サウナの梅湯

サウナの梅湯

サウナの梅湯

京都、五条。京都駅からも近く、ゲストハウスやホテルも増え始めたこの界隈で、一際賑わうスポットがある。それが銭湯カルチャーの火付け役となった「サウナの梅湯」だ。サウナ付き、430円でさっぱりできるとあって、学生や近所の常連客はもちろんのこと、夜行バスで京都に来た観光客や木屋町で夜通し遊んだ若者が、土日の朝風呂に吸い寄せられていく。銭湯の多い京都の中でも特に梅湯の客層に若者が多い理由としては、若き銭湯活動家・湊三次郎さんの存在と、2016年から定期的に開催されている銭湯好きの若者がムーブメントを沸かす銭湯イベント『Get湯!』の存在が大きいだろう。

 

湊さんは大学卒業後、一度アパレルに就職した後に脱サラし梅湯の廃業の話を知って未経験から業界に飛び込み、人気の銭湯に立て直した。数多くのメディアがその経営術やサクセスストーリーを取り上げるその一方で、アンテナが着目したのは湊さんの考え方や、人としての魅力だ。いくら銭湯のハード面が良くても、ソフト面が良くなければ通い続けたいとは思わないし、逆も然り。梅湯が親しまれているのは、店主の湊さんの人としての魅力が前提にあるのは間違いないように思う。

 

そこで今回は、同世代の湊さんの銭湯に対する想いはもちろんのこと、こだわりやルーツ、貫いている考え方について知るべくインタビューを行った。聞けば聞くほど、湊節にぐっとくる。

住所

〒600-8115 京都府京都市下京区岩滝町174

営業時間

14:00〜26:00

土・日曜限定 朝風呂 6:00〜12:00

定休日:木曜日

お問い合わせ

080-2523-0626

インタビュアー:齋藤紫乃

銭湯カルチャーが生まれたのは、京都だからこそ

──

東京の友人がこの前京都に遊びに来たんですが、サウナの梅湯に行くことが旅の目的のひとつだと言っていました。Twitterを見ていても、梅湯を目的に京都を訪れる人が増えているように感じます。

幸いサウナもある銭湯なので、サウナブームにもうまく乗っかれたなと思います。それと、梅湯が京都にあるっていうのは大きい。梅湯に行くっていうことが大きな目的であっても、観光名所である京都に行けるわけじゃないですか。これが例えば静岡の浜松(湊さんの地元)に梅湯があるとして、なかなか浜松に行こうってならないと思うんですよ。経営がV字復活したのも京都に恩恵があると思いますし、他の地域だったらできていないです。京都には銭湯カルチャーが育まれる土壌があったんだと思います。

──

京都だから銭湯カルチャーが生まれたんですか?

『Get湯!』みたいにノリで始めた遊びの延長みたいな感じが受け入れられるのは、

京都特有の『村屋』(現在は閉店してしまった、左京区のディープな居酒屋でありカルチャー)のノリだと思います。みんながワイワイしているところって自然と人が集まるんですよね。梅湯もそういう感じでした。

 

僕が1人で始めて、オープン2日目に僕と同い年のお客さんが来てくれたんですが「銭湯で働いてみたかった」って言うんで、「じゃあ掃除してみる?」って流れから助っ人になってくれて。その次の日には友達を連れてきて、その友達も高槻から原付きで足繁く通って来てくれたり。子どもの時の遊びに近いというか。小学生の時の遊びって、なんかあいつらおもしろい事やってるらしいっていう感じで、休み時間に計画していないのに隣のクラスからも集まったりするじゃないですか。そういうノリが京都にあるなと思います。

──

京都のそういったノリありますね。現在、2店舗目の経営を計画していると伺ったのですが、次はどこで挑戦される予定か教えていただくことはできますか。

滋賀県の膳所(ぜぜ)にある「都湯」ってところです。2年前にご主人が亡くなってから休業していて、そこにアプローチしてやらせてもらえることになりました。

──

なぜその場所を選ばれたんでしょうか?

