30日 続き
ここからマラケシュへ着くまで、のどかな風景をご覧ください。まじで雲をひとつも見なかった。
ここからマラケシュへ着くまで、のどかな風景をご覧ください。まじで雲をひとつも見なかった。
そんなこんなでようやくマラケシュへ到着。家を出てから約32時間、思えば随分な長旅であった。宿に着くまでは一息つけないので、安心するにはまだ少し早い。しかし新しい町に着いた時のドキドキは何にもかえられんね。
マラケシュは随分と暑かった。これでも最近は涼しいらしく、先週までは45℃くらいはあったらしい。今日は40℃らしいが、湿度がない分日本の30℃くらいに感じる。スクリーンショットが若干遅い時間になyってしまったが参考までに一週間のお天気を。
この日に予約したのは日本人宿の”Riad House13“。普段はゲストハウスが中心で、あまり日本人宿は使わない。国外まで来てわざわざ日本人と話しても面白くないと思っているからだ。しかしあまり事前に調べても来なかったし、今後の動きのこともあり、どのルートが砂漠への行き帰りの最適解か、また近辺で面白いものはどこか聞きたくて情報収集したすい日本人宿にした。ドミトリーは一泊120DHなので日本円で1800円くらいか。ゲストハウスの相場が大体1000円くらいなことを考えると少し割高だが、許容範囲と思える。
マラケシュ駅を出てタクシーに乗り15分ほど走った、メディナの中にHouse13はあるようだ。タクシーを捕まえなければならないが、 基本的に客引きをする人間は相手にしたくない。他所の国でもぼったくられたことがあるからだ。モロッコではタクシーの料金は事前交渉となるらしいが、まれに流しのタクシーはメーターで走ってくれると聞いており、その方が圧倒的に安いと事前情報にあった。
歩きながら流しのタクシーを探す。 モロッコは右側通行 夕方で時間帯が悪いのか流しのタクシーが全く捕まらない。数台に無視され、ようやく止まってくれる一台が現れた。しかしよく見ると相席でメーターはなし。いきなり相席か……とも思ったが値段は50DH。なんとか許容範囲だった。疲れていたし、ちょっと高いくらいならまあいいかと乗車を決める。
メディナという言葉がある。これは旧市街を意味し、古くからある外敵の侵入を防ぐために街をぐるりと高めの壁が覆っている。旧市街があればもちろん新市街もあり、新市街は建物や道が新しく広くきれいだ。僕はまだのどかな田舎か、新市街しか見ていなかったし、それでモロッコを見た気分になりつつあった。そういう意味で油断していた。
日本を発つ前に何度もマラケシュの地図を見ていた。メディナをぐるりと囲む凹凸マーク、これは本当にただの壁だった。高さは4.5mくらいで、赤土色の簡素な壁が延々と続く。門をくぐるとまるで別の国のようで、それまでの秩序だった世界はなくなった。臭いし汚いし人が多い。電車でほぐれていた緊張感がまた復活した。やたらジロジロと見られたり、意味もなく声をかけられたりするのが若干怖い。タクシーを降りて路地裏進んだ先に宿がある。
19時過ぎにようやく到着。分厚い扉に13とあり、常に鍵を閉めてあるようだ。ノックをすると従業員の女性が1人出てきた。中に入った瞬間外とのギャップに驚いた。めちゃくちゃきれいだし、開放感がある。とりあえず宿の説明を聞くことに。お湯も出るみたいだし、随分ときれいな宿で嬉しい。唯一の誤算は僕以外に宿泊客がいないこと。よく考えれば連休でもなんでもないこんなど平日のには誰も来ないよなあ。情報交換どうしよう。
貴重品など荷物を置ける場所ができてホッとしたのでとりあえず出かけようとした矢先に、「今ラマダーンだから19:30-21:00は出歩かない方がいいよ。みんな食事をしていて、人気がなくなって危ないから」と言われた。どこかで聞いた話だと思ったらスペインのシエスタと似たような話である。お腹は減っていたけど、時間が中途半端なので片付けをして21時を待つことにした。
21時をまわり、外に子供たちの声が響きはじめる。祭りでもやっているのかと勘違いするくらい賑やかだ。外へ出たらいきなり遊んでいた子供たちに囲まれた。「写真を撮ってくれ」、みたいなことを言う割に、すぐに隠れてまともな写真が撮れなかった。
治安の問題から宿の門限が23時らしく、宿から歩いて10分ほど先のジャマ・エル・フナ広場で食事をすますことにした。ジャマ・エル・フナ広場はマラケシュのメディナの中心街で、夜は屋台が立ち並び、お店が多く常に多くの人で賑わっているらしい。ジャマ・エル・フナ広場へ着く前から片っ端に声をかけられる。「ちんこカチカチ!」、「こんにちは!」、「あきは~ばら~」、「ジャポネ?」、「オカマ!」。
無理にでも気を引こうとするのでかなりビビりながらも、客引きは無視して適当な屋台へ入る。メニューは写真もなくフランス語とアラビア語で書かれているため全くわからず、とりあえず辛うじて読めたクスクスとコーラを注文する。クスクスっていまいち知らなかったけど、チキンがパリパリ熱々でなかなかに美味しい。
これだけは絶対に言えることがある。僕は絶対に日本の飯が一番うまいと思う。どんなに美味しいと聞いていても、日本で食ってるものより劇的に美味しいものには海外で出会ったことがない。だから海外へ行くことの一番のストレスは食になる。クスクスもまずくはないが、物足りない。早くも一神堂のラーメンが食べたくなってしまった。
22時を過ぎると街に人が溢れはじめた。帰り道を通ると、先ほど通った道にもこんな時間から露店が溢れはじめて狭くなっている。基本的に衣類が多いようだ。逆に店舗を構えているお店は閉まっていた。またモスクへ向かう人が圧倒的に多い。モスクへ向かう人はみんな同じ白い服を着ていてすぐにわかった。
徐々に賑わいを取り戻していく町を背に、無事に宿へ到着。この時間から賑わうってすごいな、歌舞伎町かよ。寝る前に宿のお姉さんと話していると、ターバンを試着してくれた。鏡で見た自分の姿を見て「ISILみたいだなあ」と、ぼんやり考えているとお姉さんが「ISILみたいでしょ」と笑った。さすがに遠慮して言わなかったのに……。こうしてマラケシュ1日目の夜は更けていった。24時過ぎてるのに外ではまだ子供たちの声が聞こえる。でも僕はそろそろ寝ます、おやすみ。
続く