クラフトビールは場をつなぐ自由な液体。 Hobo Brewing川村洋平さんに聞くものづくりのよろこび

クラフトビールは場をつなぐ自由な液体。 Hobo Brewing川村洋平さんに聞くものづくりのよろこび

クラフトビールは場をつなぐ自由な液体。 Hobo Brewing川村洋平さんに聞くものづくりのよろこび

クラフトビールの始まりは、1920年〜1930年代のアメリカでの禁酒法の制定に伴って、小規模の醸造所が廃業に追い込まれたことが背景にある。大手ビールメーカーのビールばかりが流通する市場に嫌気がさした愛飲家たちが、自分の飲みたいビールを自宅でつくるようになったことで、1970年代にカウンターカルチャーとして誕生した。今、その文化が日本でも広がりつつあるのは一人ひとりの情熱が繋がった結果だが、それができたのは、クラフトビールが誰にも縛られず自由な感性の元でつくられるからだろう。その自由な意思を受け継ぎ、ファントムブルワーとして一人でビールづくりを始めたHobo Brewingの川村洋平さんに、人と繋がりやすいこの時代に一人を選んだ理由を聞いた。


これまで私が取材をしてきた「何かをつくる人たち」を思い返すと、誰しもがはじめの一歩を踏み出すことに躊躇がない。単純な好奇心だったり、やりたくないことを除外した結果だったり、個人的な理由であることがほとんどだ。それを聞いて私は「それでいいんだ」といつも背中を押してもらってきた。今回も、川村さんが一人でものづくりを始めた理由は彼の憧れる生き方に近づくためで、「自分が責任を持ってつくったと言えるものを介して、人とフェアに向き合いたい」というものだった。

 

ファントムブルワーとは、特定の場所を持たずに、すでにあるブルワリーの設備や技術を借りてビールづくりを行う人のことをいう。醸造所があれば世界中が職場であり、働く場所やタイミングも自分で決められる。自分のことは自分で責任を負いたいと考えている川村さんにはぴったりの働き方だ。業界慣例に囚われない自由な発想で、これまで多くのオリジナルビールをつくって売り、また、いくつものブルワリーの立ち上げに関わってきた川村さん。そんな彼が考える自由なものづくりとはどんなものだろう。語る言葉から見えてきたのは、ビールという飲み物自体の自由さと、その可能性だった。

川村洋平プロフィール

2015年 Hobo Brewingとしてファントムブルワーの活動を開始。日本全国で、様々なクラフトビールの醸造を行う。
2019年 札幌とポートランドの姉妹都市提携60周年記念ビール「SAPPORTLANDERʼS」を醸造。
2020年 合同会社Hobo Brewing Co. を設立。

 

HP:https://www.hobobrewing.me/
Instagram:https://www.instagram.com/boku_ha_brewer/

フェアでいられることがものづくりのよろこび

2021年12月に立ち上げを手伝っていた高松の株式会社瀬戸内の醸造所にて
──

まず一人で働くことを選択した背景についてお伺いしたいのですが、以前インタビューで「会社勤めもしたくないし、大きな設備投資というのも現実的じゃない。」とおっしゃっていましたが、その時に仲間を探して一緒につくるという選択肢はなかったんですか?

川村

頭の片隅にすらなかったと思います。人といること自体は嫌いじゃないですけど、元々そんなに集団行動が得意じゃなくて。それに、当たり前のようにまずは自分でやってみようと思っていましたから。

──

今はSNSなどで同じような志を持った人を探せる時代だと思うので、その中でなぜ一人で始められたのかを聞きたかったんです。

川村

最初から仕事にしたいという想いがあって。どれくらいつくっていくらで売るかを計算すると、まずは一人じゃないと色々と大変だと思いましたし、こういうスタイルなので色んな所に行くのにも予定を合わせるのが大変ですしね。

──

一人で賄える範囲で身軽にスタートしたかったんですね。だからファントムブルワーという働き方を選んだと。

川村

僕は最初から(ビールを)つくることだけが目的だったんですよね。一度(ビールの)メーカーには勤めたんですけど、僕の目的は工場を持つことではなかったですし、ビールづくりを始めるのにメーカーに入るか巨額の設備投資をするかの二択しかないのはおかしいなと思ってて。ビールは年がら年中つくれるとはいえ季節商売とも呼ばれていて、どう考えてもフル稼働じゃないし、そこに入り込む隙間があるんじゃないかなと。生産手段を問わず、ビールをつくる環境にいられることが一番大事です。

──

そう思ったのはなぜなんですか?

