『声をあげます』はどこにも行けない状況に置かれたひとびとを描いたSF短編集。舞台となっているのは、どれもそこから逃げることが難しい状況。
『声をあげます』
(チョン・セラン/斎藤真理子訳/亜紀書房/2021)
『フィフティ・ピープル』(斎藤真理子訳/亜紀書房/2018)、『保健室のアン・ウニョン先生』(斎藤真理子訳/亜紀書房/2020)で知られる韓国の人気作家の初めてのSF短編集。地球の滅亡や感染症、気候変動といった現代的なテーマを鮮やかに切り取った8編が収められている。
絶望的な状況下で自分を保つ術
わたしが一番好きな「メダリストのゾンビ時代」では、ある日急に世界の人口の三分の一がゾンビになって町中にゾンビが徘徊しだす。ゾンビは人を食べるため、主人公のアーチェリー選手ジョンユンはマンションの外から出られなくなってしまう。
しかし、そんな状況でありながらジョンユンにはあまり悲壮感がなく、淡々と毎日を送っているように見える。ところが、だんだん読み進めるうちにその態度はこの状況から逃げられないという諦念ゆえのものだとわかってくる。
だからといって、ジョンユンは決して諦めきっているわけではない。状況に絶望はしているけど、生きることに望みを失ってはいないからこそ、毎日屋上から毎日一本ゾンビに矢を射ることで自分を保とうとしている。
もう助けも来ないし食料も尽きて矢を射る体力もなくなってきたことを自覚してきたある日、ジョンユンはある決意をする。
強い意志から感じる希望
ジョンユンはゾンビになっても毎日マンションの扉を叩きにやってくる好きだった先輩・スンフンに、矢を射かけることにしたのだ。ジョンユンはゾンビとなって苦しんでいるスンフンを射ることで、スンフンの尊厳を守ろうとしている。
そこから感じるのは、閉じ込められて外部はないと思える絶望的な状況にもかかわらず、何かを変えようと行動する強い意志だ。たとえそれが終わりに向かう行動だとしても、その意志からは希望を感じられる。
この小説集にはそのような、どうにもならない状況の中でも自分や未来を信じて自分の行動を選択し、行動するひとびとの姿が描かれている。
コロナ禍の私たちと重なる姿
読み進めるうちに、閉じ込められた登場人物たちの姿が今の自分の状況に重なってくる。コロナウイルスの流行から約2年が過ぎ、「災厄が終わった未来」をいまいち信じきれないで、知らず知らずのうちに「どうせ」と唯々諾々と毎日を過ごしがちになっている私たち。
だけど、このような未来を信じているひとびとの切実な声を聞くうちに、だんだんとこんな毎日の中でも何かできることがあるかもしれないと勇気が出てくる。
すぐに旅には出られなくても、少しずつ前向きな気持ちが湧いてきて、未来を信じられそうな気がする。ああ、これだっていつかは終わるかもしれないんだ。希望はあるんだと。
著者プロフィール
チョン・セラン
1984年ソウル生まれ。編集者として働いた後、2010年にデビュー。最新作は『シソンから、』。ほか邦訳されている作品は『保健室のアン・ウニョン先生』『屋上で会いましょう』(すんみ訳/亜紀書房/2020)など。純文学、SF、ファンタジー、ホラーなど多ジャンルな作風で活躍し、幅広い世代から支持を受けている。
訳者プロフィール
斎藤真理子
翻訳家。日本で現代韓国文学が読まれ出すきっかけとなった第一回日本翻訳大賞受賞『カステラ』(パク・ミンギュ著/ヒョン ジェフンとの共訳/クレイン/2014)、現代韓国文学ブームの火付け役となった『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著/筑摩書房/2018)などほか多数。日本の韓国文学ブームを牽引する訳者の一人。