『with your eyes』連載3回目は、大学卒業後に平間至氏に師事し、地元京都に戻り雑誌や書籍、Webメディアの撮影など幅広く活動するフォトグラファー津久井珠美にインタビューを行った。初めてお話した津久井さんからは柔らかな口調の中にもしなやかな強さが感じられ、それは彼女の写真から見て取れる「丁寧さ」にも通じると思った。「丁寧な暮らし」という言葉が消費されている今、丁寧さとは何かを、日々大切にされている考え方などを紐解きながら探していきたい。
同じ時間を過ごしていたはずなのに、あの人が撮る写真はなにかが違う。そんな経験は誰しもにあるはずです。写真は「その人の生き方そのものだ」という言葉があるように、「経験・興味・視点」がレンズを通して露わになるのが面白いところ。
アンテナでは『with your eyes』と題して、西日本を拠点に活動するフォトグラファーのインタビューを行う連載をスタート。誰もが写真を気軽に発信できる時代だからこそ、「記録に留まらない、写真のあり方とはなにか」を、彼らのキャリアを掘り下げることで模索します。
津久井珠美プロフィール
立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告など、多岐にわたり撮影に携わる。
website:https://irodori-p.tumblr.com/
自分の感情を込められる表現方法が写真だった
写真を始める前に、大学で文学部西洋史学科を専攻された理由を教えてください。
小さい頃から好きだった歴史を学ぼうと思って西洋史学科を専攻しました。小学生の時に読んだ歴史の学習マンガをきっかけに興味を持つようになって。特に、エジプト文明やメソポタミア文明などの古代文明にロマンを感じていました。大学に入ってからは映画や写真、音楽が好きになって、映画ができ始めた近現代に次第に興味が移っていきました。
大学卒業後は映写技師の仕事をされていますが、映画が好きになったことがきっかけなのでしょうか?
映画が好きだったのもありますけど、その頃は就職氷河期で、就職活動自体にあまりピンと来なかったんです。みんなで同じスーツを着てエントリーシートを書いて、っていうのが苦痛でしたし、その時は頑張らなければいけない理由も見つからなくて。たまたま、4回生の卒業前くらいに新聞の求人欄で映写技師を募集している広告を見つけて、新卒用じゃなかったんですけど、みんなと同じ仕事の中から選ぶよりこっちの方が面白そうだと思いました。
自分の関心が向く仕事を選んだんですね。ちなみに、映画のどんなところが好きなんですか?
映像で自分の知らない色んな世界に行けるところですね。
歴史が好きなのも、自分の知らない世界が知れるという意味で共通点がありますね。映写技師の仕事を1年で辞められて、いわば裏方のお仕事から自分で表現する写真の仕事を選んだ理由は何だったんですか?
当時の私には映写技師の仕事が単調に思えてしまって。フィルムを編集して機械にかけてただ上映することに飽きてしまったというか。毎日同じ場所に行って同じ作業をするのが面白くなくなってきて、もうすぐ1年という時に辞めました。写真は大学の時から撮っていて、仕事をしながらも趣味で続けていたので、やっぱり一番好きなことをやろうと思って写真を始めました。
そこからすぐに平間至さんに師事されたんですか?
プロの世界ではどんな仕事をするか知らなかったので、まずは何かしら写真の仕事をしようと求人雑誌を調べて、ホテルで結婚式の写真のアルバイトを3〜4ヶ月くらいしました。働きながらも写真の情報は常にキャッチするようにしていたら、たまたまテレビで見た情熱大陸に平間さんが出ていて。「タワレコの写真を撮っている人だ、すごいな」と思っていたら『コマーシャルフォト』の求人にアシスタント募集が出ていたんです。プロの世界を知りたいと思っていたタイミングと重なって、ダメ元で応募しました。
行動力がすごいですね。キャリアとして写真をやってきたわけではないのに、新しい世界に飛び込むのは怖くなかったですか?
全然怖くなかったです。その時は24歳で若かったですし、やりたいと思って決意したらすぐ動くタイプなので、今でも「あそこ行きたい」と思ったらすぐ行く方だと思います。
自分のやりたいことにすごく素直に行動されていますよね。やりたいと思っても動けない方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、どうしてすぐに行動できるんでしょうか?