川村

そもそもなんで自分がこういう働き方をし始めたかというと、札幌の大学を中退して縁あって高知の農家さんに居候させてもらっていた時、農家さんや刀鍛冶屋さん、和紙職人さんなどいわゆるつくり手に囲まれて過ごしていたんですよ。それで僕も何か表現をしたいし、表現したものでお金をもらって生計を立てられたらどんなに素敵なんだろうと思ったんです。

 

仕事をするって結局何かを売ってその対価を得るってことじゃないですか。自分のつくったものに責任を持って、出来不出来も含めて自分の口で相手に説明できる状態でものをつくりたかったんです。どんな仕事にも出来が悪いときはあります。ただそれで対価を得ないわけじゃなくて、それでも「そんな時もあるよね」とか「お前そんなんじゃ駄目だぞ」と言ってくれる人に囲まれて仕事しながら生活できればいいなという想いがずっとあります。それがフェアな関係性だと思いますし、それができることが僕にとってものをつくるよろこびに繋がること。

──

相手とフェアな関係を築くために一人で責任を持てるものづくりがしたかったと。川村さんの動機は自分のためでありつつも、他者とのより豊かな関係性を築くためでもあるんですね。

川村

Hobo Brewingの名前の由来にもなるんですけど、僕一人が楽しい状態っていうのは結構イージーなんですよね。自分を機嫌よくさせることはお金も時間もかけずにできるんですけど、せっかく仕事するなら色々な人と関わって気持ち良くなれたらよりいいなと思っています。Hoboは方々という漢字でも書けて、色々な人たちと色々な場所で関わってBrewingしていくという意味です。それが仕事をしていく、生活をしていくとも同義なんですけど。

──

Hoboには根無し草という意味もありますが、決して独りという意味じゃないんだなと。

川村

結局、人はどこまでも一人だって考え方なんですけど、それが決して一人でいたいということには繋がらなくて。Hoboの目指すものに「ともによろこび合う」というものがあります。だから自分のやることを通して共に喜び合えたらいいなと思っています。

ファントムブルワーという働き方

──

一人で働いていて、どんな時に自由さを感じますか?

川村

業界に関わりはじめた頃に、僕はビールのつくり方よりも売り方の方が面白いと言われていて。これまで業界では「買います」と言った人に対して「はい、どうぞ」で終わっていたんですよね。つくることにはこだわるけど、売り買いにはこだわりがないのがとても不思議で。そうじゃなくて、もっと自分がやっていることを伝えられるようにコミュニケーションしながら売りたくて、そこが大変ではあるんですけど、逆に自由さを感じてやっていました。一人だとすごく速くアクションできるし、リアクションもダイレクトにもらえますしね。

──

Instagramを拝見しましたが、〈BEER CELLAR SAPPORO〉さんをはじめ色んなお店でつくったビールのお披露目イベントを開いていましたよね。売り方についてどういうところをこだわっていたのか、もう少し聞いてもいいですか?

川村

自分のビールが置いてあって欲しいところにあることが大切なんですよね。その人がどういう人か、どういうお店かをある程度わかっていたくて。クオリティを大事にしてくれるのももちろんなんですけど、僕がどういう面倒くさい人間かを理解してくれてる人に買ってもらえれば一番嬉しい。それにファントムブルワーの売り上げは、ひと樽に対して1,000〜2,000円の利益で、例えば60樽売ったとしても現実に60,000円〜100,000円いくかいかないかの世界なんですよ。それだとやっぱり成り立たない仕事になってしまうので、どうしたらいいかと考えた時に、自分で直接サーブすることで「いけるんじゃないかな」と思えた。それが結局は、自分の売りたいところに出向いたり、一緒にやりたい人とやることに結びついていたので、その仕組みが上手くいって良かったなーって感じです。

川村さんのInstagramより
──

ファントムブルワーの中にはレシピだけ下ろしたり委託契約をして醸造をお任せするパターンもありますし、つくる場所を増やして製造量を上げる稼ぎ方もありますよね。でも川村さんはそっちを選ばずに、売り方で工夫をしています。川村さんのような働き方はファントムブルワーとしては珍しいんですか?

