【with your eyes】8th shot:木村華子

【with your eyes】8th shot:木村華子

【with your eyes】8th shot:木村華子

同じ時間を過ごしていたはずなのに、あの人が撮る写真はなにかが違う。そんな経験は誰しもにあるはずです。写真は「その人の生き方そのものだ」という言葉があるように、「経験・興味・視点」がレンズを通して露わになるのが面白いところ。誰もが写真を気軽に発信できる時代だからこそ、「記録に留まらない、写真のあり方とはなにか」を、彼らのキャリアを掘り下げることで模索します。


『with your eyes』連載8回目にインタビューしたのは、フリーランスの商業フォトグラファーでもあり、現代美術作家としても作品を制作・発表する木村華子。木村の作品『SIGNS FOR [          ]』を初めて観たのはKAGAN HOTELの一室で、見た目のかっこ良さに加えて作品に込められたテーマを知ってさらに好きになった。木村は一貫して、「存在する/存在していない」などの両極端な事象の間にあるグレーゾーンを写真や立体作品、インスタレーションで表現している。毎回さまざまな表現で鑑賞者に新鮮な驚きを与えてくれるが、どうやってテーマに対して最適な表現方法を見つけているのだろう。

 

それは広く作品に対してだけではなく、木村が写真を仕事に選んだ理由や、写真の技術を磨くために選んだ過程にも言えることなのだが、彼女は実現したいことに対して自分に合った手法を見つけ、選び取ることに長けている。「無理せずできる仕事だったから」という理由で選んだ写真で、なぜここまで注目されるようになったのか。仕事や生活、写真に対する彼女の考え方は、自分に何ができるのかを迷ったり、何かをスタートするのを躊躇っている人たちへのヒントになり得るかもしれない。

木村華子プロフィール

京都府出身、大阪市在住。同志社大学文学部美学芸術学科卒業。
フリーランスの商業フォトグラファーとして雑誌、広告、Web媒体などで撮影する傍ら、2011年から自身のライフワークとして作品制作を開始。
主に「存在する/存在しない」「違う/同じ」などの両極端と捉えられている事象の間に横たわるグレーゾーンに触れることをステートメントの中心に据え、時代性を内包したコンセプチュアルな作品を展開する。
また近年は写真を主軸とした表現に留まらず、立体作品、インスタレーション、他者に行動を働きかけるアクションなど幅広く手がけている。
2013年よりミュージシャン、ペインター、フォトグラファーで結成された総勢11名のアーティスト・コレクティブ “Soulflex”に所属。
アートディレクション、撮影、楽曲ジャケットのビジュアル制作などを担当する。

 

Instagram:https://www.instagram.com/hanako_kimura/
website:https://hanako-photo.sakura.ne.jp

無理せず自分の好きなことを仕事にしようと開き直った大学時代

──

小さい頃からアートに触れる機会が多く、大学では美学芸術学科で美術史やアート評論を学ばれていたそうですが、木村さんのアートとの出会いを教えてください。

木村

母がアートが好きで、NHKの『日曜美術館』を見てから美術館に行ったりしていました。自分でも絵を描くのが好きでしたね。小学校の時は絵描きやアーティストになりたいと思っていたんですけど、年を重ねるごとに、自分がいいなと思う絵に到達できるほど絵が上手くないとだんだん気付いて、諦めるようになりました。端的にいうと、自分は割と現実的なので、絵を描いて生活していけるビジョンが全然見えなかったんですよね。それよりも音楽がすごく好きで、中学と高校では吹奏楽部で、大学でも部活で音楽をやっていました。最初は、アート作品を作ることは選択肢に入れていなかったんです。

──

音楽は途中で燃え尽きたと他のインタビューでもおっしゃっていましたが、音楽を仕事にしようとは思っていなかったんですか?

