言う。このシーンでも静かに公園に風が吹き、枯葉が落ちる音が聞こえる。

二つの風が吹いたシーンはともに、家福とみさきの関係や役者たちの中で役に対して何か変化があったシーンだ。普通だったらその変化を示すようにBGMが流れたり、何か大袈裟な演技をしたり、ドラマチックな演出をしたりすると思うのだが、そういうものはない。その代わりかのように、そこを吹く風が画面に変化を添える。

 

私には、それが内面で起こっている何かを、音楽や演技や演出ではなく、風で表そうとしているように感じたのだ。これら光や風といった自然が実に効果的で、映画を見たあと、この自然を味わいに外に出かけたくなる。

他者の声と内面の変化

家福の舞台は、さまざまな言語を話す役者が自分の国の言葉でセリフを言う「多言語演劇」だ。多言語で演劇をするとき、相手が何を言っているかわからないから、自分のセリフを言うタイミングがわからない。そこで家福は感情を込めず、何度もセリフを読むという手法により演出をする。

 

これは実際に濱口竜介監督もとっている演出方法で、役者がテキストの意味に捉われずセリフを覚え、何度も繰り返すことで役に自分を落とし込むことで、その役として舞台に立った時にそのセリフが自然と出てくるようになるという。

 

そのことを家福は「自分を信じて役に自分を差し出す」とか、「テキストが答えてくれる」と言っていた。

家福は音の死後、『ワーニャ伯父さん』の舞台に立てなくなり、演出家へと転向した。

 

家福が恐れたのは、「チェーホフのテキスト」によって、「自分がひきずりだされる」ことだった。しかし映画の後半、あることをきっかけに家福は自分が舞台に立たなければならないような状況に陥る。どこかでゆっくり考えたいと言う家福に、みさきは「車を走らせましょうか」と提案する。家福はみさきに「故郷を見せる気はあるか」と問いかけ、二人は広島からみさきの故郷の北海道・上十二滝村まで長時間のドライブをする。

家福はそれまでは亡き妻・音のように大事にしてきた車の中で、生前の音が吹き込んだ『ワーニャ伯父さん』の朗読テープを相手に繰り返しワーニャのセリフを練習してきた。それは家福にとって音が生きている頃から変わらない儀式だった。しかし、この北海道までのドライブの最中では音の声を吹き込んだテープは流されない。また、それまでみさきの運転する車の後部座席に座って音の声に合わせて稽古していたが、このドライブの最中はみさきの隣に乗っている。

『ワーニャ伯父さん』の稽古で言葉の通じないもの同士が互いのセリフをひたすら聴くことによって、意思疎通ができているように見える舞台がを作つくり上げられたように、この長時間のドライブの中では、互いの話に耳を傾けることによって家福とみさきの間には何か変化が起こっている。

 

ここで面白いと感じるのは、みさきが何かを媒介するような存在や、主人公を癒す巫女のような存在になっていないということだ。みさきは一方的に家福の話を聞くだけではなく、家福もまたみさきの話を聞く。そのことにより、みさきの中にも何か変化が起こり始める。

内面の変化も一種の旅

この舞台で役者が感じる変化と、みさきと家福の間に起こった二つの変化はなんだったのだろうか。

 

私はライターだが、テープ起こしをして相手の発言を何度も読み返すうちに、インタビュイーの言葉が自分の中に響いてくる瞬間があって、相手の言葉が自分の中にも響き出すようなことがある。

 

そういうとき、まるで自分ではないものが自分を通じて語っているような感覚を掴み、その人が語っているかのような調子で文章を書けるときがある。このようなことはそうそう起こるものではないが、そんなときはライターの中でも何か変化が起こっている。

 

聞くことと書くことによって自分の中に眠っていたものがゆり動かされ、自分の中の気づかなかった気持ちに気づいたり、思いもよらなかった考えと結びついたりして、新しい考えが生まれてくる。つまり、自分が言葉や人との関係によって変化しているのだ。

 

そんなとき、自分が新しくなった感じがする。これは映画の中でセリフを何度も繰り返す役者たちや、家福とみさきの長時間のドライブの中で起こっていた変化に近いものではないだろうか。

内面が変化して今までの自分という枠から抜け出すことと、旅で見知らぬ景色や文化に出会い、自分の価値観が動かされることは似ている。

 

映画『ドライブ・マイ・カー』では、移り変わる景色とともに長い時間をかけて登場人物の心境の変化が丁寧に描かれているおかげで、観客は家福やみさき、『ワーニャ伯父さん』を演じる役者や劇中の登場人物たちの変化を一緒に体験できる。

 

『ドライブ・マイ・カー』は「内面の変化」という人の心の中で起こる旅に焦点を当てた、優れたロードムービーとも言えるのだ。

公開情報

『ドライブ・マイ・カー』
全国大ヒット上映中!

キャスト:西島秀俊 三浦透子 霧島れいか/岡田将生
原作:村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」 (短編小説集「女のいない男たち」所収/文春文庫刊)
監督:濱口竜介 脚本:濱口竜介 大江崇允 音楽:石橋英子
製作:『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 製作幹事:カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド
制作プロダクション:C&Iエンタテインメント 配給:ビターズ・エンド 
(C)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
2021/日本/1.85:1/179分/PG-12
公式サイト dmc.bitters.co.jp

 

 

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EDITOR

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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