【with your eyes】9th shot:竹村麻紀子

【with your eyes】9th shot:竹村麻紀子

【with your eyes】9th shot:竹村麻紀子

同じ時間を過ごしていたはずなのに、あの人が撮る写真はなにかが違う。そんな経験は誰しもにあるはずです。写真は「その人の生き方そのものだ」という言葉があるように、「経験・興味・視点」がレンズを通して露わになるのが面白いところ。誰もが写真を気軽に発信できる時代だからこそ、「記録に留まらない、写真のあり方とはなにか」を、彼らのキャリアを掘り下げることで模索します。


『with your eyes』連載9回目にインタビューしたのは、『カジカジ』や『mer』などのファッション雑誌をはじめ、広告、アパレル、旅行、建築、取材撮影などジャンルを問わず様々な現場で活躍するフォトグラファーの竹村麻紀子。この連載で紹介してもらう前から個人的にInstagramをフォローしていて、彩度の低い青みがかった写真をいつもうっとりと眺めていた。彼女の写真は静謐な雰囲気を纏っていて、写っている人やものは、絵の中に大切に飾られたように美しい佇いをしている。どうしてこんな写真が撮れるんだろう? フォトグラファーとしての基盤をつくってくれた師匠の前田哲也氏の言葉や考え方から何を学び、それがどういまの彼女のものの見方や写真に影響を与えたのだろうか。

竹村麻紀子プロフィール

1982年 大阪出まれ
2003年 成安造形短期大学卒業 / フォトグラファー前田哲也氏に師事
2011年 独立
北浜にスタジオを構え、 雑誌・広告・ファッション・ビューティーの撮影を中心に、週末には週末写真館「竹村写真館」として家族写真の撮影も行う

 

Instagram:https://www.instagram.com/takemura_photo/

日課だった読書とフォトウォーク

竹村さんは短期大学で写真を学んだ後、20歳の時に地元の先輩の紹介で京都にある前田哲也氏の事務所の門を叩いた。しばらくの間は事務所の雑務をこなしながら、ただひたすら1日3本のフィルムを撮り終わるまでフォトウォークをし、本を読む日々だったという。給料もなく、技術も直接教わることのない環境下で、どんなことを積み上げていったのだろうか。

──

そもそも竹村さんが写真を学ぼうと思ったきっかけはなんだったんですか?

竹村

きっかけは中学生の頃です。ケビン・カーターさんの報道写真『ハゲワシと少女※』を授業で見て、言葉が通じない国のことも、一枚の写真でこんなに伝えられるんだ、すごいなと思って。当時、美術はすごく好きだったのですが、ゼロから何かを考えて絵にしたり作ったりするのが苦手で、それよりもある風景を写し取るとか、あるものをどう捉えるかということの方が好きで、それで写真をやってみたいなと思いました。

 

父親がカメラが好きで家に一眼レフがあったので撮るようになって、高校で写真部に入って週に一度暗室で現像したりしていました。進学する時はファッション写真がやりたかったので東京の専門学校に行きたかったんですけど、親が一旦大学に行ってそれでもやりたければ自分で専門学校に行きなさいという考えだったので、成安造形大学と短大を受けて、ファッションを学べる短大の方に進学しました。でも結局、学校で学べることは多くなかったし、師匠の元でゼロからのスタートみたいな感じですね。

※『ハゲワシと少女』はスーダンの飢餓を訴えた写真で、報道写真家のケビン・カーターが撮影し、同氏は1994年にピューリッツァー賞を受賞。

──

師匠の元にいた8年間はどんな日々だったのでしょうか。

竹村

事務所に入ったら当たり前にお給料をもらえると思ってたんですけど、「なんで何もできへんのにお金払って雇わなあかんねん」と言われて。アルバイトも辞めてお金もなくて、そうしたら師匠が母親に「この子に100万円出してください。絶対使えるようにしますんで」と話をしてくれて、それで100万円を借りて新しい機材を揃えました。そのお金は働いてからコツコツ返しました。

 

1日3本のフィルムを撮り切ることが日課で、現像が上がったら先生に見てもらうんですけど、ペンで丸を付けて「これいいね」「ここの余白いらん」とか「撮れてるようで撮れてない」などと言うだけで、何がいいのかとか、技術のことについてはあまり教えてくれませんでした。基本読書と撮り歩きしか教わってないように思います。写真を撮りに行って日が暮れる前に帰ってきて、みんなが帰るまで本を読んだりPhotoshopの勉強をして、帰れない時は寝袋で寝たりして。ふらふらになりながらもなんとか食いついてましたけど、師匠にとっても会社にとっても何の役にも立たなくて苦しかったですね。

──

読書はどういう風に教わったんですか?