木村

いいなとは思っていましたね。アルトサックスを吹いていて、本当に好きだったのでどうにかならないかなとは思っていたんですけど、途中でプロになるほど上手くはないなということに気付くんですよね。大学ではめちゃくちゃ上手い諸先輩の中に混ざってやってたんですけど、こんなに上手い人たちでも仕事にしていくのはどうやら難しいんだろうなと思っていました。さらに大会に出る選抜メンバーのバンドに1年間所属していたのですが、その1年で燃え尽きました。

 

それが大学2年生の時で、燃え尽きすぎてて就職活動やインターンシップをする気力もないし、今更狭き門の学芸員になる気力もありませんでした。これ以上は頑張れないと思いつつも、根が真面目なのでとりあえず自己分析をしたら、OLには向いていないなと気付きまして。就職氷河期だったし、リーマンショックで業界が阿鼻叫喚みたいな状況で、もう好きにしようと開き直りました。働く時間は自分が生きている時間だから、無理しないで楽して生きよう、楽して儲かる仕事をしようと思っていました。

──

無理せずできる自分の好きなことを仕事にしようと考えて、選んだのが写真だったんですね。

木村

中学・高校くらいの時に、掌に乗るくらいの大きさのデジタルカメラ、いわゆるコンデジをみんなが持ってたんですよね。その時に自分もちょっとしたスナップを撮って、ブログが全盛期だったのでアップしていたんですよ。パソコンに写真を取り込んで色をいじって……ってやっていたら、ある時ピックアップブログみたいなのに選ばれてビュー数がすごく伸びて。一クラスが40人くらいだとして、一体何クラス分が見ているんだと思ったら、すごく面白いなーと思ったんですよね。

──

写真を選んだのにも、そういった成功体験があったんですね。

木村

絵は思い通りにできない感じがあったんですけど、写真は押すだけで自分でもいいなと思えるものがスッと撮れたんですよ。その感覚を覚えていて、音楽で燃え尽きすぎて楽器にも触れなかった時に、美術館に行ったりコンデジで写真を撮ることが面白くて。そもそも世の中にはこんなに写真があるし、多分食いっぱぐれないなと思いました。

──

世の中に写真が溢れているのはわかるんですが、それが仕事として自分でも出来るかになかなか直結しないんじゃないかと思うんですけど、なんでできると思ったんですか?

木村

それは直感ですね。自分が今まで音楽や勉強を頑張っても、同じ量を頑張った他の人に比べてそこまで伸びないという感覚があって。絵とかも元からめちゃくちゃ上手い人がいて、自分がどれだけ頑張ったとしてもそこまでは辿り着かない。そんな中でも、山登りに例えると、そんなに頑張らなくても5合目までスッと登れることがあって、それが自分にとっては写真なのかもしれないと思ったんです。

──

フォトグラファーを目指してからはすぐに写真の専門学校に通い始めて、大学在学中に徐々に写真の仕事をするようになっていったんですよね?

木村

専門学校に通っている7ヶ月の間にカメラマンのアルバイトを始めました。いくつか応募した中で決まったのがブライダルで、着々とお金を貯めてカメラを買ったりしましたね。

──

お話を聞いてると、目的のためには手段にはこだわりを持たない、という考え方ですよね。

木村

私は自分にできることが少ないと思っていて、ロケアシみたいなアシスタントだときつくてできないと思いましたし、最短ルートかつ自分の中のできることをやっていました。手持ちが少ない分、選択肢がある程度限られているから迷わなかったのかもしれないですね。

──

なるほど。新しいことを始める時、自分の可能性に期待しすぎて実力をはかれないと、できる・できないがジャッジしづらいなと思っていて。その点で木村さんは自分の等身大の輪郭をすごくはっきりと捉えられてますよね。

木村

あんまり自分の伸び代を期待していないです。写真や作品に対してはこだわりがあるんですけど、それだけですね。

──

写真の技術はどうやって磨いていったんですか?

木村

大学を卒業して半年くらいは写真のアルバイトを掛け持ちしながら実家で暮らしていたんですけど、このままだと技術的に頭打ちだなと思って、スタジオでライティングができた方がいいだろうなと考えて、「スタジオカメラマン 求人」でググって出てきたところに応募して、いきなりスタジオカメラマンになりました。そこでライティングを覚えて、1年半から2年くらいで辞めて、フリーランスで仕事をしだしてじわーっと今に至ります。とにかく困ったらググることをおすすめしますよ(笑)

