吊るし柿と船頭の舵取りこそが、社会彫刻である。亀岡の風土に根ざす”野良”の芸術|亀岡探訪誌 #5

吊るし柿と船頭の舵取りこそが、社会彫刻である。亀岡の風土に根ざす”野良”の芸術|亀岡探訪誌 #5

吊るし柿と船頭の舵取りこそが、社会彫刻である。亀岡の風土に根ざす”野良”の芸術|亀岡探訪誌 #5

車から見える風景が好きだ。

 

「この土地は茶畑が多くて、緑が綺麗だな」とか、「海に浮かんでいるあの船は何を運んでいるんだろう」とか。車から降りなくとも、その土地をなんとなく味わうことができ、人々の暮らしを想像するのが楽しい。

 

いろんな土地に訪れる中で気づいたのは、「どことして同じ風景はない」ということだ。

 

言葉にしてみたら当たり前なのかもしれない。そこに吹く風や降り注ぐ雨。命の限り精一杯生きようとする植物や生物たち。それらを支える土の中でさえ、どことして“同じ”はない。そのように出来上がった「風土」のなかで、私たちは生活を営み、それぞれの文化を築いている。

 

亀岡にはどんな風土があるのだろうか。そして、そこで生きる人たちはどのような芸術を描き、生きているのだろうか。


市民がアーティストの芸術祭「かめおか霧の芸術祭」

取材は8月下旬。

外に出るとドッと汗が噴き出て、「夏の終わりはないのかもしれない」と思うほどの日だった。

 

一方で、田んぼに目を向けると穂が揺れており、秋が訪れる準備をしていた。寒くなってから急いで秋服を買うような私と違って、風の強さや日の入り時間など、いろんな要素から季節の変化に気づいているのかもしれない。晩夏と立秋を感じつつ、陶芸家 松井利夫さんのアトリエに向う。

 

アトリエの目印は、巨大な金色のタコ壺。これも作品なのだろうかとじっと見つめていると、「いらっしゃい。暑かったでしょう」と松井さんが迎え入れてくれた

 

近年、亀岡には多くの芸術家が移住をしている。『私たちは川から離れて生きられない。保津川に祈り、生活と文化を築いた先人の生き様を巡る|亀岡探訪誌 #2』の取材で、亀岡では焼き上げるための薪が豊富に手に入ったことで、陶芸が活発に。さらに、都という輸送する場所も近くにあったことで、さらに陶芸文化が発展した。

 

亀岡の芸術家は、何を亀岡で感じ、制作をしているのだろうか。本記事では、2008年に亀岡に移住をしてきた陶芸家の松井さんのお話から、芸術的な営みに目を向けて、亀岡の風土を読み解いていこうと思う。

松井さんが持つのは陶芸家の顔だけではない。京都芸術大学教授として芸術研究科で地域資源の発見と活用を教えている。さらには、2019年から開催している『かめおか霧の芸術祭』のプロデューサーも務め、コンセプトや企画などゼロから作り上げていった。

 

「1時間で大学に行ける場所を探していたら、たまたま亀岡にたどり着いて。地域の人たちと接することもなく、ただ穏やかに制作していた」と言う松井さんが、なぜ芸術祭のプロデューサーをすることになったのだろうか。

 

「現・亀岡市長が面白い人で『亀岡をアートの町にしたい』と言って、亀岡に住むアーティストに1人ずつ会っていた。僕はこの平穏な暮らしを邪魔されたくないと思って(笑)。アトリエに来られるのは困るから、僕から会いに役所に行った。

そもそも芸術祭を開催するのは反対だったんだよ。大学院の研究で芸術祭を調べていて、自分なりに課題を見つけていたからね。通常の芸術祭では、国内外からアーティストを呼んで作品を展示するので、滞在費や交通費がかかる。小さく開催しても5000万円以上かかって、一時的に人が集まっても結局地域には何も残らないから、開催しないほうがいいですって、と市長に伝えた」

しかし、その1週間後に市長から「芸術祭をぜひ松井さんにやってほしい」との連絡があったのだ。今まで地域との接点を持たずに、アトリエで制作活動に没頭していた松井さんは「面倒だ」という気持ちと、「やったことがないことができるかも」というワクワク感があったという。

 

そこで、亀岡市民が何を求めているかリサーチする拠点として、古民家を探してもらうことを条件に、プロデューサーを引き受けた。そして、2022年にかめおか霧の芸術祭を開催できるよう動き出した。

「野良の芸術」は社会が見逃す美しさに焦点を当てる

霧は大地の呼吸である。

亀岡を包むその霧を深く吸い込み、大気の一粒一粒を身体に循環させ、人も野菜も野山も川も育ってきました。

明智光秀の鼻息、円山応挙のため息、町衆や農家の寝息、いろんな吐息もまた、亀岡の盆地に消えては湧き立ち再び霧となって、私たちの体内を循環します。

作品だけが芸術ではありません、生命や魂をより一層輝かす「技術」のことをそう呼びましょう。

美味しい野菜を育てることができる人、渓流を綱渡りのように舟を操ることができる人、悲しい人に寄り添える人、鳥と話せる人、へそで茶を沸かせる人、そんな芸術家がいっぱい暮らす霧の盆地で「かめおか霧の芸術祭」が始まります。