川村

多分、他にはいないと思いますね。今では缶詰めする機械も安価で増えてきたので、ビン・缶の製品をインターネットや酒屋で売ったりするのが醸造所を持たない人たちのメインの売り方になっていると思います。でも僕が始めた頃は業界としてはパッキングが主流ではなかったですし、ラベルを作るにもコストと時間がかかりますからね。もし今の考えで始めるとしたら、もうちょっと違うことをしていたかもしれないです。

──

ファントムブルワーがビールを製品化するまではどのような流れなんですか?まずつくりたいビールのイメージがあって、それをつくれる場所を探すのか、それとも、醸造所からオファーがあるのか。

川村

決まったパターンでいうと、北海道の美深では立ち上げから入ってレシピのアドバイスをしていて、月に一回くらいのペースで自分のビールを製品化しています。それ以外ではリリースタイミングは特に決めていなくて、「こんな原料があるんだけど」というアイデアを受けてから一緒につくることもありますし、白根ゆたんぽさんとつくった『抱擁』は、イベントに来てくれた時に一緒に何かやりましょうって話した約束を実現させた感じです。

白根ゆたんぽさんとつくったクラフトビール『抱擁』
──

これまで北海道の美深、滝川、高知県の高松、アメリカのポートランドなど様々な醸造所でつくられていますが、つくる場所を決める際に大切にしているポイントなどあるんでしょうか。

川村

それはもう完全に縁ですね。最初こそこっちからお願いしていましたけど、いつからか「今度一緒にやりますか」みたいな自然な流れで決まることが多いです。ポートランドはBEER CELLAR SAPPOROの縁ですし。

──

そうなんですね。その土地、その場所じゃなきゃつくれないものがあるのかなと想像していました。

川村

それでいうと、基本は僕がつくりたい味の大筋があってそれを実現するので、言い方が正しいかわからないですけど、場所はどこでもいいというか。僕にとって場所はつくる環境というよりインスピレーションや気分をもたらしてくれるもので、そこでしかつくれないもの、というのは意識せずともできているのかなと思います。

──

もう少し詳しく聞いてもいいですか?

川村

ここでしかできないというより、場所にとってそぐわないものは無理してつくらないでおこう、ということですかね。ヘイジーIPAとかは僕の中ではどこでもつくっていいものではなくて、〈美深白樺ブルワリー〉のレシピとして監修するのはいい。あとは、工場の設備としてなんでもつくれるわけじゃないので、テクニカル面での制約や縛りも関係してその土地でしかできないものが出来る。

──

土地らしくないことをしないという選択が、Hobo Brewingらしさになっているのかなと思いました。

川村

飲んでくれた人の中には、どこの工場でつくってもわかると言う人もいますね。同じレシピで他の人がつくっても同じ味にはならないと思うので、解明できないところがどうやらあるようで。僕の場合は色んな場所に行くけど、結局どこにいても外から来た人なので、味の個性が悪目立ちしないようには気を付けています。強烈に存在しちゃダメというか、ある程度なじまなきゃいけないという生き方をしているので、そういうのが出ているのかもしれないですね。

常にモアベターを追い求めるブルワー精神

──

Hobo Brewingを始められてから4〜5年経っていますが、クラフトビール業界は大きく変わりましたか?

川村

シーンはものすごく変わってきていると思います。何より僕が業界に入った頃は醸造所の数が200オーバーぐらいだったんですけど、いまは520ぐらいありますよね。

──

川村さんをはじめ、醸造家の働き方にはどういう変化があったんですか?