──

実現したいことに対しての因数分解が上手というか、階段の作り方がすごく的確ですよね。

木村

そうですね。基本的に作品づくりもそうですけど、Aに到達するためにはBをやって、Bに到達するためにはCをやって、CをやるためにはD、D2を用意します。それでいつまでにやるか、誰にお願いするかを決めます。TO DOリストを作って、一つ一つ消していくって感じですね。逆にそういうことをしないとできないです。……もうちょっと他のカメラマンの方みたいにかっこいいこと言いたいんですけどね、すみません(笑)

──

いえいえ!むしろ今回はそういう部分をお伺いしたかったというか。私たちはプロとアマのグレーゾーンを増やすことをミッションの一つとしていて、何かを始めたり考えたりするきっかけを作ろうと思って活動しているので、木村さんの考え方が何かヒントになればいいなと思っています。

木村

グレーゾーン、いいですね。私の場合は、あんまりカメラマンへの憧れがなくて、理想が高くなかったのも良かったんだと思います。現代美術や絵、音楽をやっている人に対しては自分が触れていたのでものすごく憧れがあったんですけど、カメラマンは周りにやっている人もいないから、どういう暮らしぶりをしているのかもわからなかった。写真はいい意味で匿名的で、世の中にある商業写真はだいたいいいと思えるので、だから始めやすかったんだと思います。音楽に対しては好き嫌いがハッキリしているので、聞きたいと思わないとか自分の中の判定も厳しかったりするので。

現代美術の文脈を理解しながら、今、自分が見たいものを作る

木村さんの作品『My Brand New Shit』
──

写真を撮り始めてすぐに出品したコンペで審査員にノミネートされたことがきっかけで、作品を作ってみようと思ったんですよね。

木村

はい。当時は現代美術をやりたい気持ちは全然なくて、ただ出したら面白かったし、気にかけていただけて、写真を撮って何か作品を作って出すのはいいものだなと思ったし、ここで評価されたらカメラマンとしての仕事もくるのではという邪な気持ちもあって。出品したきっかけは、先生に『御苗場』というコンペの学生枠に誘っていただいたからでした。専門学校でスナップを撮って自由に発表する授業があったんですけど、ある時、写真を撮りながら自分の中に気付きが生まれて、それに則って写真をセレクトする、ある意味の編集行為ができるようになったんです。

──

その体験が、作品づくりの原体験になっているんですね。

木村

元々、幼少期から抽象的なことを考えるのが好きというか、息をするように衣食住に関係ないそもそも論を考えるタイプだったので、それが作品を作ることとうまくハマりました。子どもの頃の「なんで?なんで?」を同じ熱量でずっと思ってるんですよね。生きてることってそもそも理不尽じゃないか、とか、なぜなんだ、とかを。そもそも生まれたのは自分の意志じゃないのに、始まったと思ったら突然終わったりするじゃないですか。

──

勝手にプレイヤーにされて、なんなんだと。

木村

作品のテーマの根底も幼少期から考えていることの延長にあるんです。存在するとかしないとか、意味があるとかないとか、違うとか同じことって対立しているわけではなくて実は繋がっているというか、カードの裏表みたいな感じで、そのカードが高速に回っていて、それでグレーに見える状態だと思っています。社会生活を送っていくうえではAかBかで考えますけど、そうじゃなくて、完全な黒とか白はなくて、そのグラデーションになっているグレーゾーンの階調に触れていくことを手を替え品を替え、またその時々で気になっていることを拠り所にしてやっています。

──

『SIGNS FOR [          ]』の時は白い看板と青いネオン管だったり、『@Same_Not_Same』の時は猫のぬいぐるみだったり、その時々で題材も変わっていますよね。テーマに対しての最適な表現方法をどうやって決めているんですか?

木村さんの作品『SIGNS FOR [          ]』に込められたテーマ「何も描かれていない空白の看板は、存在意義の有無に一切囚われず、今この瞬間も我々の頭上に堂々と佇んでいます。この作品の前に立つ誰かが、もし周囲の物事や自身に対する存在意義(もしくは意味)を突き詰めようとするあまり、息がしづらくなっているのならば、青い光に照らされた空看板を眺めながら一旦それらのことを忘れ、そして時にはゆっくり休んで欲しいと願っています。」(tagboatインタビューより)
『@Same_Not_Same』
木村