例えば東京に行った時は、応募したからと言って受かるかはわからないし、応募するのはタダだと思ったんですよね。良いと思えば選んでくれるし、合わなかったら違うというだけなので、リスクは考えませんでした。
いざ東京行きが決まった時は、カメラマンとしてやっていくぞという覚悟はありましたか?
「平間さんと同じような立ち位置になるぞ」とかはなかったかもしれないけど、仕事か趣味かはわからなくても写真は一生やると思っていました。それで、やっぱり写真をやるには東京に行って一流の現場を見たいと思って。
今までそう思ったものって写真だけですか?
そうですね。
なぜ写真をそんなに好きになったんでしょうか。
小さい時は絵が好きだったんですが、自分には才能がないと思って半ば表現することを諦めていたんですが、同時に憧れもありました。大学で写真に出会って、写真はシャッターを押せば誰でも撮れるものなのに撮る人によって全く違う個性が出る。これは私にもできる表現方法かもしれないと思って感動したんです。シャッターを押す瞬間に自分の感情を込められるところも私には合っていたと思います。絵画も嫌いじゃないですが、自分の思うものを完成させるまでにはハードルが多い。写真はそういう意味でも誰でも簡単に始められるツールだなと思います。
津久井さんにとって写真は自分の感情を表現するためのツールなんですね。
写真は自分の感情を心象風景として切り取ったり、社会への問題提起やアートとしての側面もあって色んな表現ができますが、記録という役割も大きいと思っています。昨年偶然にも友人の自宅出産の瞬間を撮影させてもらう機会に恵まれたんですが、出来上がった写真を見て、想像以上に喜んでくれたんです。その写真を見た多くの方々が、感動して泣いたと言ってくれて。自分がこの世にどうやって生まれてきたかを、大人になった時に写真で見て知ることができるって本当にすごいことだなぁと思いました。
どんな形でもずっと写真を撮っていきたい
京都に戻られてからどのように写真のお仕事をスタートさせましたか?また、なぜ京都に戻られたんでしょうか。
京都に戻ってきたのは、簡単に言うと東京で働くことに挫折したからです。写真をやるなら東京だと思っていたし、一流の人たちと仕事をすることでカメラマンとして刺激的な仕事ができるイメージがありましたが、慌ただしい毎日にいっぱいいっぱいになってしまって、家族がいる京都に帰ってゆっくりしたいと思って。
でも、関西のカメラマン事情も知らないし、同じ業種の友達もいないしちゃんとやっていけるか不安はありました。その後3〜4年は作家方面にもかすかに憧れがあったので、アルバイトをしながら少し個展をしたりしていました。30歳頃そろそろカメラマンとしてやるならちゃんと動かないとと思っていた時に、今もとてもお世話になっている方ですが、たまたま平間さんのお知り合いのデザイナーさんが京都でカメラマンを探しているというお話があって、レシピ本の撮影をさせてもらったんです。その料理家さんに京都の編集プロダクションの社長を紹介してもらって、偶然とはいえ、周りの方々の助けがあってフリーランスを始めることができました。
一度挫折を経験されて、京都でカメラマンとしての再スタートを切ったわけですね。
はい。自分のアシスタントとしての不甲斐なさを感じて日々反省の連続でしたが、それでもやっぱり写真は面白くて、嫌いになったことは一度もなかったです。東京から京都へ戻ると決めた時も辞めようとは全く思わなくて、なんでもいいから撮りたくて、続けたかった。そして東京から離れてみてはじめて、自分が少しは成長していると実感できました。
現在はどのようなお仕事が多いですか?
制作会社のお仕事とか、ライターさんや編集の方から直接、雑誌の撮影やWeb連載の仕事を依頼いただいたり、幅広く関わらせていただいています。10年近く続けている仕事もありますが、どこかに偏っているというより、いろんな方と良い関係を築けていると思います。
ライターさんなど文章を書く方との撮影で配慮していることはありますか?
誌面を作る人の意図を汲み取って写真を撮るように心がけています。書き手がどこに着目しているのかを聞くようにしたり、他にもデザイナーさんや編集の方など多くの人が関わるので、それぞれがどこに目を向けているかを考えて、それが伝わりやすい写真を撮りたいなと思っています。
それがカメラマンの意図と違うなと思った経験はありますか?