竹村

本のリストをもらって、いついつまでにこのリストを読みなさいと言われて、ある時は下鴨神社の古本市で色々と買いました。私はそれまで全然本を読んでこなかったので、漢字もつまずくし意味のわからない言葉もあって片手に辞書を持って読んでました。太宰治とか夏目漱石、芥川龍之介、『平家物語』みたいな昔から残ってる作品プラス村上春樹の『ノルウェーの森』と吉本ばななの『キッチン』とか現代作家の本も読んでましたね。海外のドストエフスキーとかトルストイとかも。

──

師匠はなんで本を読めと言っていたんですか?理由は言ってました?

竹村

言われなかったんです。でもその当時は何も疑問に思わなくて、先生が言うことが全てでした。うちは「見て学べ」「考えなさい」というやり方だったんですけど、何年後かに言われたのは、「正解を言ってしまうと、それしかできなくなっちゃうし、それが天井になってしまう。何も知らないで考えて色々と見ていったら、きっともっと高い天井があるから考えなさい」と。

──

自分で考える力を付けるために本を読めと言ってたんですかね。撮影の仕事はいつからするようになったんですか?

竹村

数ヶ月くらい経ったある日、急に「このまま1円も稼がんとどうすんねん」と言われたんです。それから会社に1円でも落とさないと居場所がないと思って、写真館のアルバイトに行って小学校の運動会を撮ったり、コンテストに出品したり、友達に協力してもらいながら慣れないヌード写真を撮れるように勉強したりとかして。その時期は精神的にすごくしんどい日々でしたね。

 

そうこうしているうちに兄弟子から仕事を紹介してもらって、行ってみたらまた来てほしいと言ってもらえて、少しずつ仕事が増えていきました。それで仲良くなった美容師のアシスタントの子から依頼をしてもらえたり、現場で撮ってたスナップ写真を編集の方が採用してくれたり。最初はライティングをガチガチに組んで、これでしか撮れませんって撮り方だったんですけど、数をこなしていくうちに少し余裕ができて、作品を見ながら撮り方を考えられるようになって、そうやって少しずつ仕事の幅を広げていった感じですね。

流行を追いかけることに疲れて、変わらないものを求めるようになる

自分の頭でものを考えるためには、まずは自分のものさしをつくらなければいけない。それを手伝ったのが、師匠から読めと言われた歴代作家の代表作たちだ。ずっと残る作品にはいいと言われるだけの理由があり、ものごとを見る時の基準のものさしになり得るヒントがたくさん詰まっている。読書でのインプットとフォトウォークでのアウトプットを通じて、少しずつ竹村さんのものを見る基準がつくられていったのだろう。
そして自分で色々とやってみたい気持ちが募った竹村さんは30歳を前に独立を決意。兼ねてからの憧れだったファッションの撮影もするようになったが、そこで写真との向き合い方に変化が訪れる。

──

独立してはじめの頃は京都と大阪で仕事をしていたそうですが、どんな仕事をされていたんですか?

竹村

一つのことに特化せず、写真ならなんでもやりました。以前は、元々憧れていたファッションやビューティーの撮影が楽しいと思ってたんですけど、歳と共に職人さんの作っているものとか、取材の撮影も話を聞けて楽しいなと思うようになりました。

──

そういった変化は、何かきっかけがあったのでしょうか?