その時の作品の制作意図にフィットしている素材かどうかと、自分が見たいから、で決めています。「こういう作品が見たい」「この考えに行き着いたから、こういうニュアンスの表出で見せたい」という感じです。例えば、『SIGNS FOR [         ]』では、何かしらラインで青く光らせたいと思った時にネオンかなと思ったんですけど、ググってみるとネオン管はプロじゃないと作れないし、高い。LEDだったら自分でも付けられそうだし、安くて軽くて破れにくそうだなと思いましたが、最終的にこの作品は青いネオンで見たいと思ったんですよね。青いけど冷たい感じがしないネオンが合っているなと。それでたまたまネオン職人の方を紹介してもらって実現しました。

──

自分が見たいって作品を作るうえで大切な要素だと思います。

木村

自分が言わんとしていることとその表現が合っているかどうかを気にしますね。自分が表出させたいイメージから遠ざかっていないかとかもそうだし、使う素材や手法が作品に本当に適しているかとか、自分の中で筋が通っていないと気持ち悪くて。

──

やはり現代美術をたくさん勉強して見てきたからこそ、それを見極める目を持ててるってことですね。

木村

わからないんですけど、でも美術史における巨星たちの作品を見て、「この人はこういう理由でこういう表出をしているのかもしれない」とか、「この時代はこういう潮流があったから」というのを鑑みて、それを自分に置き換えていたりします。「こうした方が自分でも驚きがあるな」とか、「自分が見る人だとしてここまでやってたら笑っちゃうな」とか。現代美術の流れみたいなのがあって、それに対するオマージュ的なものも一匙入れています。

──

ライターとして、自分が書きたい記事じゃなくて読みたい記事を書こうと先輩方から教わったんですけど、そのためには読むことが上手くないといけないんです。上達するには、結局インプットとアウトプットが同じくらいの量が必要で、インプットしたものとアウトプットするものの相性やバランスが良くないといけないなと最近考えるんです。

木村

個展を見た人に感想をもらったり、自分の作品について話すことで、作品が他者のフィルターを通り抜けてより広がり、且つ深化していく感覚があります。ヒップホップ(音楽)と現代美術ってやってることが近しいと個人的に思ってるんですけど、先人たちが作品を磨いてきたように、上の世代から受けた影響をレペゼンしながら、カットアップしてミックスしてビートを作って自分の生きている時代や人生のことをリリックに落とし込み、たまに今の世の中の価値観をディスったりしながら、時々親に感謝したりとかしてやっていくっていう。

──

面白いですね。

作品にとっての写真は、現象の魚拓のようなもの

──

最後に、商業写真や作品、私生活の写真など色々な写真を撮られている木村さんにとって、写真ならではの表現ってどんなものだと思いますか?

木村

写真は、機械の力を借りて、自分の個性を無効化して限りなく透明に近づけるものだと思います。身体性みたいなところから比較的自由になれるというか。機械があって自分がいて、外的な世界があって、自分の指でシャッターを押すだけで図像が表れる。そこには何かを削って作ったり、絵筆を握って描いたりする時のように自分の手癖が入らない。撮り方の癖みたいなのはあるんですけど、そんなのはあまねく人が写真を撮っているので、それくらいの差異はないに等しいというか。それが気持ちいいですね。個性を無理に出さなくても情報が多い画が成立するところが好きです。

──

個性を表現したいとは思わないんですね。

木村

自分ならではを為さなくてもいいところが好きですね。例えばイラストレーターの方だったら、作風を強く打ち出さないといけない場合も多いと思うので、自分の中から引っ張り出してきてそれを描かないといけないけど、写真はそれがない。基本的に現代美術の作品は、木村華子という個性をなるべくなくしたいと思ってるんですよ。たまたま時代のとあるところに存在した管みたいな存在になりたいと思ってて。

──

管ですか?

