『with your eyes』連載第4回目は、自らをモデルにした写真を通じて、面白さと完璧な構図を追求するフォトグラファー・田中幹人にインタビューを行った。構図や露出を決めた後で自らが被写体となり、シャッターを押す同行者と一枚の絵を作り上げる作品『あぶない所へ行ってみよう/Try to go over there.』シリーズを始め、一見、無駄のないミニマルな作品からは、職人気質でこだわりを追求する姿を想像する。しかし、その人柄を紐解いて見えてきたのは「人を笑わせることが大好きだ」と話す屈託のなさだった。「あんな所に人が立っていたら危ないし面白い」と思う場所をいつでも探している田中さんにとって、人を驚かせるアート写真の魅力とは何なのだろうか。実際に撮影された写真を見ながら、お話を伺った。
同じ時間を過ごしていたはずなのに、あの人が撮る写真はなにかが違う。そんな経験は誰しもにあるはずです。写真は「その人の生き方そのものだ」という言葉があるように、「経験・興味・視点」がレンズを通して露わになるのが面白いところ。
アンテナでは『with your eyes』と題して、西日本を拠点に活動するフォトグラファーのインタビューを行う連載をスタート。誰もが写真を気軽に発信できる時代だからこそ、「記録に留まらない、写真のあり方とはなにか」を、彼らのキャリアを掘り下げることで模索します。
田中幹人プロフィール
1968年 京都市生まれ
1991年 嵯峨美術大学生活デザイン科専攻科卒業
雑誌・広告・ポートレート等で活躍するかたわら、2003年より自らの作品「あぶない所へ行ってみよう/Try to go over there.」シリーズ製作開始。
website:https://mikitotanaka.amebaownd.com/
自ら機会を作り出すことで開けた写真への道
いつ頃から写真に興味を持たれたのでしょうか。
高校生の時に叔父にもらったニコマットという50mmのフィルムカメラを修学旅行に持って行ったんですけど、思いの外、面白い写真がちょこちょこ撮れて「写真ってええな」と思ったのが最初ですね。電車の中で友人がふざけた瞬間を撮ったら、躍動感があってすごく良い写真が撮れたんです。写真ってこんな一瞬を切り取れるんだと思ったし、オートフォーカスじゃなかったのにピントもバッチリで「僕、写真上手かも」とハマっていきました。
その後、嵯峨美術大学生活デザイン科を専攻されていますが、なぜその学科に進学したんですか?
当時は「歌・写真・木工」の順番で好きなことが3つあったんですが、1番目と2番目に好きなことは仕事として突き詰めていくと、純粋に好きだったことが嫌いになってしまうんじゃないかという思いがあって、趣味で楽しむだけにしようと。でも嫌なことを毎日したくもなかったから、3番目に好きなクラフトを学べる学科に入りました。
もともと手を動かすのが好きだったんですか?
うちの祖父がガレージでなんでも作る人で、小さい頃、僕と弟の寝ている二段ベッドの下にガラガラと引き出す妹用ベッドを作ったりしていて。そういう姿を見ていたからか、自分で手を動かしてものを作るのは今でもすごく好きですね。
大学でクラフトを学ばれて、その後どのように写真の道に進んだのでしょうか。
1回生でいろんな素材を使ったデザインを学んでから、2回生では好きな素材のテーマを選べたので木工に進み、椅子作りに夢中になりました。卒業後は家具会社に就職し職人としてやっていこうと思っていたんですけど、2年ほど働いた時に身体を悪くして辞めなくちゃいけなくなって。それから8年くらいは自宅療養をしながらフリーターみたいな生活を送っていました。
それでも、もの作りがしたかったので、大工道具を使って木でアクセサリーを作り、フリーマーケットで売るようになったんです。友人にそのアクセサリーを着けてもらい写真を撮って、写真とアクセサリーを展示する個展もしました。それを機に「写真撮ってください」という人が現れて、「あなたの写真集作ります」という仕事も始めることになって。
自分でモノクロフィルムを手焼きしてスケッチブックに貼るようなものでしたが、だんだん凝ってハードカバーを付けて製本するようになりました。そうこうするうちに、昔からのカメラマンの友人に「そんなに写真が好きならカメラマンになったら」と誘われて、その手があるのかとハッとしたんです。木工は一度挫折しているので、2番目に好きな写真を仕事にしようとスタジオにアシスタントに入ったのがスタートです。
好きなことが仕事につながる機会を自ら作り出したんですね。
スタートは違いましたが、好きなことを手放さなかったら仕事につながった、という感じですね。
自分の納得のいく写真で目の前の人を喜ばせたい
もの作りのどんなところが好きなんですか?
