【with your eyes】2nd shot :水渡嘉昭

【with your eyes】2nd shot :水渡嘉昭

【with your eyes】2nd shot :水渡嘉昭

『with your eyes』2回目は、ニューヨークの写真学校を卒業し、Brian Dobenら写真家のアシスタントと結婚式場での仕事を経て、現在は京都を中心にフリーランスのフォトグラファーとして活動する水渡嘉昭(すいとよしあき)にインタビュー。2006年よりラテンアメリカでポートレートの撮影を始め、年に一度のペースで通いながら、人びとの飾らない姿を撮り続けている。大学で学び始めてから約20年間、撮る対象を変化させながらもカメラを手放さなかった彼にとって、どのようなツールなのか伺った。その答えは今でも『Calle Esperanza』発表時に語っていたように、遠く離れた地や自分ではかなわない人への憧れにあるのだろうか。深く人を知りたいと思う時、彼はシャッターを押すのかもしれない。

同じ時間を過ごしていたはずなのに、あの人が撮る写真はなにかが違う。そんな経験は誰しもにあるはずです。写真は「その人の生き方そのものだ」という言葉があるように、「経験・興味・視点」がレンズを通して露わになるのが面白いところ。

 

アンテナでは『with your eyes』と題して、西日本を拠点に活動するフォトグラファーのインタビューを行う連載をスタート。誰もが写真を気軽に発信できる時代だからこそ、「記録に留まらない、写真のあり方とはなにか」を、彼らのキャリアを掘り下げることで模索します。

水渡嘉昭プロフィール

1978年 大阪府出身
米国ニューヨーク市立大学ラガーディア校卒業後、Brian Doben、Sang An、Kenji Toma等に師事。2006年よりラテンアメリカでポートレートを中心に現地の人々の生き様を追うプロジェクトを開始する。現在は、ブライダルを中心に国内・海外で撮影する他、上記ラテンアメリカのプロジェクトを中心に作品制作を続けている。

website:http://www.yoshiakisuito.com/

あの人みたいに違う世界が見たくて、写真をはじめた

──

まず、写真を始めた経緯を教えてください。

水渡

祖父が写真好きで、幼い頃から興味はあったのですが大学まではやっていませんでした。強く写真をやりたいと思ったのは、高校生の時だったかな。一年生の時に留年して、その時間を利用して自転車を船に積んで沖縄に10日間旅行に行きました。そこで大阪芸術大学で写真を学んでいる大学生に出会って、別れた後も海外から手紙をくれたり、個展の案内も送ってくれたりしたんです。周りにそんな人いないし、高校生にとっては自分と違う世界を持っていることがかっこ良くて、憧れてしまって。それで、いつか自分も海外を旅して写真を撮ってみたいと思うようになりました。

──

それでニューヨークで写真を学ばれたんですね。

水渡

高校を卒業してからまずは格安航空券を買って、バックパッカーとしてバンコクとインドに行ったんです。たまたま現地で知り合った英語を話せる日本人が外国の人と親しく会話をしていて、それがめちゃめちゃかっこ良かったんです。彼には「日本語しか話せない自分とは違う世界が見えてるんだな」と感じて憧れました。それでまずは英語を勉強しなきゃと思って、日本の大学に1年間通った後、コロラドに半年〜10ヶ月ほど語学留学に行きました。さらに英語を勉強する為に大学進学を決めて、選んだのが米国ニューヨーク市立大学ラガーディア校です。旅先でもっといい写真を撮りたくて、写真学科を専攻しました。

──

「旅先で上手に写真を撮りたい」が専攻の理由なんですね。

水渡

バンコクやインドで撮った写真を帰ってきて見返したら、自分の目で見た世界とは違う写りにショックを受けたんです。具体的に撮りたい写真のイメージはなかったけど、とりあえず勉強したくて写真学科を選びました。野球に例えると、「空振りばっかりするから、何を打ちたいかもわからないけどとりあえずバットには当てたい!」って感じです。ホームランバッターになりたいとかでもなく、次のステップに行きたい、というか。

──

水渡さんの作品は人物のポートレートが多いですが、始めから人を撮りたいと思っていたんですか?

水渡

もともと写真を始める前は、人は撮れないと思っていたんですよ。というのも、人に注目されるのが嫌だったので、小さい頃に親戚の結婚式にいたカメラマンが、中心に出て注目を集める様子を見て、自分には無理だなと。

──

それでも学生生活を始めたばかりの水渡さんが撮られた『Sam※』という作品では、1人の男性と生活を共にしながら撮り続けていますよね。

Sam

※『Sam』…通学する地下鉄の最寄り駅の駅前にある同じベンチに毎日座っていた老人、Samを撮り続けた作品。ある時から2人は会話をするようになり、2〜3年間生活を共にしていた。

水渡

その時、たまたまフォトジャーナリズムのクラスで出た課題が「テーマを一つ設けて撮り続けなさい」だったので、彼の写真を撮ってインタビューしたら良いんじゃないかと思いました。快く引き受けてくれて数ヶ月間、彼の家に通っていましたね。写真を1,2回撮って終わりではなく、追い続けて撮るということは、理由は何であろうと関心を持ってその人に目を向け続けるということですよね。そうすると、撮られる方も自分を見てもらえて肯定される気持ちがどこかで生まれる。共に過ごすことで信頼が生まれたし、人間同士の交流ができました。

──

彼のどんなところに惹かれたのですか?

