【旅行気分 Vol.5】「いつか」と先送りしていた旅にダイブしたくなる 『水納島再訪』橋本倫史

【旅行気分 Vol.5】「いつか」と先送りしていた旅にダイブしたくなる 『水納島再訪』橋本倫史

【旅行気分 Vol.5】「いつか」と先送りしていた旅にダイブしたくなる 『水納島再訪』橋本倫史

「いつか」行こうと先送りしていた旅はありませんか。橋本倫史さんの『水納島再訪』を読むと、行きたいと思いながら行けなかった場所のことを思い浮かべます。


『水納島再訪』

沖縄のやんばるにある「クロワッサン・アイランド」と呼ばれる小さな島・水納島を訪ねた4泊5日の旅の記録。文芸誌『群像』に短期集中連載された気鋭のライター橋本倫史が綴る、エッセイ・ノンフィクション。

表紙の写真に吸い寄せられて

書店でこの本を見た時、吸い寄せられるかのようにこの本の前で足が止まった。何にひかれたのだろう。表紙には白い砂浜と青い空の中にぽつんと白いタンクの写真。写真には人物や看板など場所や時代を推測させる情報がなく、北国のようにも見えるし南国にも見える。妙に惹きつける写真で、ずっと眺めていたくなる。

次にタイトルを見て疑問が浮かぶ。再訪と言うからには著者は何度も訪れているはずだ。何度も訪ねるような島ならそれなりに有名なはずなのに、「水納島」という名前は聞いたことがない。

みずのうじま?みずなじま? 島の名前もどう読むのかもわからない。万人が記者のようにインターネットで日々全国の珍しい風景や名物を投稿し、穴場なんて探す方が難しいと思える現代で、まだ日本にも知らない土地があることに驚きが湧いてくる。
「どんなところだろう」と思わず本を手に取った。

「無人島になる」島の歴史を記録しよう

この本によると、水納島は「みんなしま」と読む場合もあるが、島の人は「みんなじま」と呼ぶ。沖縄北部本部(もとぶ)半島渡久地(とぐち)港から船で約15分の離島で、三日月型をしているところからクロワッサンアイランドとも呼ばれている。記録に残る水納島の歴史は浅く、本格的に人が住み始めたのは130年前の1890年(明治23年)。それまでは隣の瀬底島から神聖な島として崇められていた。

主な産業は観光業で、住民の多くは半農半漁の生活を営んでいる。現在住人は20人程度。島で唯一の水納島小中学校は現在休校中。著者の橋本倫史さんがこの島を初めて訪れたのは2015年春。演劇カンパニー・マームとジプシーが水納島小中学校でワークショップをすることになり、取材のために訪れた。そこから毎年のように島を訪れるようになったそうだ。

この本を書こうと思い立ったのは、2021年4月1日から4泊5日の旅でのこと。
「このまま行けば無人島になる」という、常宿の島の民宿〈コーラルリーフ・イン・ミンナ〉の宿主である湧川祥(やすし)さんの一言がきっかけだった。

島で働くにしてもなかなか産業はない。学校も、同級生のいない小中学校に通いたい、あるいは通わせたいという人はなかなかいない。そうすると、若者や子育て世代の移住は難しい。祥さんがこの言葉を発したのは、そんな危機感からだった。
橋本さんはこの旅をきっかけに、水納島のことを記録しておかなければという気持ちに駆られ、この滞在記を書き始める。

端々に鋭く歴史が刻まれた場所

離島というと、どんなイメージを浮かべるだろう。観光ガイドなどでは都会とは無縁のゆったりした時が流れる場所のように描かれている。だけど、橋本さんが描き出すのは離島だからこそ受けた時代の影響だ。

半農半漁や出稼ぎで稼いでいた頃の生活、島で産業を起こそうと皆でお金を出し合って建てた共同牛舎、沖縄がリゾート化するきっかけとなった1975年の沖縄国際海洋博覧会、そこから開発が進み観光化する島の様子。橋本さんは湧川祥さんだけでなく、祥さんに紹介してもらいながら、ご近所の仲地光雄さん、与那嶺トシさんと島の人たちの話を聞いていく。

それを聞いてゆくと、ちいさなコミュニティの両親や祖父母の思い出話は、防空壕に隠れていたのをアメリカ兵に見つかって集団で投降したときのこと、南洋へ移民した父が引き揚げの際に、妻子を亡くした話……と、島だけでなく、やがて沖縄の、そして日本が辿った近代化の歴史に重なってゆく。滞在時にもしばしば響く沖縄上空を飛ぶオスプレイの音は、その歴史は今も続いていると警告しているかのようだ。

また、1980年代まで水道と電気が引かれる前の貯水タンクと発電機を使っていたこと、風速88メートル以上の風が吹けば欠航してしまうフェリー、ゴミもフェリーでゴミ処理場まで運んでいるため、住人よりも多くの観光客が来るとゴミを処理しきれず、持ち帰りをお願いしても観光シーズンにはフェリー乗り場のゴミ箱が溢れてしまうことなど、離島ならではの問題もあぶりだす。

見えてくるのは、ゆったり、時間を忘れて、のんびりと、そんな言葉とはかけ離れた離島の厳しい現実と、そこに住んだ人々の生活だ。

自分で動かない限り旅立てない

あそこはどんなところだろう。そんな思いが人を旅に駆り立てる。
たとえそこに何もなかったとしても、見えているのに渡れない島、川の向こう岸の街、遠くから照らす灯台の光、山の向こうから聞こえる船の音。それらは、「見てみたい」という気持ちを駆り立て、それを原動力に人は旅に出る。

水納島が観光化するきっかけもそうだった。海洋博で偶然ホテルから見えた水納島に「渡ってみたい」と言う人が現れた。それをきっかけにバーベキューや海の家を始めるようになったそうだ。
 
本を読みながら、私も「いつかこの島に行ってみたいな」と思う。でも、ずっとこの本に通奏低音として響いている「いつか無人島になる」という言葉を思い出してどきっとする。爆撃を受けたキーウの街、タリバーンに破壊されたバーミヤンの大仏、台風で壊れた室生寺の五重塔、焼失した首里城、開発でなくなった北京の四合院。今まで「いつか行ってみたい」と思いながら、行けなくなってしまった場所はいくつあるんだろう。その「いつか」はいつ訪れるんだろう。


それは自分で動かない限り訪れない。

橋本さんがいつまでも忘れられなかった光景があるという。初めて島を訪れた帰り際、ワークショップに参加してくれた一人の少女のこと。港まで見送ってくれた小学生の湧川海色(まりん)さんの行動。彼女は船が出港すると、いきなり海に飛び込んで手をふってくれたのだとういう。

目に浮かんだその光景を想像してみる。

さよならを何度伝えても伝わらない名残惜しさ、それを行動で伝えようとする彼女の思い切りのよさ、それにはっと息をのむ。

旅にはそんな思い切りが必要だ。私もいつかと先送りしていた旅にダイブしてみよう。そうだ、旅立ちを恐れることはない。


※本文写真はすべて橋本倫史さんによるもの

著者プロフィール

橋本倫史


写真:kawachiaya

1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』、『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場の人々』、『東京の古本屋』。JTAの機内誌『Coralway』で「家族の店」を連載。最新刊は『水納島再訪』(講談社)。

Twitter:@hstm1982

 

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EDITOR

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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