『静坐社展 – ある洋館の解体をめぐる記録』レポート

『静坐社展 – ある洋館の解体をめぐる記録』レポート

『静坐社展 – ある洋館の解体をめぐる記録』レポート

旅をすると、訪れた場所の匂いや風景が記憶のスイッチを押して、ふと昔のことを思い出したりすることがある。「旅をすることは思い出すことだ」という言葉があるが、記憶を辿ることもひとつの旅と言うのであれば、ある洋館の解体をめぐる記録から当時の様子を思い浮かべることは、時空を超える壮大な旅だ。


2016年5月、京都大学にほど近い吉田山西麓にあった築87年の洋館が取り壊された。昭和4年(1929)に建てられたこの洋館は、大正期に一世を風靡した心身修養法、岡田虎二郎(1872-1920)考案の「岡田式静坐法」の意志を継ぐ「静坐社」の京都の拠点となっていた。宗教史としても、建築史としても重要なこの建物の解体をめぐり、近代日本宗教史・思想史を専門とする研究者、建築史家、美術作家、写真家、映画監督、文筆家などが協力し、それぞれの分野で記録を残した。そのひとつである吉開菜央監督のドキュメンタリー・フィクション『静坐社』の関西ロードショーに合わせ、2021年9月24日(金)〜9月30日(木)まで出町座のギャラリーにて『静坐社展 – ある洋館の解体をめぐる記録』が開催された。

展示の様子(写真:堀井ヒロツグ)

宗教史家と建築史家のめぐり合わせで叶った記録作業

京都では年間800軒の京町家が解体されているという。更地になってはじめて「この場所に何があったっけ?」と目に留まることもあるが、その時にはもうその建物を思い出すものは何も残っていないのだ。そんな中、なぜこの洋館は記録を残すに至ったのか。そこには宗教と建築、2つの目線が関係している。

 

元々、静坐社の拠点となっていた吉田の洋館を発見したのは、宗教学の研究者である舞鶴高専(当時)の吉永進一教授だ。著書『近現代日本の民間精神療法』の中で取り上げた静坐法の拠点となっていた「静坐社」と書かれた洋館を偶然見つけ、思わずピンポンを押したのだそう。

 

東京で政治経済界の要人や文化人にまで広まっていた「岡田式静坐法」は、京都では済世病院のドクター小林参三郎が静坐を用いた治療に傾倒し、参三郎亡き後は妻の小林信子がその意志を継ぎ、昭和2年(1927)に静坐社を立ち上げた。吉田の洋館は長い間その活動拠点となっており、解体前は孫の小林厚子が所有となっていた。

静坐について書かれた静坐社作成の『静坐 - はじめての方に - 』(写真:堀井ヒロツグ)

静坐社の具体的な研究として、当時日本学術振興会特別研究員だった栗田英彦(現・名古屋学院大学)が資料のアーカイブに尽力するなか、花園大学の師茂樹教授も出入りするようになる。洋館の玄関の床が青や紫のタイルで見事に装飾されていたことから、師教授が「タバコ屋とタイルの会」というFacebookのコミュニティページを立ち上げた現同志社大学の佐藤守弘教授と、タイルの研究と制作を行う美術作家の中村祐太、本展示を企画した建築史家の本間智希に連絡し、建築史の観点からも調査していくことになる。

 

解体前にタイルを剥がすと、泰山製陶所製の泰山タイルであることがわかった。泰山タイルは美術タイルとも呼ばれ、京都では同じ時期に建てられた〈進々堂 京大北門前〉にも使われていて、まさに近代化の象徴とも呼べるタイルだ。さらに屋根裏に残された棟札から、熊倉工務店の創業者の熊倉順三郎が請負人だと判明。熊倉工務店は、いち早く西洋の住宅様式を取り入れ、京都を中心に文化財級の近代住宅を数多く手がけた工務店だ。洋館は、京都の近代化を支えた技術が集結した建築だったのである。