 

かめおか霧の芸術祭のホームページより

芸術祭に沢山の人を誘致できても、開催するだけで多大な費用がかかってしまう。そもそも、行政主導の芸術祭に地域住民が関与する余白もあまりない。亀岡はどんな芸術祭を開催したらいいのかを模索する中で、たどり着いたのが「たくましく自然と関わる“野良”の姿」だった。

 

「後世に何を伝えたいかを考えた時に、亀岡の綺麗な畦道が浮かんだ。畦道の整備なんて、誰がやってるかわからない。近所に住むヨレヨレのおじいちゃんかもしれない。

他にも、亀岡は保津川が有名で、船頭さんの動作が美しいんだよ。船頭さんは約4mにもなる竿すげを持ち、川に顔を出す石を突いて、舵取りをする。毎回、同じ石の同じ場所に突くから、次第に窪みができる。その窪みこそが『芸術』なんだなと。自然と人間が美しい関わり方を結べれば、『仕草』や『行為』の副産物として美が生れる。かめおか霧の芸術祭では、それら全てを芸術と捉えている」

Photo by かめおか霧の芸術祭

芸術とは一握りの才能を有した者たちだけが遺せる代物だと筆者は思っていたが、そうではないらしい。ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスが、誰もが自らの創造力によって芸術家になりうる『社会彫刻』という考えを提唱し、少しずつ芸術が「みんなのもの」として開かれてきた。

 

しかし、アーティストという職業ではなく、芸術鑑賞もしない人からすると、「みんなが芸術家になれる」と言われてもピンとこないことが多いのではなかろうか。松井さんの考えは、絵を描いたり、インスタレーションを作ったり、誰もが思い浮かべる「芸術家像」を一般に広げることではないという。

 

「その土地特有の“技術”があるよね。日本海側に行けば、船に乗る漁師が総立ちして、漁をしている姿が見れたり、亀岡だと船頭さんが船を漕いでいたり。その土地の風土や土着から『技術』は生まれるけど、誰もが当たり前すぎて価値あるものだと捉えられていない。僕はそんな生きるために編み出された『技術』に芸術という焦点を当てたい。

例えば昔、亀岡や丹波あたりでは、11月上旬になると『吊るし柿』でまちがオレンジ色になる。霧が晴れる午後にはなお美しい。自分たちの行為で、世界を美しくするのが本当の芸術だなと。絵を描いたり、写真を撮ったりして世界を美しくしようとする手段もあるけど、僕は柿を剥いて世界を彩るほうが好きかな」

Photo by かめおか霧の芸術祭

生命や魂をより一層輝かせ、世界を彩る技術を持つ人たちのことを、松井さんは「野良」と名付けた。そして、かめおか霧の芸術祭は「たくましい “野良る午後にはなお美し」と掲げている。

 

「テーマにしている『野良』は、野良犬と一緒ですよ。プチワイルド。社会から拒絶されているわけではなく、社会に組み込まれないようポジションを取る態度のこと」

 

まだ社会には価値あるものとされていない「野良」によって、「芸術」のように日常が彩られていく。さらに、「野良は英語でGood Field、肥沃な土地という意味も持つからね」と無邪気な笑顔で松井さんは語った。

筆者の頭の中には、数年前に山奥で見かけた鹿が浮かんでいた。車の運転中にチラリと見つけた野生の鹿は、頑健な体で急斜面を降っていた。一つひとつの鹿の動作は、山の隅々のことを知っているがゆえの、無駄が削ぎ落とされたもののように思えた。松井さんが指す「野良」とは、あの鹿のようなことではないだろうか。ふと、そんな考えがよぎっていた。

はみ出し者ゆえ、野良の美しさを発見した

「野良」という言葉に行き着いたのには、松井さん自身が「はみ出し者」として生きてきたからだと語る。

 

「普通の人たちは、平日にオフィスで働いて、お盆は混雑する中で海水浴や遊園地に家族で遊びにいく。僕は逆で、平日にちょっと休んで、お盆こそ制作をする。週末のスーパーのレジに行列ができているのを見ながら、僕は“そちら側”ではないことに、たまに寂しさを感じるんだよね。

もちろん、“普通”に生きていこうとトライしたこともあったが、できなかった。でも、今はこれでいいんだとも思っている。社会に拒絶されてるわけではないが、組み込むことはできない。そんな人でもしっかり食べていけるし、生きていける」

 

そんな「はみ出し者」として生きてきた松井さんは、亀岡にきて「野良のプロ」にたくさん出会ってきたという。ただ「はみ出し者」として生きるのと、松井さんが「野良」と定義するものには、大きな違いがあるようだ。

 

「僕らは概念として自然を知っているし、社会も知っている。たくさん勉強もしている。だけど、本当の『接し方』をしらない。知識はあるけど、知識を使ってどのように社会や自然と接するのがいいかがわからない。