理想からズレる不満や不具合を、自分自身の工夫やアイデアで解消していく過程ですね。それと、自分の作ったもので相手が喜ぶ瞬間です。フリーマーケットではお客さんと直に接することで、その人の喜ぶ顔をちゃんと見られたのはすごく幸せなことでしたね。今の仕事は料理の撮影が多いんですけど、雑誌や広告の仕事は読者の顔が見えないので、フードコーディネーターさんやライターさん、編集さんなど目の前にいる人に「すごい、きれい、美味しそう!」と喜んでいたただくことに全力を注いでいます。
もともと職人的なお仕事をされていましたが、職人肌の方って自分が作りたいものを作って満足される方も多いと思うんですけど、そうじゃなかったんですか。
アクセサリーは自分の作りたいものを作っていましたけど、仕事に関しては相手の喜びが自分の喜びなんです。納得いく写真が撮れても、1人で「よし」と思うタイプではなくて、それを喜んでくれる人のことを考えます。
相手の喜びが自分の喜びだと、明確に感じたきっかけはありますか?
写真スタジオでアシスタントをした後、結婚式の撮影をしていたんですけど、撮った写真をその場で見ていただくと喜んでもらえて、直接、顔を見られる仕事はいいなぁと思いました。でも小さい時から「人を笑わせたい、喜ばせたい」という気持ちはありますね。
その気持ちを表現するツールとして写真を選んだのはなぜですか?
頭の中に表現したい世界があって、それを人に伝えるために写真を撮っていると思います。僕は絵が下手なので、写真を使って絵を描いているような感覚ですね。表現したい世界を表現するのに、絵が描けていたら絵を描いていたかもしれない。
写真って現実をありのまま切り取る記録としての役割もあると思いますが、理想の絵を描く感覚で撮っているんですね。
多分、今日フォトウォークに行ったらわかると思うんですけど(笑)、僕がスナップを普段あまり撮らないのは思い通りに撮れないから。写り込んでいる車があれば、「あそこに車がなかったらな」と思ってしまうんですよ。だから、ありのままを呼吸するようにスナップを撮れる人が本当に羨ましい。僕が撮る作品は、自分の描きたい絵を追求しているので。
田中さんが2003年から取り組まれている作品シリーズ『あぶない所へ行ってみよう/Try to go over there.(以下、あぶない所へ行ってみよう)』は、どんなことを意識していますか?
見る人の顔を想像して、この構図だったらこのポーズよりこっちの方が面白いかもしれないなと思いながら、一番に構図のことを考えていますね。構図フェチなところがあるので、思い描いた理想の構図に自らがぴたっとハマる快感というのがあって。描きたい絵を実現させたいのと、笑わせたいのと半々で意識しています。
そういうのって普段道を歩いている時でも、好みの場所があったら「こういう構図とポーズで撮ろう」と想像しているんですか?
運転しながら登れそうなところを探して、「あの鉄骨と自分の体のシルエットをシンクロさせると面白いかな」「ジャンプしたら不思議な絵になるかな」と想像している時間がとても楽しいですね。
田中さんの作品は人が写っている、いないに関わらず構図が本当にきれいですよね。
裏テーマとして、人物なしでも美しい写真というのは心がけていますね。ロケハンが大事で、最初は通りすがりにスマホで撮って構図をある程度想像しておいて、2回目は実際にそこへ辿り着けるのかや、どの時間帯が美しいか、見つからないか(笑)、どうやって登るかなどを確かめ、3回目にシャッターを押してくれる人を連れて行きます。
人を笑わせるために、真剣にやる
『あぶない所へ行ってみよう』シリーズの創作の原点は何なのでしょうか?また、始めたきっかけも教えていただけますか。
原点は、30年前に流れていたCMです。「数人の男性が鉄線にぶら下がりながら移動している」という難解な内容なんですが、一目で心を奪われて、ずっとその世界観への憧れが作品作りの原点になっているような気がします。きっかけとなる一作目の作品のロケ地は、20年くらい前に友人と廃墟に遊びに行った時に見つけたんですよ。もともと高い所に登るのが好きで、屋上にあった鉄柱に登ったところを友人が撮ってくれて、「これめっちゃおもしろいんちゃう」と。その後改めて、撮影しに行きました。
なぜフィルムで撮り続けているのでしょうか?
今はデジタルでなんでもできるじゃないですか。フィルムで撮ることは、本当にそこへ行きましたよっていう証拠みたいなものなんです。
映画でもCGを使うことで表現の幅が広がっていますよね。その場所に行ったという身体性みたいなものって、写真を撮る行為において重要だと考えていますか?