あまり私はこうと決めつけていないかもしれないです。制作側にできるだけ寄り添う形で、フラットであることを大切にしています。特に仕事の写真の時は求められているものがあるから、一緒に何かを作っていくという感覚で、その役割の中で私は写真を担当しているという感じですね。
大事な考え方ですよね。作家性と仕事の写真はどうやって切り替えるんですか?
仕事以外の写真は自分だけの視点で撮っている、というくらいです。仕事の時には周りの視点も意識します。
自分の気持ちに耳を傾けて、大事にするのが丁寧ということ
作家性についてお聞きします。ご自身の中でテーマや視点はありますか?
やっぱり光を見てしまいますね。光がきれいだったり、美しいと感じた時や、心が動いた時にシャッターを押していると思います。何かに使いたいなど特に目的がない時は、テーマは意識していないです。
好きな被写体はありますか?
平間さんの撮影を見てきた影響も少なからずあると思いますが、私も人に興味があって、人を撮るのが好きです。人を直接撮る写真だけでなく、風景や料理とかからも人を感じることもできると思っています。料理を撮る時は、作り手の人を感じながら撮っています。写真や暮らし、器にもその人の考えや想いなどが現れていて、そういう背景を感じるのが好きなんです。だから歴史も好きなんだと思います。
最近知り合いと、写真と短歌が似ているという話になったんですが、写真も短歌も一瞬を切り取っていて、前後の文脈が提示されていないんです。受け取り側がイマジネーションを働かせないと読み取れないけど、自由に委ねているのが面白いですよね。
短歌ってそうなんですね。写真は本当に正解がないと思っていて、撮り方も受け取り方も自由だし、やればやるほど終わりが無くて奥が深いなと気が付いて、辞められなくなったように思います。写真だけに限らず表現は全部そうかもしれないけど、それが面白いです。
津久井さんは写真に自分の感情を込めるとおっしゃっていましたが、どんな時にシャッターを押すんですか?例えば、最近行かれていましたが海外旅行ではどうですか?
海外に行って写真を撮る方も多いと思うんですけど、私は思ったほど、現地で写真を撮っていないんですよね。人を撮りたいと思っても、歩いている人をスナップで撮るのはなんか違うし、何かを撮りたいという目的で海外に行っていないので、すごく撮りたいと思える人は今、一瞬ではわからない。でも、みんなと一緒のことをしなくても良いと思ったんです。
あえて自分から何かを見つけて撮ろうとはしていなくて、過ごす中で心が動いた瞬間だけシャッターを押しています。観光目的でもないので、日本にいる時と同じような感覚で過ごしていて、自分の目線が日常とあまり変わらないので、写真もそんなスタンスです。今のところは、現地の人としゃべったり、普段の私達と変わらない日常がここにもあるというのを確かめるために行っているのだと最近気が付きました。
どうして変わらないことを確かめに行きたいんですか?
世界史や映画を通じて海外の文明や文化にはずっと興味はあったんですが、これまで留学したり、海外と直接触れ合う機会もなく、ずっと日本という狭い世界で生きていると思っていました。なので性格もあると思いますが、いざ日本以外の世界に飛び込もうとすると、見た目が違うからと緊張してしまったり、考えていることがわからないと思ってしまう自分が心のどこかにいて、そんな風に感じる心が嫌だなぁと思っていました。だから大層なことはできないけれど、自分のできる範囲でなるべく海外に行って、日本にいる時のようにお店の人や出会った人としゃべったりして、変わらない人間の生活や日常があることを確かめたいのだと思います。
その感覚は、津久井さんの写真から感じる「丁寧さ」に繋がると思いました。表面的なものではなく、その内面や生活の意識からにじみ出るものだと思うのですが、どこに行っても「変わらない」ことを大切にされているんですね。ちなみに、津久井さんの思う丁寧な暮らしってどういうものだと思いますか?
例えば、ごはんを食べる時に箸置きを置くとかそういうことじゃないですよね。丁寧って人によっても違うし、自分が感じる丁寧であればそれで良いと思うんですよ。結局は自分の心とか気持ちにちゃんと耳を傾けて正直に生きることかな。定義って人によって違うものだから、「それ丁寧じゃない」って他の人に言うのもおかしいですよね。
自分にとってちょうどいいものを見つけるってことですよね。
自分の気持ちや感じていることを、どうしてそう思うのかなと考えて大事にすることが丁寧なことで、それが生き方や暮らしに反映するのかなと思います。