川村

僕の場合は、働く場所が増えました。それと、コミュニケーションができる相手が同じ業界に増えて、今までは繋がりがない地域に無理矢理イベントで行ったりしてたけど、人を紹介できるようになりました。僕らぐらいの小さい業界だとつくり手が増えないとクオリティも上がりようがないですが、各地でトライ&エラーが起きていて、それを共有する文化がこの業界にはあるので、いいことしかないかな。

──

2020年11月16日に永井亮さんが加わって合同会社を設立されていますが、永井さんとの出会いや設立するに至った背景を教えていただけますか?また、独りでの活動に比べて設立の前後で変化があれば伺いたいです。

川村

永井とは共通の友人を通じて知り合ったんですが、たまたまお披露目イベントに来てくれたのがきっかけでした。永井は目黒駅の近くでAirbnbみたいな事をやっていて、僕が東京でイベントがある時はそこに泊まらせてもらったり、物を運ぶのを手伝ってもらっていました。彼が福岡に引っ越す時に「何か手伝えることあるかい」と言ってくれて「そろそろ自分一人でやっていくにも手に負えないことが増えてきて、それを実現したいから会社化を考えている」という話をして。「まあ会社でもつくっといてよ」と言ったら法的な手続きを彼がしてくれて、晴れて会社になりました(笑)

──

そんなノリだったんですね(笑)。一人だと手に負えないことってどんなことだったんですか?

川村

業界の変化として元々懸念していたのが、クラフトビールの増加が飲食店やビアバーの増加と比例していたことです。バブルというかブームっぽい動きだから、どちらかが倒れたらどっちも倒れるのが明らかに目に見えていて。何か手を打たなければというところで、ポートランドでのビールの売り方を見ていたこともあって、パッケージングもできるようにしなきゃと思っていました。そんな時にコロナ禍になって、缶にシフトする上で一人で販売の連絡などを全部処理するのが難しくなってきたタイミングで。永井の本業の仕事はSEなので、計算や管理を任せています。

──

苦手なところを上手くサポートしてくれてるんですね。これまでも一緒にやろうよってお話される人はいたんじゃないですか?

川村

いましたけど、つくり手が多かったですね。「雇ってください」と言われるんですけど、本当に作りたかったらもうやってるでしょと思うし、自分でつくっておいでよと思っちゃう。何というか、クラフトビール業界に入ってくる人ってどうしてもビールだけあれば生きていけますみたいな人が多くて。僕としてはもうちょっと興味を広く持って、色々なことに対して目を向けられている人が良くて、そういう人をずっと探しています。

──

川村さんが思うビールのつくり手になれる人はどういう人ですか?

川村

僕がそうあって欲しいだけと前置きした上で話しますが、俯瞰してビールを捉えられる人がいれば嬉しいですね。僕はビールメーカーに入った時に面接で「ビールって飲み物なんですけど、あくまでその時間の過ごし方だと思っています」みたいなことを伝えていました。今って口や喉あたりの官能的な角度からの評価ばっかりなので、もうちょっとクラフトビールというものの飲み方とか扱われ方を見れるといいんじゃないかなと思います。昼からそこら辺の公園で飲むのが似合うお酒だとか、そういう風に捉えてくれる人だといいなと。

──

川村さんのビールづくりがそうですよね。夏に飲みたいビールを作ったりされていて、季節や時間の過ごし方がインスピレーションの源になっているのかなと思いました。そういうのってどうやって身に付いていくものなんでしょうか。

川村

説明の仕方がすごく難しいんですけど、昔から身にならないことをずっと考える癖があります。ジャンル問わずいろんなものを見るのが好きで、「これはなんだろう。こうなった方がいいんじゃないの」ということをよく考えて、頭の中でずっと何かに対してツッコんでいます。そのツッコミ癖みたいなのが作る時のきっかけになっているかもしれない。

 

いつも機嫌良く過ごしてるつもりではあるんですけど、どこかでやっぱり不満なんですよね。本当の意味での満足なんて一生訪れないんでしょうけど、何か一つとっても「こんなもんじゃないでしょ」みたいな、より良くしたいと常に思っています。良いの尺度は自分にとってという出口にはなってしまうんですけど、そこにたまに仕事する相手がいたら相手にとってという視点が入ってくるので、人と仕事するのはやっぱり面白いなと思います。映画評論家の小森のおばちゃまって知ってますか?細野晴臣さんのアルバム『はらいそ』の中に小森のおばちゃまの「この次はモアベターよ」という言葉が使われてて、その姿勢がすごく好きでいつも思ってますね。

ビールほど自由な液体はない

──

川村さんはクラフトビールづくりを通してどんな景色を作りたいですか?