やっぱり見る人の驚きが全然違います。全部デジタル技術だったら京都タワーの上に自分の画像をポンと置けばいいけど、それは誰にでもできることだし、面白くない。「これどうやって撮ったんですか?」「実際に行って撮ってるんですよ」「えー!」というそのやり取りも含めて作品なんだなと思います。
撮って終わりではなくて、作品を通して人とコミュニケーションして、相手のリアクションを受けて作品が完成するんですね。
作品を見て面白がってくれている人は、撮影の背景を想像して笑っていると思うんですよね。例えば写真として見るだけじゃなくて、シャッターを切った後、落ちたりしてまた登って、また落ちてを繰り返したんだろうなと想像して、そこを含めて笑っていると思う。それは実際に僕がその場所へ行っていないと言えない部分なので。
この写真はどうやって撮ったんですか?
とある場所で、おそらく何十年も放置されていたであろう建築用の鉄骨を見つけて。ロの字に何段にも組まれた鉄骨の8メートルの高さから7メートルの高さに飛び降りている瞬間です。
純粋に……怖くはないんですか?
バランスを崩した時に掴む所があるかどうかで怖さが決まるんですけど、この時は立っている所も飛び降りる先も広いから全然怖くなかったですね。これは高さ5メートルくらいだけど、上に何も掴まる所がないから20分くらい立てなかった。
どうやって登っているか聞いてもいいですか?
「どうやって登るのかな? 自分だったらどうするかな?」とあれこれ想像することも楽しんでもらえると嬉しいので、内緒にしておきます(笑)。何作目からかメイキング用に登る様子を動画に撮ったんですけど、動画にすると作品の神秘性みたいなものが失われて現実的になってしまうなと。どうやって登ったのかを想像させるまでが作品の面白さなので、実際に作品を前に会って話した人だけが知ることができる、くらいにした方がいいと思います。
アートは、自分の気持ちを未知と出会わせてくれる
希少性もアート作品の重要な要素ですよね。作品をアートフェアに出されていますが、どのような経緯だったんでしょうか。
15年間、販売する事はあまり考えず撮り続けていたのですが、海外の方の反応を見たい、誰かの家に飾られているところを見たいという気持ちが大きくなって、作品を世に出すことにしました。海外のマーケットを視野に入れて個展をさせてくれるギャラリーを探していた時に、京都のG-77というギャラリーからアートフェアのお話をいただいたんです。とりあえずチャンスをいただけるうちは挑戦し続けたいと思っています。
どのような人が買いにいらっしゃるんですか?
日本でアートを購入する人というとお金持ちのイメージが強いと思うのですが、海外では小さいお子さん連れのご家族や学生、ご年配の方までいろんな方がいらっしゃいます。日本ではアートとして写真を購入して飾るという文化があまりないですが、アメリカではそれが普通にあるんですよね。おばちゃんが「これ面白いわね」って部屋に飾るから買って帰るというような。
日本にアート写真を購入する土壌はないですよね。そういった文化が根付かないのはなぜだと思われますか?
文化は生活と密接に繋がっていますが、アートを購入するという行為が日本の生活に根付いていないからではないですかね。アートとしての写真を購入して飾って楽しむ習慣がないから、ない親に育てられ、ない家で暮らすのでいつまでも根付かない。日本は他人と異なる価値観や表現を好まないので、自分の感覚として「これがいい」と感じたり判断したりする感覚が磨かれていないように思います。なので、メディアが取り上げるものについて「いいね」とは言えますが、自分で選ぶという眼はまだ育っていないのではないでしょうか。
社長室に絵は飾られるのに写真は飾られないということを考えると、日本人にとって絵はアートですが、写真はまだアートと認められていないのではと感じます。歴史の浅さ、複製のしやすさ、希少性の薄さなど様々な要因が考えられるけれど、だからこそ私たちはエディションを付けて発表します。はっきりした答えは出ませんが、私も早く、アートを買うという文化が根付いて、もっと広く気軽に写真を楽しむ環境になってほしいと思っています。
最後に、田中さんの考えるアート写真の魅力をお伺いできますか?
アート写真の魅力は、見た人の気持ちが動くということでしょうね。「なんやこれ」ってなる体験って面白いですよね。自分の作品で相手の気持ちが動いたのを感じると嬉しい。例えば家族写真を見ても気持ちが動きますが、アート写真とは動く先が違うと思います。家族写真は自分の内側で動くけど、アート写真は自分の外側に向かって気持ちが動きますよね。
写真を見てドキッとしたり嫌な気持ちになることもありますけど、未知との出会いを提供するものがアートなのでしょうか。
知らないところに連れて行ってくれる感じでしょうね。あと僕の作品で言わせていただくと、大事にしているのはバカバカしさ。バカバカしいことを真剣にやっているのが面白いなと思ってもらえれば最高です。やっぱり僕は人の笑顔が好きだから、笑わせたいと思う。
無意識のうちに、相手を喜ばせたいという気持ちに結びつくのかもしれないですね。本日はありがとうございました。