洋館に使われていた泰山製陶所製の泰山タイル(写真:堀井ヒロツグ)

本間が映画上映後のトークショーで「建物だけが良くても記録は撮らなかったと思います。その場所で、どんな文化があったかも重要なんです」と語ったように、静坐社と泰山タイルという2つの文化が偶然めぐり合ったことで実現した記録作業なのだ。これまで、建物の保存は残せるか解体されるかの二者択一しかなく、保存ができなかった時にどうすることもできずにいたそうだが、記録や制作で関わるという第三の選択肢ができたことは、大きな前進になるのではないだろうか。

 

現に本間は、「建築におけるものの冥利」を全うさせてやりたいとの想いから、「風土公団」というコレクティブな活動体を立ち上げ、人知れず解体される在野の建築の情報をキャッチし、記録・制作・救出をする活動を行っている。

記憶を思い出すスイッチとしてのモノと映画

修復した竹の棚と本棚(写真:堀井ヒロツグ)

展示は「静坐と静坐社」「建築としての静坐社」「解体をめぐる制作」の三部構成となっていた。会場には、静坐社活動時の私写真を含む写真や岡田虎二郎の書、修復した本棚や解体時の映像、写真などが一同に介した。「元々一つの家にあったものが一度バラバラになって、5,6年後に戻ってくるなんて、人間の世界でいう法事に近いのかもしれない」という人もいたが、故人の思い出をしゃべるように、さまざまな形で残ったものたちが集合して、洋館の記憶を伝えようとしているのかもしれない。

岡田虎二郎と、静坐の様子(写真:堀井ヒロツグ)

なぜそのように思えるのかを考えると、記録の一つひとつに人の想いを感じるからだ。解体当時、記録方法を模索していた本間は、残されていたチラシの裏の走り書きや勉強したノートなど、プライベートすぎて歴史には残らないが、確かにあった人の痕跡をどう残すべきかを考えたという。建築史家としては文字として残すことしかできないが、クリエイターならば解体現場に身を投じた発露としての表現ができるのではないか。そんな想いがあり、制作を依頼したのだという。

 

映画を制作した監督の吉開菜央はトークショーで「映像はデータでしかなくて霧みたいなものだけど、洋館の建具の音とかが全部蘇りました。モノじゃなく映画でも当時の空気感や時間を再現することができるんだと『静坐社』を制作してはじめて感じました」と語った。

『吉開菜央特集 Dancing Films』(写真:堀井ヒロツグ)

静坐は、丹田に力をこめて呼吸を30分間繰り返す行為。ヨガや瞑想にも近く、座っている30分間は何か他のことが頭に浮かんでもただ観察し、ひたすら呼吸に集中する。昔の人たちも、現代人のように自分をリセットする時間が必要で、悩みながら生活していたのだろう。「震える字で書かれた、自分なんて……という揺れる想いが自分と重なって、作品になると思いました」と、当時の人の心の内に思いを馳せる吉開監督の想いが映画から感じられ、自分も一緒に当時にタイムスリップしたような感覚になった。

あとがき

左/キュレーションの芦髙郁子(京都工芸繊維大学)、右/企画の本間智希(建築史家/風土公団

ひとつの洋館の解体に、これだけ多くの人が関わっているのかと感じる展示だった。多くの建物が何も残さず解体されるなか、この洋館は本当に運がよかったと思うが、それだけでは語れないものがこの洋館にはあるのだろう。

 

映像、写真、本棚、タイルなどの洋館を構成していたもの、それぞれに込められた人の想いと文化。それらがひとつの空間に集ったことで、洋館の記憶が鮮明に蘇る。展示では、たしかに静坐社に関わった人が生きた証、洋館に流れていた時間を感じた。

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EDITOR

橋本 嘉子
橋本 嘉子

映画と本、食べることと誰かと楽しくお酒を飲むことが好き。

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