今こうして梅湯を運営していますが、別に僕は梅湯じゃなくてもよかったんですよね。銭湯を残していくために、廃業する銭湯を復活させる事例をひとつ作りたかった。学生時代に番台もしていたし、たまたま梅湯の廃業の話を聞いたのがきっかけです。何も知識がなかったし、梅湯も最新の設備が整っている銭湯ではなかったから、乗り越えることができたら、絶対無敵の銭湯の経営モデルができると思ったんです。結果的にはめちゃくちゃしんどい思いをしたんですけど、若い人が通うようになって、経営的にも赤字から黒字になったし、設備も自分で直していく過程で学んで、雰囲気もだいぶ良くなりました。

 

でも梅湯というモデルが他の地域でも通用するかと言うと、さっき言ったように京都という部分が大きいのと、「梅湯の湊くん」っていうコンテンツもあっての成功なので、他の地域ではできないなと思いました。だから、2店舗目は地方でやりたかったんです。なんの変哲もない場所で、簡素な設備で。地方銭湯を守るというモデルを作っていくうえで、次の銭湯「都湯」が理想的なんです。

──

今の発展の仕方って、京都にある梅湯だからこそなんですよね。アーティストも観光客も多くない地方で、あえて新しいモデルを作りたいってことですね。

今まで培ったノウハウを活かして、実際に自分がどこまでいけるか、地方銭湯がどこまで可能性を持っているかを知りたいです。梅湯でライブとかイベントが受け入れられているのは、音楽好きな人が多い京都だからこそなので。膳所の人たちがどうなのかまだ不透明なんで、どんな方法が良いのか探っていくしかないですね。

誰もやっていないことが好き。だから銭湯をやっている

──

「都湯」のように地方の銭湯は今後、なくなってしまうんですかね。

京都でも年に6軒のペースで減っていて、今112軒。今のまま維持はできないと思うんで、10年後、もう50軒を切ると思います。

──

年に6軒!そんなに減っているんですね。

ここ5年くらいのペースです。単純計算で10年で60軒だけど、引き継ぐ人がいないともっと減ると思うんで、あと5〜6年くらいしたらバタバタバタっとスピードが速くなると思います。そうなる前に自分だったり誰かが銭湯を引き継いで立て直すっていう専門的な活動ができるようになって、銭湯を多店舗経営していけるようにしたい。あんまりビジネスと思ってはいないけど、チャンスなのかな。完全に独占できるし、銭湯は絶対に残るものって自分は信じているんで、やり方次第ですね。

──

静岡の銭湯もいずれは引き継がれるんですか?

はい、話があればぜひやりたいですね、明日にでもやりたい。まずは体制を作らないといけないけど。

──

地方銭湯が無くなる前にって考えると、銭湯経営って今局面じゃないですか。他のインタビューでは「運営のしんどさ」みたいな事をおっしゃられていますが、どういった部分にモチベーションやおもしろさを見出しているんでしょうか。

誰もやっていないところですね。多分自分は誰もやっていない事をするのが好きってところと、けっこうしんどいのが好きっていうマゾなところがあって。

──

昔からそういう考えだったんですか?

幼少期というか、大学生の時がこじらせ大学生みたいな感じだったんで、その時からおかしくなってたんだろうなあ(笑)。他の人がやってたら、銭湯をやっていくっていうのが自分の中でおもしろさがなくなってくるんだろうなって気はしますね。

──

でも今は他のことはやらずに、銭湯なんですね。

他の事はパッとしないんで、とりあえず銭湯かな。あとここまで来ちゃったのと、自分がどこまでできるのか突き進んでみたいなっていうのはありますね。

学生の時の僕のテーマ「銭湯もひとつのファッションに」は実現した

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湊さんはメディアの取材で「周りに恵まれている」とおっしゃっていますが、梅湯で働くスタッフだったり、『Get湯!』を一緒に始めた『VOU』の川良さん、『論LONESOME寒』の横須賀さんら同世代の熱い同志だったり、湊さんが突き進んでいく道にはどんどん人が集まっている印象があります。どうやって仲間が増えていくんでしょうか?

たぶん仲間が増えていくのは、僕がやりたいことを明確にしていて、実際にやっているからだと思います。それと、場所を持ってしっかりやっているから。何もやっていない状態で「銭湯をなんとかしたいんだ」って言っているうちは、賛同はしてくれるけど行動に移してくれる人はいないと思っています。

──

『Get湯!』などイベントを一緒にやられる方も元々銭湯が好きな方なんですか?

そうですね。特に『Get湯!』のメンバーは、川良さんもすかちゃん(横須賀さん)も銭湯が好きでよく行っていたので、若い世代でムーブメントを起こすような銭湯イベントをやってみようよってなって。川良さんが銭湯好きなアーティストに声をかけてくれたんですけど、第1回目の開催の後、DJやレゲエ、スケーター界隈から「自分たちも銭湯が好きだ」って声があって、それで広がっていった形ですね。

──

銭湯が好きだけど、今まで言葉にしていなかった人たちの先頭に立って湊さんが旗を振っている感じですね。

銭湯を好きだって言う必要は今までなかったと思うんですけど、それを言える雰囲気にしたというか。銭湯って良くも悪くもファッション化したのかなって部分もあります。学生の時の僕のテーマが「銭湯もひとつのファッションに」だったんですけど、数年前は、今と違って誰も銭湯に取材なんてしないし、その時はおしゃれな古民家カフェとかが流行っていたんで、銭湯もそうなればいいなって思っていました。今はそれが実現して、銭湯に行くことがひとつのファッションになったと感じています。

──

『Get湯!』では、喫茶店やバー、理髪店など湊さんたちがいつも利用していてオススメできるお店と提携されていましたが、どういう基準で選んだんですか?