水渡

彼はとてもいい顔をしていたんですよ。平坦じゃない人生を歩んできた顔というか。ある時から話しをするようになったんですけど、いきなり好きな数字を3つ聞かれたと思ったら、自分が買う宝くじの番号だったりして、やっぱり只者じゃなかった(笑)。

撮りたいと思う人を、今も探し続けているのかもしれない

──

水渡さんはどんな人に関心を持ってポートレートを撮りたいと思うんですか?

水渡

僕はおっちゃんの顔が好きですね。あまり多くを語らず、人生色々あったとしても、後悔したことをなんとか納得させて、そして前向きに生きている顔っていうんですかね。僕、悔いのない人生はないと思ってるんですよ。大きすぎる後悔はしたくないけど、程よく後悔はしたらいい。それを誰かに吐き出すかどうかは別として、何かしら自分の中でうまく消化して生きていて、そんな不器用さが顔に出ている人を撮りたくなります。Samとは生活していた2〜3年を含めて4〜5年一緒にいたんですけど、絶対後悔しているはずなのに「俺は人生を後悔していないけどミスは犯した」とポロリと言った時があって。この言葉は僕の頭の中にずっと残っています。

──

Sam以降にそういう興味を持つ顔の人に出会えていますか?

水渡

少ないですが、Samと生活していた時にニューヨークの地下鉄のホームに棲んでいるホームレスのRickyのことは1年半くらい撮っていましたね。でも、その2人だけですね。

Rickyの写真。たまに酔っ払っている時があった。
──

今も探し続けているんですね。

水渡

そういう興味が起こる対象って相当少ないんですよ。でも何年かに一度、自分の中でコーンとくるものがある。写真がきっかけでSamやRickyみたいな人と知り合えて、撮る人、撮られる人の関係になれた。これから出会う人でもそういう関係になれる人がいたらいいなと思っています。尊敬する写真家が「写真は新たな出会いを作るためのツール」と言っていたんですが、本当にそうだなと思います。

──

水渡さんが写真を撮る目的は、深く誰かに入り込みたいという気持ちがあるからでしょうか?

水渡

その気持ちは強いのかもしれません。これから何を表現したいかは正直パッと思いつかないけど、写真を通して自分が人と繋がっていたいという想いがあります。

──

それが写真を続けられている理由ですか。

水渡

そうですね。あと一つは、ただ辞めなかっただけです。僕は優柔不断なので、他の友人が「お金にならないから」と写真を辞めていく中で、そういう踏ん切りがつかなくて続けていたら今に至ります。それでも続けることで、周りからフォトグラファーと認められるようになっていきました。

──

今日の話の中でいくつか「憧れる」という言葉が出ていますが、すごくピュアな感情ですよね。写真をはじめるきっかけや、英語を学ぶ時もそう。SamやRickyにも憧れがあって、写真を通じて近付いていこうとしていたんでしょうか。

水渡

Samには憧れがありました。20代前半で、「えらいかっこいいことする人が世の中にいるんだな」と思いました。型破りな人だったけど、そんなところに憧れていたのかな。Rickyはおそらく、あまりにも素直過ぎてホームレスになったような人です。彼の子どもっぽい表情が好きでした。

ラテンアメリカは自分にとっての逃げ場所

──

現在、お仕事は?

水渡

今は写真だけですね。ラテンアメリカから帰国してすぐ後には広告とか大きい仕事に憧れていたんですけど、力不足で諦めました。それで関西で仕事を探し始めて、求人を募集していた結婚式場で5年間カメラマンとして勤めました。人に見られるのが嫌な自分にはできない仕事だと思っていたので、最初の半年間はクビにしてくれと思っていたくらい渋々でしたけどね(笑)。でも、撮っているうちにお客さんの喜ぶ姿を見て自分も嬉しくなったし、これまでの盛り上げなきゃいけない式場カメラマンのイメージも払拭できて、自分みたいなタイプでも続けられました。でも、社員は休みが取りにくいので辞めてそれからフリーランスとして活動して6〜7年です。

──

今はどういったお仕事が多いですか?

水渡

インバウンドの仕事が多いです。日本に旅行に来られた方の家族写真を、東山や伏見稲荷、嵐山などの観光地を背景に1〜2時間かけて撮影するシンプルな依頼が多いですね。あとは、結婚式の撮影を少しと、国内に住む方の家族写真を撮ったり、取材に行くこともありますね。

──

日本で仕事をしながら、ラテンアメリカに通って個人の作品作りを続けているんですね。

水渡

通うことで、年齢を重ねるたびに見え方が変わってくるのが面白いです。10年前は人にぐっと寄ったバストアップの世界観を撮りたいと思っていたけど、最近は広い画で撮ることが増えたり。同じ場所に立っても、前みたいな見え方ができたりできなかったりする。最初は戸惑ったけど、これから5年、10年経ったらどんな見え方がするのか楽しみになってきました。

──

ラテンアメリカという日本と離れた場所での撮影が良い方向に作用することはありますか?