川村

自分ではビールは消え物だと言っていて、止まるものじゃなくて流れていくものなんですよね。みんな口元で感じる味や香りを楽しもうと、記憶や言葉に残してなんとか止めようとするけど、僕はもう乾杯したらそれで終わってほしい。でも、喉元をスルスルと通っていくビールという液体がその場を成立させていることもあるわけで。だから、ビールとにらめっこして難しい顔して飲まれることは望んでいなくて、ただその場を繋ぐものとして、場をより良くするものとして存在してほしいと願っています。

──

あくまでも消え物であって、その日楽しかった記憶だったりその場所で起きた出来事のきっかけが自分がつくったビールだったら嬉しいけど、狙ってつくろうとは思ってないんですね。

川村

その場を取り持つための一要素であってもいいけど、別に主役だとは思っていない。クラフトビールはとても自由なものだから、もっといろんな場面に顔を出してもいいなとは思っていて。クラフトビールに日の目を当てられるように、もっと頑張らなきゃいけないですね。そのために、全国で醸造所をつくる手伝いをしたり、缶詰めをして乾杯できるビールを増やしていきたいです。ビールという液体の持つ自由さや、横のつながりで企業秘密をまるっと教えてくれるクラフトビール業界のオープンさが、今の少し窮屈なことを感じる場面にもっと持ち込めたらいいのになとすごく思うんですよ。

──

ビールは自由な液体、ですか。もう少しその自由さについて教えていただけますか?川村さんが目指す自由なものづくりにも繋がるのかなと。

川村

なんで僕がワインでもなくビールを選んだかというと、例えばブドウを99%入れて作っても一応ビールと言えちゃうんですよ。酸っぱかったり色が黒かったり、よくわからない味だったとしても。大喜利状態なんですよね。何を出されても「ビールです」って言うボケ大会みたいになってて、そこにツッコミ出したら負けというか。僕はそう捉えてるから面白いんですよね。ビールの定義は広い……というか、そういう括りすらないかもしれない。そういう、そもそもの液体としての自由さみたいなところに魅了されましたね。そんな自由な液体は自由な場も作るだろうし、きちんとしたい人には適当すぎて逆にストレスかもしれないですけど、何をしてもビールだし何をしなくてもビールだと思います。その許容力は生活や思想にも繋がっていると思っていて、実際にビールのメッカであるポートランドは人に対してもすごくオープンだし、許容が大きいなと思います。

──

なるほど。日本もビールの自由さに気付く人が増えていくと、もう少しオープンに生きやすくなるんですかね。

川村

たまに堅い会社の人が僕に声をかけてくることがあるんですけど、なんかミスマッチだなと思う。とりあえずジャケット脱ぎましょうよ、みたいな。僕らみたいな格好の奴らが昼から飲んでたところで何の違和感もないけど、スーツを着て堅い会社に勤めている人は昼からガンガン飲んだりしないし、今の日本はそういう分布図みたいなのが分かれすぎているなと感じます。もうちょっとぐちゃぐちゃでいいし、そのぐちゃぐちゃさはビールにはあるなって。

──

ビールという飲み物の懐の広さを見直しました。川村さんはビールで、私たちはそんなものづくりをしている人たちへの取材を通じて、分布しているものを限りなくグレーにすることができたらいいです。

RECENT POSTS

編集 / 写真

堤 大樹
堤 大樹

26歳で自我が芽生え、なんだかんだで8歳になった。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が興味を持てる幅を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。

Other Posts