ネームバリューがあるお店にしようとか、ここのお店を紹介してあげようとかは考えずに、普段自分たちが本当に使っているお店を紹介しました。イベントに出店してもらったヘアカット ミヤは、僕が実際に通っている床屋で、取材されたこともないような場所にあります。

──

自分の馴染みの場所を知ってほしいと。

知ってほしいし、自分の中で意外性のあるものが欲しかったんです。けっこう僕飽き性なので、すごい流行ると飽きちゃうんですよ。だから今銭湯がちょっと嫌なんですよ(笑)。梅湯も実は心の中ではちょっと嫌なんですよね、こんだけ取り上げられちゃって、なんかメジャーになってきてて。というよりは、もっとマイナーな、人の知らないものを密かに楽しむのが好きで。友人に教えて、自分の周りで話題に上がるくらいが良くて。ヘアカット ミヤはその点でとても良くて。でも仮にミヤが有名になっちゃうと僕としては嬉しくない。

 

そういう意味では銭湯がつまらなくなってきたんで、銭湯っていう分野の中で全く違う切り口で何か新しいことをしたいなと思っているところです。

本音を言えば、学生時代みたいにふらっと行って普通に銭湯に入りたい

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先程、こじらせ大学生だったとおっしゃっていましたが、何か影響を受けたカルチャーはありますか?

男子大学生のごくごく一部にそういう人が多いと思うんですけど、哲学にハマってひたすら悶々と、「自分とはなんだ」みたいな、よくわからない哲学書を読んで悦に浸っていました。昔の買い漁っていた本棚を見ると恥ずかしくって(笑)。中でも、中島義道の本はかなり影響したかな。あと、『アミエルの日記』はめちゃくちゃ読んでいましたね。

──

どんなところに惹かれたんですか?

中島義道はパッと読むとすごいひねくれているんですけど、実は本質を言っていて。頑張る人が嫌いとか、キラキラしている人が許せないとか言う人なんですけど、自分の中のそういう想いを言語化している方で、影響を受けていましたね。あと『アミエルの日記』は、アミエルっていう哲学者が生前に書いていた日記で、死後に出版されてから評価されたものです。日々の迷いだったり自分の精神の葛藤をつらつらと書いていて、その当時の自分と重ねたり、内に情熱的なものを秘めていて理想を持って諦めない人なので、弱気になっている時とか、今でもたまに読みますね。励まされます。

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湊さんの周りになんで人が集まるのか、その理由が少しわかった気がします。湊さんは「オレの為」って言ってやっていて、「人の為に」とは言わないですよね。誰でもついつい「人の為」って取り繕った経験があると思うんですが、湊さんはそれがなくてとても信用できます。

中島義道も言っているんですけど、人の為にするっていうのは絶対にウソだと。例えば、自分の子どもの為にプレゼントを買ってあげるっていうのは、自分の為なんだってことですね。そうしないと満足しなかったり許せない自分がいるからやっているんであって、根本的にはやっぱり自分の為なんだっていうことを言っている。自分はまさにその通りだと思います。銭湯をやっているのも、自分がやっていれば、自分が入れるっていうのがモチベーションです。もちろんいろんな人に銭湯に入ってもらいたいっていう気持ちはあるんですけど。本音を言うと今、銭湯の未来など案じることなく、学生時代みたいにふらっと行って、普通に入りたいっていうのはありますね(笑)。

──

湊さんの話を聞いて、行ける時に銭湯に通っておこうという気持ちになりました。京都に住んでいたら行きつけのマイ銭湯ってみんなあると思うので、今までは週に1回通っていたのを増やそうかなと思いました。

そうしてくれると僕も嬉しいですね。「梅湯に行きました」って言われるよりは、「ここの銭湯行きました」、とか「週に3回行くようになりました」、とか言ってもらえる方が実は嬉しい。そのために梅湯をやっているんで。

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「梅湯はあくまできっかけでいい」ということですね。

そうですね、梅湯を銭湯の入門にしたいという気持ちでやっています。梅湯を知って他の銭湯に行くようになって、そこにお金を落としてくれる方がいい。できるだけ多くの銭湯を残していきたいので。

──

ありがとうございました!!!

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EDITOR

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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PHOTOGRAPHER

岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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