木村

たまたまここに人(管)がいて、そこに日々の生活や、今の日本で起こっている現象、定期的に鑑賞する現代美術作品とかが通っていく。たまたま平成生まれ、極東のニュータウン育ちの人の体を通り抜けていく結果、管の内側に石みたいな結晶が付いてきて、それがポロっと出たのが作品だと思っていて。結果、その目線だっただけで、自分ならではの表現は重要じゃないんです。自分が成立させたいものは、アウトプット的にツルツルに磨かれていないと成立しないものが多いんですよ。例えば、白い看板を自分で絵で描くとしたら、画力のなさが邪魔です。ただ現象について考えたいので、写真は現象の魚拓として使っているんですよ。綺麗にスキャンしたい時にはノイズはいらないんです。

『@Same_Not_Same』
──

ノイズがあると、作品の伝えたいことだけが伝わらなくて邪魔になるんですね。

木村

商業は逆で、ただただ自分が好きだなと思う方向を目指していけば成立します。絶対的な個性が必要なわけじゃないんですけど。

──

個性を出さない写真と出す写真、両方撮られる木村さんにとって、写真に表れる自分らしさって何だと思いますか?

木村

もう写真という媒体には確固たる自分らしさって、さほどないような気がしています。自分らしさを出すために、無理に頑張って撮らなくてもいいというか。家族とか自分が今日行ったところを撮った結果、その写真が俯瞰で見た時によくある写真だったとしても、そこで体験したことは自分だけのものじゃないですか。そのためだけに写真を撮っていいと思ってるんですよ。みんな同じ工業製品を使って撮って、同じソフトで編集し、同じプラットフォームから出してるので、似るのは仕方ないことですし、ただ着々と写真を撮って、見返した時に自分が楽しんでいればいいなと。

──

この連載は、写真はその人の経験・興味・視点が写真に滲み出るという仮説から始まっているんですけど、これまでインタビューをしていて、色味などの目に見えてわかりやすい部分ではなく、そこにしか違いはないなと思いました。

木村

定期的によく見続けていたら、雑誌や広告でも誰が撮った写真かわかる時があるのですが、そこまで写真を撮った人の名前に注目していない人からしたら全然わからないと思います。でも、それがいい。匿名的な誰でもない人として公共の場に画を出せるってすごくないですか。現代美術もなんでもありで、一貫していなくても許されるんです。

──

作風って知らず知らずのうちに見る側が求めちゃうものなのかもしれないですね。草間弥生といえば、とか。

木村

キャッチーな第一人者が評価されるっていう点はあると思うんですけど、まあ人生長いし、そればっかりやってても飽きちゃうし。私の場合、表出されてる作品はシリーズによって違いますけど、考えてることは一緒なんで、人によっては木村華子は同じようなことをずっと考えてるなと思われるんでしょうね、きっと。

お気に入りの一枚

木村

私の最新のプロジェクト『@Same_Not_Same』の中の一点です。
IKEAで販売されている一体500円の猫のぬいぐるみを、様々な国で購入し同じフォーマットで撮影。
その後、偶然出会った他者にSNSにぬいぐるみの写真をアップしてもらうお願いと共に手渡していくアクションと、Instagramのアカウント(@Same_Not_Same) そのものも作品の一部としています。

一緒にフォトウォークをしながら木村さんが撮った写真

取材場所は日差しがよく入るビルの8階のカフェで、キヤノンのフィルムカメラにフィルムを入れた木村さんは、話しながらテーブルに反射する光を撮っていた。外に出た後も「なんでもない建物が好きなんですよね」と、数メートル進む間に何枚もシャッターを切る。普段からいろんなものを観察しているからだろう。彼女の目線はすぐに被写体を捉えていた。だからか、これまで何度もフォトウォークを行ってきたが、彼女とのフォトウォークの時間と距離が一番短かった。

 

フィルムを一本撮り終えると、「楽しかったです!」と言って、自分の作品が展示されているギャラリーへ颯爽と向かっていった。インタビューを通じて感じていたことだけど、彼女は気持ちいいほど潔い。できないことはすっぱりと諦め、そんな中で見つけた写真に真剣に取り組んでいる。それは、彼女が自分を等身大で理解して、取捨選択しているからなのだろう。いろんなことの可能性を捨てきれず、小さなものをたくさん抱えて動きの鈍い私に比べて、持ち物が少ない彼女はとても身軽で、どこまでも行けるんだろうなあ、と思った。

紹介したいフォトグラファー

竹村麻紀子さん
Instagram:https://www.instagram.com/takemura_photo/

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EDITOR

橋本 嘉子
橋本 嘉子

映画と本、食べることと誰かと楽しくお酒を飲むことが好き。

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PHOTOGRAPHER

岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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