亀岡には、『接し方』を知った野良のプロがいっぱいいる。例えば、僕の近所のおばあちゃんは野菜を育てるのが上手で。野菜をもらいに畑に訪れたときは、僕はつい気になって雑草を抜こうとしたり、水をあげようとしてしまう。でも、おばあちゃんは『放っておき!』って。

どこまで土が“やってくれる”かを知ってる。おばあちゃんの農作業を見ていると、そこまで構わなくていいんだと思うんだよね」

 

「野良」とは、全ての要求に応えたり、顔を伺ったりするのではなく、妥協点を見つけるのがうまいのだという。それは、時にはルールや人間関係などの『社会』かもしれないし、土や植物、川などの『自然』かもしれない。

野良のプロから学んだことは、松井さんの制作にも大きく影響しているという。

 

「土を大切にするようになったね。都心と違って亀岡は自然が多くて、土を捨てることができてしまう。だけど、捨てずに練り直して、再度使うように心がけているよ。

土を練り直すことは、手間がかかるんだよね。買った方が圧倒的に時間がかからなくて、安い。だけど、亀岡にきてからは土の練り直しだったり、掃除だったりに向き合うようになった。それで制作が進まなくなることはあるけどね(笑)」

 

目の前の土を大切にする。丁寧に掃除をする。そんな制作過程の背後にある、一つ一つの行為が「社会が見逃してしまった美しさ」なのだ。作品を売ること“だけ”をしていれば、生活に必要なお金を手に入れることはできる。しかし、それ以上に小さく見過ごされる野良の営みにこそ、美を見出すようになったのだろう。

 

偶然にも亀岡という土地に辿り着き、野良という生き方に気づいた松井さん。陶芸家という道を選んで、長い思考があったから野良に気づけたのかもしれないし、亀岡という土地がそうさせたのかもしれない。

野良という言葉には、一匹狼のように群れを成さずに生きていくもののようなイメージが、筆者にはあった。しかし、松井さんの話を聞いて、少し違うように感じる。野良には、一匹狼のように、一人だけ浮き出るような孤高さはない。土や水、風、そして人と、しなやかに関係を紡いでいく『波』のようなものが、野良にあるように感じた。

A HAMLETで出会ってきた野良たちの軌跡

「ゴンドアの谷の歌にあるもの。『土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。』どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」

『天空の城ラピュタ』のヒロインであるシータの言葉である。クライマックスで、隙をついてムスカから飛行石を奪ったものの、ムスカはシータを追い詰め、対峙するシーン。A HAMLETの取材では、この言葉がパッと頭に思い浮かぶことが度々ある。

 

大井町の集落づくりプロジェクトA HAMLETは、「瓦屋」を代々営んできた場所に立つ。先人が、その場所で土を掘り、練って、焼き、屋根に瓦に乗せていたふるまいを、ふと想像する。農が盛んなこの土地では、農の営みを支える農具をつくってきた「野鍛冶」が、火の色のわずかな違いを見極める姿も目の当たりにしてきた。薬草による村おこしを試みるNPOの発起人は、薬草と毒草を見分ける知恵をもっていた。亀岡の農や文化を支えてきた保津川に生きた過去の村人たちは、石積みや石垣などを駆使し、氾濫を受け入れつつ暮らしを営んだ。

こうして振り返ると、これら一つひとつが、自然・文化・経済が分かち難く結びあう中で育まれてきた、野良の芸術だ。そして、亀岡の地でみいだされた風土は、その美しいふるまいに現れていることに気づく。あなたの住んでいる街には、どんな野良の芸術があるだろうか。きっと亀岡にはない、そこでしか存在しない美しさがある。いつもの道。いつもの風景。だけれども、いつもと違った目で見つめてみてほしい。

探訪のガイド

松井利夫さん

1955年生まれ。京都市立芸術大学陶磁器専攻科修了後、イタリア政府給費留学生として国立ファエンツァ陶芸高等教育研究所に留学。エトルリアのブッケロの研究を行う。帰国後、沖縄のパナリ焼、西アフリカの土器、縄文期の陶胎漆器の研究や再現を通して芸術の始源の研究を行う。近年はたこつぼ漁、野良仕事に没頭し人間の営みが芸術に変換される視点と場の形成に関する研究を重ね、かめおか霧の芸術祭総合プロデューサー、公開講座「ネオ民藝」を運営する。またArt&Archaeology Forumを立ち上げアートと考古学の融合領域の研究を行う。現在 京都芸術大学教授  滋賀県立陶芸の森館長。

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Deep Care Labは、祖先、未来世代、生き物や神仏といったあらゆるいのちのつながりへの想像力をはぐくみ、ケアの気持ちが立ち上がる創造的な探求と実践を重ねるリサーチ・スタジオです。人類学、未来学、仏教、デザインといった横断的視点を活かし、自治体や企業、アーティストや研究者との協働を通じて、想像力がひろがる「窓」を新たなインフラとして形成します。

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