竹村

東京で女性誌の撮影もするようになったんですけど、編集の方に「ファッションに流行り廃りがあるのと一緒で、編集目線でカメラマンもその時々で流行りがあったりする」ということを言われました。なるほどなと思い、歳を重ねるにつれ、在り方、価値観、やりたいことが自然と見えてきて、流行に流されずもっと残ることをしたいなと思ったのが30代前半くらいで、それから週末写真館みたいなことをはじめました。

──

へえ〜、週末写真館ですか。いいですね。

竹村

企業さんとか雑誌の仕事は平日に入るので、土日に自分のスタジオで家族写真を撮ってみようと思ったんです。知り合いの美容師さんやクライアントのお子さんの七五三の時に声をかけてもらったり、ニューボーンとかマタニティもモデルちゃんが妊娠した時に撮ってほしいと言ってくれたりして。その子たちがInstagramで写真をあげてくれたら問い合わせがくるようになって、今は月に何件かは入ってるって感じですね。

竹村さんが撮影した家族写真(Instagramより)
竹村

撮影はシンプルな白い空間で、写したいものを持ってきてくださいっていう自由なスタイルでやってます。昔自分が着てた服を子どもがまた着るとか、撮影にこういう服を着て行こうって決めたご夫婦の会話とか、そういうのも大事にしたいと思ってます。最近はお花屋さんのお友達ができたので、季節のお花と家族写真をコラボレーションしています。

削ぎ落とす。ものと会話をする。

時間をかけて向き合い、つくり上げたものがどんどんで過去のものになってしまうファッション業界。そこで気付いた「もっとずっと残るものも撮りたい」という思いの原点は何なのだろう。そこに、私が竹村さんの写真に感じる「絵の中に大切に飾られたような美しい佇い」のヒントがあるように思う。去年、大阪のサロン〈Bouclettes(ブクレット)〉で行った展示のテーマにもなった青と光ついて掘り下げてみた。

──

竹村さんの写真は光がとても綺麗で、青いトーンがさらにその美しさを引き出しているように思います。美容室では『青と緑と光と影』というテーマで展示を行われていましたが、いつ頃からそれらを大事にするようになっていったんですか?

竹村

青と光は、撮りながら見つけていったと思います。色の白いモデルちゃんの肌の美しさとか、その良さを出すために青っぽいトーンで撮るようになったり、『mer』という雑誌では外でスナップを撮ることが多かったのですが、私は光と白と影だけしかないみたいなシンプルな背景が好きなので、できるだけ削ぎ落としたくて、そういう場所を選んだりしていました。実は私の中では自分の写真が青いと気付いていなくて、周りの関係者に「あの青の写真の子やね」と言われるようになって意識したというか。

──

「できるだけ削ぎ落としたい」の部分ついてもう少し詳しく聞いてもいいですか?

竹村

これは師匠の影響が大きいと思うんですが、師匠自身がシンプルで削ぎ落とした写真を撮られるのと、「この人の写真が素晴らしい」と教えてもらう写真家さんはすごく静謐な写真を撮られる方が多くて。藤井保さんとか上田義彦さん、泊昭雄さんとか、温度がすごく一定というか、音のない世界みたいな写真を撮られる方々です。一枚の写真の力がものすごく大きい。

竹村さんの泊昭雄さんの写真集コレクションの一つ(Instagramより)
──

一枚で伝わるものの強さでいうと、きっかけとなった報道写真もそうじゃないですか?

竹村

そうですね、ずっと見ていられる写真が好きみたいです。私はいっぱい撮っちゃうし、一枚よりも組みで見せる感じが多いんですけど、やっぱり憧れみたいなのがずっとありますね。泊さんの写真はすごく静かでシンプルで、ものと向き合われているというか。ものの力をちゃんと写しているというか、余計なものがない。泊さんの写真集はほとんど持っていて、実際お会いしたこともあって、泊さんが出してるフォトアートマガジン『hinism(ヒニスム)』に一回だけ写真を載せさせてもらったこともあって、感無量でした。

──

(写真を観せてもらいながら)すごいですね。温度が一定とか、音がないと表現したくなるのがすごくわかりました。どうしたらこういう写真が撮れるようになるのでしょうか。

竹村

師匠からは、ものと会話しなさいと言われていました。練習で野菜やお花を撮ってた時もあったんですけど、「野菜から話しかけてくるからスーパーで待っとけ」とか言われて。今なら、自分の心の声に耳を傾けろということだとわかるんですけど、当時は全然聞こえなくて。

──

私は竹村さんのお写真からもものの美しさみたいなものを感じます。佇まいが美しいというか、ものの持つ美しさを捉えられているからなのかなと思っていて。今おっしゃったみたいな、ものと向き合う感覚がきっと竹村さんの中にもあるのではないでしょうか。写真を撮る時はどんなところを大事にされてるんですか?