水渡

良い方に向くことが多いですね。僕はラテンアメリカの方からすれば外国人で、そうするとお互いに意識が向いて見ようとする。それが写真に出ます。

──

そう言えば、なぜラテンアメリカを舞台にされているんでしょうか?

水渡

一番大きな理由は、日本から遠く離れたかったからです。

──

日本から遠く離れる?

水渡

昔は引っ込み思案で、そんな自分にコンプレックスを持っていました。実家から離れることで、今までの自分から変わろうとしたんです。旅をするきっかけもそうで、最初は沖縄、次にコロラドへ留学して、大学進学時はロサンゼルスかニューヨークという選択肢がありましたが、実家から遠いという理由で迷いなくニューヨークを選びました。

 

あとラテンアメリカに関しては、10代の頃から憧れがあったんです。確かテレビでリオのカーニバルが流れていて、その賑やかさを見て、そこへ行ったら自分も変われるんじゃないかって気持ちがどこかにありました。それで、自分の写真を撮りに行くと考えた時に、ラテンアメリカしか選択肢になかった。

──

ラテンアメリカに行って何か大きく変わりましたか?

水渡

どこへ行っても「あんま変わられへんな」ということがわかった、というか(笑)。いい意味で諦めがつけられるようになりましたね。あと、向こうに仲が良い人ができたので、精神的な逃げ場所を確保できたんです。僕は身体的にも精神的にも逃げ場所があることが大事だと思っていて、「いざとなったら、あそこに1ヶ月行けばいいや」という場所をラテンアメリカだけでも1,2箇所作っています。ずっと日本にいてもしんどいこともありますし、そういう場所があってもいい。それを持てたのが、今の場所でやれている大きな理由かもしれません。

──

先程の話ではどこへ行っても自分は大きく変わらないとのことでしたが、引っ込み思案でどのように逃げ場所を作って行ったんでしょうか?

水渡

日本語と英語、スペイン語を話す時で僕自身の性格って違うんですよ。英語だともっとハッタリを効かせられたり、スペイン語だともっといい加減になったりとか。ツールって便利だけど、物に自分自身が縛られる側面もあるじゃないですか。カメラは便利だけどカメラがなかったら何も撮れなくなったりとか。言語もそうで、言葉によって象られる自分も変わってくる。英語を話す自分っていうのはどこか開放されていて、日本語とは違う自分になっているので、誰とでも気軽に話すことができます。日本では正直、スナップで声をかけて断られるのが怖くてできませんね。

──

自分が外国人だという意識もあるからでしょうか。

水渡

体も精神的にもベースが日本なので、そこから遠いほど、少しくらい失敗しても「日本では誰も知らないから大丈夫」、という気持ちにはなれますね。

──

ラテンアメリカは逃げ場所でもあり、チャレンジングな場所なんですね。

水渡

そうですね、その時の自分の気持ちに合わせて日本でも海外でも好きな方に行って、「ええとこどり」したらいいですよ。無理して片方に収まっていてもしんどいじゃないですか。

──

多くの方が生きづらさを感じているのは逃げ場所がないからですかね。職場にしかコミュニティーがなくて、定年して居場所がないおじさんってそういうことなのかと。アンテナも多くの人のコミュニティーになれたらと思っていて、水渡さんや雷太さんに取材するのも、生きづらさを感じている人に、「一歩踏み出したらなんでもあるぜ」っていう可能性を伝えていきたいからなんです。

水渡

違うコミュニテイーがあるのは、いいと思います。キューバで散歩しながらいろんな人と喋っていると「なんて俺は頭が堅いんや、クソ真面目やなあ」と思います。僕の中ではキューバが「ええかげん」を教えてくれる場所ですね。

──

すごく大事なことですよね。

お気に入りの一枚

『Calle Esperanza』の一枚。
水渡

10年前は引きで撮る事ができなかったので、そういう意味ではこの写真が自分に新しいきっかけをくれました。

一緒にフォトウォークをしながら撮った写真

「とても柔らかい時間だったな」と撮っていただいた写真を見返しながら思い出します。この日は風が冷たいけど日差しが柔らかくて、鴨川デルタには飛び石を楽しそうに渡る子ども達の笑い声が響いていて、気持ちの良い昼下がりでした。世間話をしながら、静かにシャッターを切る水渡さん。交わす言葉は多くなかったけれど、こちらをまっすぐに見て笑顔でシャッターを切っていく水渡さんにつられて、こちらまで笑顔になりました。繊細に光と表情を捉えた写真には、その時の情景を思い起こさせる力があるんですね。

紹介したいフォトグラファー

津久井珠美
https://irodori-p.tumblr.com/

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編集 / 写真

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

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