竹村

なんでしょうね。まず、もの自体がすごく好きなんですよね。

──

器とかたくさん撮ってらっしゃいますもんね。

竹村

手でつくった器は一つとして同じものがないじゃないですか。だから買う時には全部出してもらって一つひとつ時間をかけて見ます。好みでいえば、綺麗な器よりちょっとクセがあって、歪んでたり、焼いた時のムラがあったりするつくり手を感じるものが好きですね。そんな唯一無二の姿を写真で残したいと思います。形あるものはいつか壊れてなくなっていくけど、写真は永遠に残すことができるので。写真を見て「この時こんな服着てたな」とか「こんなこと考えてたな」と思い返せることが素敵だなと思ってて。写真は一瞬を切り取るものだって考える人も多いと思うんですけど、私はそういう瞬発力のあるものは得意じゃなくて、永遠に残る時間を撮っているし、見る人にもそう感じてほしいなって。

──

焼きムラがあったりちょっと歪んだ器が好きだとおっしゃいましたが、ものを見る時の審美眼がどうやって竹村さんの中に構築されていったのか知りたいです。

竹村

師匠からは、日頃からいいものをたくさん見なさい、まずは真似をしなさいと言われてました。守破離の考え方で、基礎を収めて破って捨てろと教えてもらいました。自分で好き勝手やっていても自己満足でしかないので、基礎をしっかり入れて、でも基礎に囚われたら当たり前のことしかできなくなるから、それを捨てられるように次のステップに行きなさいと。それをずっと心に留めながら、お金はなかったけど当時から写真集はたくさん買っていました。文学もそうですけど、歴史に名前が残る人の作品はすごいものだから、海外の人も含めてまずは有名な写真家の写真集をとにかく買いました。それと、写真展や美術館はなるべく全部行きたいと思っているし、美術館は空間も光も綺麗なのでそういうのをゆっくり見たり、本の装丁や文字、デザイン書も見ます。東京でも時間ができたらなるべく美術館に行ったり、出張の移動時間には風景を見ています。

──

日頃から目にするものが写真に還元されていて、美しさの基準も守破離で更新されている感じなんですかね。

竹村

そうだと思いますね。残念なのが、バカ舌なので、食に関しては食べたいものと目にしたいものが違うんですよ(笑)。

 

 

私が竹村さんの写真に見惚れてしまうのは、光が美しいからだと思っていた。けれど、今回お話を聞いて、そう感じるのは光をコントロールして永遠の時間を写そうとしているからだと知った。よく映画は役者の美しい瞬間を閉じ込めたものだと表現されることがあるが、それを一枚の写真で表現するためには、ものや人と向き合い、会話し、それらが持つ潜在的な美しさを最大限に引き出す必要がある。私たちが見ているものは、フォトグラファーが導き出した最も美しい答えなのだ。

お気に入りの一枚

竹村

日々の中で何気なく過ぎていく時間の中には素晴らしい瞬間、景色、光が溢れているのだと、写真をはじめてから気付かされた。そんな日々の中で、どこかに遠出をしたりする訳でもなく近所で撮影した一枚。写真を撮るにあたり自分が一番大切にしている「光」が美しいと感じる写真です。

一緒にフォトウォークをしながら竹村さんが撮った写真

いつもは取材を終えた後にフォトウォークを行うのだが、この日は時間の都合もあって梅小路公園でのフォトウォークからスタートした。その日は薄手のアウターで快適に過ごせる気温で、午前中の光は柔らかく、とても心地よかった。竹村さんは「光が綺麗」「あの光かわいい」と光について口にしながら、私の目には何でもない林の方や、物置きの壁などを次々と撮影していった。取材場所のカフェに入って撮って出しのデータを見せてもらって、光を見ているんですと言っていた理由がようやくわかった。何もないと思っていた林には一筋の光が差し込んで、手前の木の上の方の葉っぱがハートの形に照らされていたり、物置きの壁には葉っぱの影が綺麗に映し出されていた。光を撮るということを、以前取材したmogu cameraの小倉さんへのインタビューで少しはわかったと思っていたのに、まだまだ私の目には見えない光の世界があるようだ。

紹介したいフォトグラファー

中村寛史さん
https://instagram.com/nkmrhrsi?utm_medium=copy_link

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岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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橋本 嘉子
橋本 嘉子

映画と本、食べることと誰かと楽しくお酒を飲むことが好き。

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